街のGOOD DESIGN「Charming Town 長崎」

SyououAnnKissouがどんどん同じ顔になっていく。どの街にも同じ看板の店が増えている。ナショナルチェーンの店舗のデザインは、居酒屋系の赤く巨大な看板が象徴するように街の風景を壊す悪役視される場合が多い。他店より目立つように、さらに目立つようにと競い合い、ファサードの壁面を埋め尽くす。海外からの観光客から見たらエキサイティングな風景だ!という感想もあるかもしれない。巨大看板が通りにまで突き出る香港の街のように。渋谷のハチ公前交差点が外国人観光客に人気のように。香港の巨大看板は香港の持つ歴史の混沌を象徴し、エネルギッシュな香港らしい風景。複数の大型モニターが街を見下ろす渋谷のスクランブル交差点は統一感がなく、未来的で、猥雑。その中を大勢の歩行者があらゆる角度から整然と渡って行く。ある意味では実に日本的な風景。

NakanoyaKaguMenya日、長崎の街を歩く機会があった。プライベートで何度か訪れた街だが、仕事では初めての訪問。“浜んまち”と呼ばれる長崎の中心街、浜町をはじめとした複数の商店街が集まるエリア。大きなアーケードの下を、川沿いの道を、小さな路地を歩く。モダンな造りの老舗のカステラ店がある。風格ある佇まいの卓袱料理の店がある。オシャレな旗屋(?!)があり、一見ブティックかと思うラーメン屋がある。店の顔に個性があり、通り毎に特長があり、大きな看板に頼ることのないプレゼンテーションがある。飽きることなく街を巡る。店のファサードを撮りまくる。実に魅力ある街並だ。歩いて楽しい街だ。

KitchinSeijiFukusayaの景観については異なる立場から多くの意見がある。例えば、日本橋の上に掛る高速道路。歴史ある景観を壊しているという人もいれば、過去に描かれた未来の世界そのものだと肯定する人もいる。パリのエッフェル塔もかつては街の景観を壊す建造物だと言われた経緯がある。京都タワーや京都駅ビルしかり。浅草の金色のオブジェもまた非難を浴びた。馴染んだケシキを見慣れた人は異物を拒否する。けれど、全ての建築物は前世代の建築物を壊してきた。その繰り返しで現在がある。歴史的建造物や景観を残す必要があるというが、その歴史とは昭和なのか、明治なのか、江戸なのか。そこには素人がうっかり口にできない世界がある。

DejimaHarborえば、自由が丘の街並はオシャレで魅力的だ。けれど、歌舞伎町に同じ街並を求めたら、歌舞伎町の猥褻な魅力は失われる。一方で自由が丘的な街が増殖してしまうと、本家自由が丘の価値観も低下してしまう。街には独自のアイデンティティが必要なのだ。街の生命を育む街の文化がある場合、あるいは生物として変貌し続ける街には、その特性に合ったデザインが生まれる。長崎は、長い鎖国の時代に海外に向けて開いていた日本の窓だった。日本と海外の文化を融合することができた街だった。その歴史の価値や資産を長崎は大切にしていた。ナショナルチェーンの大きな看板の横で、創業慶応二年という看板が堂々と掲げられていた。長崎ならでは、そしてこれこそが日本。

ぅ〜ん。それで卓袱料理を食べて、夜景のキレーな中華レストランねぇ〜。確か、出張だったんだよね」と妻。街の文化を体感することも仕事に繋がる…ことを妻が理解してくれますように。

コメントする








002145939

SINCE 1.May 2005