どこから読んでも幸福気分『ミーナの行進』小川洋子
2010年 1 月22日(金)
ブログの記事を書き始めて5年弱。ある人は「ホテルの紹介が楽しみ♪」と言い、ある人は「美味しそうな店が多いですよね♫」と告げ、ある人は「あの本、良かったですよね」と言ってくれる。嬉しい限り。そんな中に、私の本の紹介を楽しみにしてくれている(らしい)親子がいる。妻の友人“ひーちゃん”と、一度だけコメントを寄せてくれた“ひーちゃんの息子”さん。私が本を読み、ブログで紹介しようと思うとき、頭の隅にはその2人のことが浮かんでいる。素人の書く拙い紹介。どれだけその作品の素晴らしさが伝わるか不安に思いながら、それでも楽しみにしながら、お気楽に書き綴る。小川洋子の『ミーナの行進』を読み終え、やはり読書好きの親子のことを思い浮かべた。2人にぜひ読んで欲しい。そして、自分たちに子供がいたらこの本を読んで欲しい、そして大人になって読み返して欲しい、そう思いながら。
主人公の1人、小学6年生のミーナは身体が弱く、外で元気に遊べないこともあり、読書が大好き。ミュンヘンオリンピックの年、事情があり同居することになったもう1人の主人公、ひとつ年上の朋子。朋子に頼み、街の図書館に本を借りに行ってもらう。そこで出会う“とっくりさん”と朋子が密かに名付けたちょっと素敵な男性司書。そこで借りた数々の本に対するミーナの読書感想が、短いことばで、的確に、鮮やかに、朋子の口を借りて司書に伝わる。これが実に素晴らしい。実は、読書好きの親子に読んで欲しいのは、そんな作品の紹介文でもある。例えば川端康成の『眠れる美女』は、「確かにちょっと奇妙な本・・・でも分かりました。老人は死ぬ練習をしているんです。・・・死ぬことになじもうとしているんです。いざその時になって怖くて逃げ出したりしないために・・・」などという感想なのだ。小学生の感想(作者の小川洋子のだけれど)と比べ、なんと私の紹介文の情けない文章であることかと恥じ入ってしまう。
この作品は、家族の物語でもある。家の物語でもある。ミーナが住み朋子が居候する芦屋の豪邸でのエピソードが、実に快活に語られる。例えば作品のタイトルでもある「行進」のエピソードは、喘息持ちで発作が起きてしまうミーナが、家族の一員であるコビトカバのポチ子にまたがっての通学風景。ミーナの父、飲料メーカーの社長でもある朋子の伯父が、半ば公然とお妾さんを大阪のマンションに住まわせており、ひょんなことから朋子がその住まいを訪ねてしまうエピソードでさえ。この作品は、大人になった朋子の回想という形式を取っている。だからこそ、その煌めくようなエピソードが微笑ましいから、ドイツ人の祖母の血を引く美少女ミーナの儚げなさが描写されるから、暗い最終章を迎えてしまうのではないかと心配しながら読み進むことになる。甘く健全なだけのストーリーではないだけに、却って心配な後半部。
でも、大丈夫。通奏低音のような、読みながらずっと感じてしまっていた不幸の予感は見事に外れることになる。最後は逞しく大人になったミーナの姿が語られ、ほっとし、にんまりもしてしまう。今回はずいぶんとネタバレの文章が多いが、それも大丈夫。ストーリーが、結末が分かっていても大丈夫。この作品は、どこを読んでも、どこを読み返しても、どこから読んでも、幸せな気分になれる。何度でも楽しめる。大人でも、子供でも、きっと楽しめる。誰か殺される訳ではないけれど、誰も殺されない作品はつまらないと言うサスペンス小説好きの妻でも。「ふぅ〜ん、分かった。じゃあ読んでみるよ」と妻。きっと、気に入るに違いない。ありがちな、鼻持ちならない美少女ではないミーナのことを。そして何よりポチ子のチャーミングな後ろ姿に悪意を持てるヤツはいないはずだから。・・・と書きながら、ちょっと不安が過る。