遇う、そして繋がる「Facebook」
2011年 4 月02日(土)
なぜか、偶然人に遇うことが得意(?)だ。あるプロジェクトでご一緒しているノルウェー人の社長と渋谷で遇った。人通りの少ない平日の昼下がりの公園通り。Apple Storeを目指し、緩やかな坂道を上っていた。すると坂道を下りてくる長身の男性の姿。ん、あれは…と思っていると、「Hello!IGAさん。お元気でしたか!」と声を掛けられた。その場で思わず立ち話。地震の話題から、なぜかiPad2の話題になり、また一緒にスカッシュをやりましょう!と畳掛けられる。ここで日本人同士のように、そうですね近いうちに!と終わらずに、すぐにお互いのスケジュールを確認。土曜日はどうかと問うと「Oh!すいません。土曜は息子のFootballの練習があって…」そうか、彼らの家族はフツーに日本で暮らしているんだと、なんだか嬉しくなる。電話でお気楽妻のスケジュールも確認し、スカッシュの約束確定。
「遇う」とは、辞書によると「偶然に出会う」「思いがけなく知人に遇うこと」とある。その翌日、あるスポーツクラブで知人のご夫婦と遇った。「あっ!やっぱりIGAさん。お久しぶりです。隣のロッカーに奥さんの名前があったから、来てるんだと思って♬」とジムで奥さまに声を掛けられた。そこは彼らのホームクラブではなく、前回訪れたのは数年前とのこと。お気楽夫婦も3ヶ月に1度程度しか行くことはない、互いにビジターのクラブ。不思議な邂逅。そして実は、渋谷遭遇事件の前日には、二子玉川で前職の後輩に遇っていた。震災の影響でオープンが数日遅れていた二子玉川RISEのエスカレータ。妻が誰かと挨拶しているなぁと思って振り返ると、私が在籍していた頃に社長秘書をしていた女の子。「IGAさん、お久しぶりです。お変わりないですねぇ」そう言う彼女は入社間もなかった当時と違って、すっかり大人っぽくなっていた。思えば、その会社を辞めて以来だから、5年振りに会ったことになる。変わりもするかぁ…。すっかりシミジミするオヤヂ。
最近、そんなことがネット上で頻繁に起きている。Facebookに登録したものの、しばらく放置状態。ところがある日、前職の後輩から友だちリクエスト。Facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグを描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』を観た直後、ミクシィもブログもやっていない妻が珍しくFacebookに興味を持ったタイミングだった。彼からのリクエストを了解したところ、次々に懐かしい名前に遇った。同じくその会社を辞めたかつての同僚がいた。独立して会社を起こした先輩がいた。短い間だったけれど上司だった人がいた。年賀状のやり取りさえしていない方々と久しぶりにネット上で出会い、繋がった。かつての仲間たちの「今」を知ることができた。前職の会社との接点を意識して避けていた訳では決してない。けれど、妻がその会社に在職し続けていることもあり、積極的にコミュニケーションを取ることはしていなかった。けれど、実名での登録が原則のFacebookであれば、遇える、繋がれることが分かった。ちなみに、ノルウェー人社長も、知人夫妻もFacebook仲間。
「またリクエスト来たよ♬」震災後すぐにFacebookに登録した妻が楽しそうにiPhoneの画面を覗き込む。あの悲しい出来事のあった直後からTwitterが活躍した。新たにFacebookに登録する人が増えた。明らかに情報伝播の潮目が変わった。残念ながらデマの垂れ流しもあったけれど、確実にソーシャルネットワークが広がった。情報の真偽を自分で確かめ、取捨選択の判断をする目も必要ではあるけれど、今までの自分の視点や方法論だけでは得られない情報を入手できるチャンスが広がった。受けるだけではなく、発信する人が増えた。人と人のネットワークが複層的に広がった。
そんな今、実験的に(匿名性を前提に記事を書いている)自分のブログの記事をFacebookにリンクしている。善し悪しはある。現在、仕事での付き合いがある方にも、プライベートを曝け出してしまうことになる。お気楽夫婦以外の特定の個人が分からないようにとの配慮が一層必要になる。「でも、お気楽な内容が多いから、別に良いんじゃない?」と、相変わらずROMのお気楽妻。「ということで、発信は任せた!お腹が空いたから、そろそろ食べに行こう!」本城さんにお邪魔して天ぷらを食べ、その美味しさに却って火が点いてしまった「春の天ぷら」を食べるために、そして何より飲食業会活性化のために、天一 玉川店の“揚げ場”に向う2人。まぁ、良いかっ。こんな内容なら…。