Archive for 1 月 31st, 2013

ことばの力、文字の力『勘三郎 荒ぶる』小松成美 『聞く力』阿川佐和子

Kanzaburouの国は「言霊の国」だという。発したことばが現実に何らかの影響を及ぼす、ということを多くの人が漠然と思っている。それが言霊信仰。「くたばっちまえ!」などと忌み言葉を敢えて結婚式などのハレの席では言わない(そんな曲があったけど)だろうし、年末に「良い年をお迎えください」という誰もが口にする挨拶は、そんな信仰の尻尾。けれど、ことばの力を多くの人に伝えるには限界がある。そこで登場するのが文字だ。ところが、この文字というものがまたややこしい。人と人とが相対して、相手の表情や場の雰囲気を察して受け取ることのできる「ことば」と違い、文字通り「文字」でしか伝わらない。その周辺の状況を含めて表し、文章にするという技でしか伝えられない。ここが難しい。まして、書き手が勝手に構築できるフィクションの世界と違い、誰もが知っている人のことばを文字にして伝えることの難しさ。

三郎 荒ぶる』の著者、小松成美さんはその壁を軽々と超えている。話し手である中村勘九郎〜十八代目中村勘三郎が、この本の中に見事に閉じ込められている。頁を開くと、早口で大汗をかきながら話す勘三郎が飛び出して来る。話し言葉と地の文章が軽やかで熱の籠ったメロディを奏でる。勘三郎さんの葬儀の場で「肉体の芸術はつらい。その全てが消えてしまう」と坂東三津五郎さんが語っていたけれど、この本には勘三郎の遺した芸術の香りや欠片が残っている。生き急ぐように57年の生涯を駆け抜けた彼の熱が描かれている。彼を失ったことの大きさを改めて実感してしまう。改めて悲しみが溢れて来る。そして、おまけが凄い。文庫本の解説の宮藤官九郎が巧い。舞台や映画、TVと多くのメディアを駆け巡る彼だからこその文章のリズム。3行ごとに笑ってしまう。いろいろな意味でおススメ。

Agawa方、誰にでも他人のことばを文字にできる訳でなはないように、他人のことばを聞ける訳ではない。ましてや初対面の人から、その人のことばを引き出すことができるはずはない。2012年のベストセラーとなった阿川佐和子の『聞く力』には、ことばを引き出すコツのようなものが書いてある。「ようなもの」というのは失礼な言い方だけれど、思わず人に話をさせてしまう好奇心溢れる彼女のキャラクター、あるいはこの人に話をしたいと思わせる柔らかな知性と人との距離感に因る、彼女だからこそというコツが多いのだ。それが、彼女の語り口そのままのお茶目で知的で飾らない文章で綴られる。同じことを誰もが実践できる訳ではなく、だからこその達人であり、ベストセラーとなった1冊なのだ。

し長くなる引用。あとがきにこうある。「ほんの些細な一言のなかに、聞く者の心に響く言葉が必ず潜んでいる…自ら語ることにより、自分自身の心の中をもう一度見直し、何かを発見するきっかけになったら…そのために、聞き手がもし必要とされる媒体だとするならば、私はそんな聞き手を目指したいと思います」…ほ〜ら、できないでしょう。不遜に生きていたら、見過ごしてしまう相手のことば。もっと心を柔らかに人と接することができたら、聞き上手になれるのに。場を作ろうとして、不要なことばを発することもないのに。自戒を込めてつくづく思う。

とばの持つ意味や重みは人によってちがう。そのことばを発してしまうことで、知らず人を傷つけてしまうこともある。友人を失ってしまうこともある…かもしれない。「あなたは一言多いんだから気を付けなさいね!」と妻。…はい(汗)

*「ことば」を話し言葉(Parole)、「文字」を書き言葉(écriture)の意味で記述しております。

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