ある日、初冬の公園で。『日本の恋と、ユーミンと。』

Yuming40thYumingBest雨音に気付いて遅く起きた朝は〜♪FM東京(当時)『小室等の音楽夜話』を聴いていた夜、耳慣れないメロディラインと下手なのか巧いのか分からない女性ヴォーカルが聞こえてきた。不思議な魅力に満ちたその曲に惹き付けられ聴き入った。小室等が「凄いアーティストが現れた」と興奮気味に曲を紹介した。1974年冬。私と荒井由実との出会いの瞬間だった。『12月の雨』というその曲は、2枚目のアルバム『MISSLIM』に収録されていた4枚目のシングル。翌年『ルージュの伝言』がヒットし、6枚目の『あの日にかえりたい』が初のチャート1位を獲得。あっという間にYumingブームがやって来た。

KichijojiKichijoji8を見ていた午後』に登場する“山手のドルフィン”に憧れ、『卒業写真』に力づけられた。中央道を走る度に車窓から競馬場とビール工場を探した。1976年の『14番目の月』を最後に、荒井由実から松任谷由実となり、一時的にユーミンの楽曲と疎遠になった。けれど1980年、『SURF & SNOW』の頃、夏はディンギー、冬はスキーの学生時代と共に再び彼女の時代にまんまと乗せられた。その後、映画に楽曲が使われ、CMとタイアップし、毎年冬に発売されるアルバムは話題になり、チャート1位になった。80年代はユーミンの時代だった。

Kichijoji2Kichijoji3もユーミンファン。2人でカラオケに行くときには妻はユーミン縛り、私はサザン縛りで歌うこともある。MITSUBISHI MIRAGEや、KIRIN LAGER PRESENTSなどの冠が付いたコンサートや、YUMING SPECTACLE  SHANGRILAなどに一緒に出かけた。最新アルバムのプロモーションとして、チケット代では賄いきれない採算を度外視した豪華なステージを楽しんだ。お気楽夫婦は、それぞれの青春のそれぞれ別の(笑)思い出があるユーミンを一緒に味わった。90年代は2人にとってYumingを共有する季節だった。

Kichijoji5KIchijoji6冬のある日、40周年記念ベストアルバム『日本の恋と、ユーミンと。』を早々に手に入れた。『やさしさに包まれたなら』から始まり、プロコム・ハルムをフューチャーした『青い影』まで。iMacでiTunesに入れて、最初はアルバムの順番通りに聴いてみる。なるほど、こういう順番で来ますか。その後はランダムモードで。予測できない順番で流れるユーミンの詞とメロディに、その曲毎に揺さぶられる。10代の頃の夏の日のこっ恥ずかしい記憶が、20代の冬の日の涙が溢れそうな情景が、次々に蘇る。

に間に合ったねぇ」一緒に出かけた公園で、妻が呟く。錦秋の井の頭公園。北欧や北米の湖畔にも見える風景が新鮮。朝からずっと聴いていたユーミンの曲が頭の中をリフレイン。♫どうしてどうして僕たちは出逢ってしまったのだろう…。♬明日の朝ママから電話で叱ってもらうわ、マイダーリン…。2人に流れる楽曲はそれぞれらしい。…それに、ウチのおフクロ、とっくにいないし。

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