オールド・フレンズ「サイモン&ガーファンクル」
2009年 7 月18日(土)
中学時代、英語の先生が何枚かのアルバムを私に貸してくれた。サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」「サウンド・オブ・サイレンス」だった。新卒だったその先生からは、自分の読み終えた『リーダース・ダイジェスト』を大量にいただいた。田舎育ちの中学生にとって、それがアメリカ文化との出会いだった。円は固定相場で360円の時代。海外旅行もまだまだ一般的ではなく、アメリカは海の向こうの遠い遠い国だった。今思えば、その先生は学生時代、ビートルズやサイモン&ガーファンクルを聴き、『卒業』『俺たちに明日はない』『いちご白書』などを観たであろう団塊の世代。私はそれらを追体験した世代。彼女から借りたサイモン&ガーファンクル(S&G)がその追体験の最初の一歩となった。
アルバムには『卒業』のサウンド・トラックで使われた「ミセス・ロビンソン」「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」など、今ではスタンダード・ナンバーになっている曲が多く、私も聴いたことはあった。しかし、例えばスカボロー・フェアの「パセリ、セージ、ローズマリー & タイム…」という歌詞の、(それがハーブの名前だと知っても)パセリ以外は見たこともなかった。そんな時代。初めての海外アーティストとの、そしてフォークロックとの出会い。素朴な田舎の中学生は、繊細なサウンド、S&G2人のの絶妙なハーモニーにすっかり魅せられた。かと言って自分でアルバムを買う小遣いもなく、ラジオから流れるリクエスト曲に耳を傾けるしかなかった。(リクエストはがきを送り、初めて読んでもらったのが「冬の散歩道」だった)S&Gは、私の音楽遍歴の出発点だった。
それ以降、(年代盤の発売をきっかけに)遅れてやって来たビートルズ、好きだった女の子の影響で好きになったレッド・ツェッペリン、プログレッシブ・ロックが好きになった頃はイエス、キングクリムゾン、EL&P、キャメルなどなど、音楽遍歴の旅は続いた。そんなある日、S&G来日との情報。初来日は解散12年後の1982年。再結成した後のこと。そしてその後の来日公演もわすか1回。今回は3度目の、そしておそらく最後の公演。行っておきたい。「え?誰?良く知らない」ハミングで何曲か歌ってあげると「あぁ、みんな知ってるねぇ」むむ。「行っても良いけど、きっと寝るかも」妻のノリは今イチ。ポール・サイモンは民族音楽系のアーティストだと思っていたらしい。しかし。隣で眠られても良い。行っておきたい。
公演当日。アリーナ席が取れてしまった「ポリス」公演の轍を踏むまいと、ずっと座って聴けるように敢えてA席の2階スタンド席をゲット。生ビールも買込んで準備万端。見渡せば白髪交じりの先輩諸氏で会場は満員。装飾性もほとんどないシンプルなステージ。ん、それで良い。最初の曲は「オールド・フレンズ」だ。天使の歌声と言われたアート・ガーファンクルの澄んだ声が会場に響く。続いて思い出の「冬の散歩道」、そして「アイアム・ア・ロック」…不意に涙腺が緩み、凝視していたステージ横のスクリーンの映像が滲む。なんだろう、この涙は。懐かしい友人に久しぶりに会った、そんな感覚。妻はと隣を見ると、こくんと頷く。じゃなく、寝とる…。まぁ、心地良さげだし、放っておこう。
ステージでは『卒業』の映像に続き、「ミセス・ロビンソン」が。ふぅ。甘酸っぱい記憶が蘇る。「コンドルは飛んで行く」の後は、S&G交互にソロナンバーを披露。そして「明日に架ける橋」、アンコールに「サウンド・オブ・サイレンス」「ボクサー」と続き、最終曲「セシリア」で締め。妻も目覚めて手拍子を取っている。思わず笑顔になる満足のステージだ。
♪今から何年も先 ひっそりと公園のベンチに座る 僕らの姿を想像できるかい? 70歳になったら どんなに妙な気がすることだろう♪ 「OLD FRIENDS」より 訳:内田久美子
彼らも数年後には70歳(現在67歳)を迎える。きっと自分には70歳になる日などやって来ないと思って書いた詩なのかもしれない。…僕らはいったいどんな70歳を迎えるのだろう。「今と一緒で、お気楽に決まってるじゃない♪」と妻。ごもっともです。