P社な人々『女ひとり寿司』湯山玲子
2009年 11 月14日(土)
「前はどんな仕事をなさっていたんですか」と問われれば、20年近く勤務したP社の名前を上げることが多いのは道理だ。私が入社した創業14年目だった当時のP社には、実に多彩な人間が多かった。その後に入社した後輩たちにも個性的な人材が多かった。ことばを変えれば、灰汁が強い、専門分野の深堀型の変わったヤツらが多かったとも言える。自ら脚本を書き年に何度か芝居の公演をやっていたり、夜な夜なクラブで皿を回していたり、小説を書き綴っていたり。しかし、多くの仲間たちが会社を辞めて行った。そんなP社の人材の行き先にはある傾向があった。ひとつは同業である出版社などに移り、編集者やライターとして仕事をする専門職系。もうひとつは新たな会社や事業を立ち上げる独立系。そしてもうひとつは腕一本で仕事をするアーティスト系。ちなみに、採用される側の志向性が違うのか、採用する側にとって扱い辛い特殊な人材なのか、大手企業に転職する例は余り聞かなかった。
アーティスト系人材の中には、そこそこ名の知れた存在になった者(敬称略で失礼)もいる。NYCなどを拠点に活躍し、ジャマイカのレゲエ・サンスプラッシュにも出演したジャパニース・レゲエの第一人者NHAKI(ナーキ)。『夜の果てまで』『散る。アウト』などがそこそこ売れ、著者紹介文にP社出身であることをすっかり記さなくなった作家の盛田隆二。朝日新聞などにも映画評が掲載される映画評論家の稲垣都々世。勝手に名乗っているだけだろうと思っていたら、どんどん活躍の場を拡げ、夜景のプロデュースまで始めてしまった夜景評論家の丸々もとお。驚くべきアクセス数を誇る人気サイト『パリときどきバブー』をはじめ、パリのガイドブック『パリのおいしい店案内』などセンスの良い写真と文章で活躍中の、多才な女性とのまりこ等々。社長秘書だったとのまりこ以外は直接的に仕事をしていない人が多いけれど、いずれも私がP社在職中にご一緒した面々。彼らの名前や映像をマスメディアなどで目にすると、誇らしくも嬉しくもあり、ちょっとくすぐったい気持にもなる。それは、現役のP社の社員が(もちろん仕事関連の取材で)TVに出演したり、新聞等で名前を目にするときには感じない、微妙な距離感なのだ。
湯山玲子の『女ひとり寿司』も、最初はそんな微妙な距離感を持ちながら読み始めた。彼女とは同年代。P社在籍中に仕事を一緒にした記憶はほとんどない。けれど『女ひとり寿司』文中にも出てくる私の同僚だった故石井伊都子さんが「ウチにいた湯山って覚えてる?彼女の書いてるものかなり面白いよぉ」と生前に言っていたことが妙に印象的で、私の記憶に残っていた。その石井さんがP社を辞め『ヴォーグ ニッポン』の編集者となり、湯山玲子に企画を持ちかけて誕生したのがこの『女ひとり寿司』なのだという。(『女ひとり寿司』玄冬舍文庫のあとがきより)これが、石井さんの語っていた通りに、文句なく面白いのだ。P社出身だという身贔屓だとか、くすぐったさは一切消滅し、ただひたすらその文章を味わってしまう。この本は、タイトルの通りに著者が独り寿司屋の(それも名の知れた)カウンタに座って寿司を食べ、そのレポートを文章にするというグルメガイド系の体裁は取っているが、そう思って読み始めた人は(私も含め)期待を裏切られる。それも良い意味で。
玄冬舍文庫『女ひとり寿司』の解説に、あの『おひとりさまの老後』の著者である上野千鶴子さんがこう書いている。
『おひとりさまの老後』を書くきっかけのひとつが、この本だと知ったら、驚く人がいるだろうか。
そうなのだ。ここまで記事を読んでいただいて、『おひとりさまの老後』がベストセラーとなり、柳どじょうを狙って書いた本だろうと思った方(実は、私も)逆なんです。上野さんの言う通りに、私も驚いた。上野さんも解説に書いている通り「料理の品評のみならず、料理人、それに相客まで、みごとに料理されて板の上に乗せられているのだ」という表現がぴったり。世に数多ある雑誌、TV、インターネットサイトのお店紹介など、平板で、単調で、お約束のことばの羅列でしかない退屈なものに感じられてしまう。店が、客が、寿司ネタが湯山玲子の手に掛ると、実に生き生きとした物語の素材となる。寿司店を語っていて、社会における(当時の)女性の立場や生活感を語り、相客の男性を観察している湯山玲子の目が自らの人生観を表す。その上、美味なる表現も蘊蓄も満載。いや、おもしろいよ!湯山!…こんなときだけ呼び捨てにし、自慢げに知人を装う私。彼女に、誰だっけ?と秒殺されそうだけど。でも、おススメです。