保存と維持と修復と「鞆の浦、姫路城」

Tomonoura2Tomonoura1岡製糸場が世界文化遺産に登録された。登録名の「富岡製糸場と絹産業遺産群」という名が示すように、日本では初めての近代化遺産(石見銀山に続く2例めの産業遺産)としての登録だ。この世界文化遺産登録は、2004年に市に寄贈されるまで保有者だった片倉工業の「売らない、貸さない、壊さない」という方針で保存されてきたことで実現した。閉鎖した工場の固定資産税を払い続け、施設の維持、管理をしながら、当時の工法で復元工事をして保存に努めてきた片倉工業。操業時にも従業員に教育環境を整えるなど、社会的責任を強く意識して来た企業だ。そのブレのない経営姿勢に頭が下がる。

Tomonoura4Tomonoura3島出張の際に、鞆の浦という港町を訪れる機会があった。大伴旅人など、万葉集に歌われたように、古代から潮待ち風待ちの港として栄えた、歴史ある港町。町のシンボルである古い灯台(常夜)がある鞆港を中心に、昔ながらの商家などが立ち並ぶ街並が保存され、海外からの観光客も多い。この町に県道のバイパス建設による港の埋立て、架橋計画が持ち上がり、計画は景観を破壊してしまうという反対派と、町のインフラ整備を期待する推進派が対立した。訪れてみると確かに路は狭く、車両の入れない路地を観光客が行き来する風景があった。旅人の目線では好ましい風景でも、住民にとっての不便さの解消とのバランスは語るに難しく、余所者はコメントできない。

Himeji2Himeji4路を出張で訪れた際、修復中の世界文化遺産、姫路城の大天守を観ることができた。2009年から始った修復工事により囲いで被われ、大天守を観ることができない期間が続いていた。それが出張の数日前に囲いが撤去され、別名でもあるかつての「白鷺」の色が蘇って話題になっていた。けれど、瓦や城壁の色が不自然なまでに白い。白鷺ではなく、白過ぎ城だと揶揄されてもいた。けれど、これが本来の色らしい。城壁や瓦を固定する漆喰に黴が生えて黒ずみ、修復前の色になっていたという。*修復前の写真は、他のサイトから借用。見慣れていた色ではないから違和感がある、というのは人間の勝手な心理。…けれど、確かに白過ぎるくらい白い。

Himeji1Himeji3和の大修復と呼ばれ、日本各地の城がコンクリートで建築されたのとは異なり、平成の大修復は元の姿に戻すことに重きを置いているらしい。効率を求めた高度成長期の発想と、文化財修復と耐震性などを考慮した現在の修復には大きな違いがある。“元”の姿を再現することは歴史や文化的に意義がある。観光の視点からも意味がある。子供の頃に初めて訪れた大阪城で、コンクリート造りの城の天守閣にエレベーターで上って、子供心にも興ざめた記憶がある。けれど、歴史的に見れば、いつを“元”とするのかという課題もある。例えば、江戸城を“元”に戻すという際に、太田道灌が築いた平城の時代まで遡ることをしないだろうし、日本橋をどの時代まで戻って再現するのか。

路おでん、姫路産カラスミ、姫路の名産レンコンのサラダ、そして姫路の地酒。前夜に独り居酒屋飲みの写真をfacebookにアップすると、友人たちが「美味しそう!」とコメント。なのに「飲む前に走った?」と妻の厳しいコメントに、ホテルで走ったよとレス。文化的遺産を保存、維持するのが困難なように、飲んでばかりの私が体重と体型を維持するためには、日々のトレーニングが欠かせない。学生時代の体重まで戻らないまでも、せめて30代の体型に修復したいものだ。

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