あぁ、忘れじのハイスクール♬「バドミントン♡LOVE」

HighschoolTakoの1周忌。故郷の街を訪ねるにあたって、ある思いが過った。この年始、父が亡くなったことをご存知ない方々にわざわざ喪中はがきを出すのではなく、年賀状をいただいたら寒中見舞いを出そうということにした。そんな年賀状の中に「帰って来たら声を掛けてくれ」という高校時代の先輩から短いメッセージがあった。毎年定型の賀詞だけだったのに、珍しく手書で添えられた一文に、ふっと心が動いた。寒中見舞いにはOB会でもやりませんか、と返信。30年近く直接連絡を取ることもなく、賀状のやり取りだけだったバドミントン部のコーチ。さらに春先に、お会いしたいですねとハガキを送る。

BadNodoguro張しながら賀状に添えられた携帯電話に連絡を取ってみると、変わらない声、懐かしい柔らかな庄内弁。あっという間に高校時代にタイムスリップ。一周忌の前日にお会いする約束を交わした。当日、待ち合わせの店「庄内ざっこ」に先に到着していたコーチ。ひとり小上がりの席に座る姿はか細く、老境にある見知らぬ人のようで、ひっそりと驚いてしまう。けれど「久しぶりだのぉ〜」という声は、やはり昔のまま。酒は飲めないというコーチと乾杯の後、「まだバドミントンやってんだよぉ」と笑顔で語りはじめると、高校時代の記憶がよみがえり、彼が20代の頃の姿を思い出す。

TeamHamaguriしいコーチだったよなぁ」先輩はそう言うけれど、ネガティブな記憶は残っていない。その頃は実際に辛かったし、厳しかったのだろうけど、今となれば甘酸っぱい思い出。朝練習、昼休みに練習、夜遅くまで練習。今思えば前近代的なトレーニングもずいぶんとやらされた。けれど、コーチがバドミントンが好きなことは伝わっていた。自分たちを育てようと思っていたことは分かっていた。だからこそ、バドミントンが好きになり、テニス、ラケットボール、スカッシュと競技は変遷したけれど、ラケットを使うスポーツを今でも続けているのだと思う。その原点で出会ったのが彼なのだ。

*高校時代の写真を見ると、筋肉の付き方は現在と同じ。ただし、今はその上に脂肪が乗っているだけ(笑)ラケットスポーツの基本は、技術も、体力も、筋肉も、高校時代に獲得したのだと実感。そして、スポーツは私の人生を豊かにしているし、お気楽妻と一緒になったのもラケットスポーツが縁のひとつ。だからコーチは恩人だと思うのだ。…そう伝えることができた嬉しい夜でもあった。

CycleKamo学した頃はKが強かったけど、最後はNが東北大会まで出場したんだよなぁ。団体戦でも優勝できたもんなぁ」と懐かしそうに語るコーチ。あれ?そうでしたっけ。学年で3番手の私は、いつも下級生のトップとペアを組んで大会に出場していた。団体戦の優勝には貢献できたものの、新人戦で地区3位になったぐらいで、個人戦では結果は残せなかった。だからこその曖昧な記憶なのか。けれど決して苦い想い出ではない。ノドグロの刺身、地の焼きハマグリ、月山筍の天ぷらを味わい、「大山」という母校のすぐ近くにあった酒蔵の酒を飲む。故郷の食材はつくづく美味しく、酒はしみじみ旨い。

日は愉しかったし、連絡もらって嬉しかったぁ」2軒目に付き合ってもらった(何しろ彼は下戸なのだから)弟が経営するバーのカウンタ席で、酒を飲めないコーチ、同じく飲めない妻と並んで座る。「いやぁ、なんだが良い夜だ」笑顔で語るコーチは、見た目はともかく、すっかり熱血コーチのまま。こちらこそ♬記憶の奥にあったいろいろなことを思い出させてもらった、とても不思議な夜だった。

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