終の住まいに?「リノベーション契約」
2014年 6 月29日(日)
20代の頃、初めてマンション購入の契約を交わした。物件は、世田谷区の北西部にある小さな中古の2DK。大学を卒業して間もなく、自分の年収(やたらと低かった)の何倍もの金額が記載された契約書に捺印をしても、その金額を支払うことに実感が湧かなかった。年収は定年まで毎年上がっていき、買い換える度に住居を広くすることができる、そして最後は郊外の一戸建てで、あがり。そんな住まいのスゴロク神話が生きていた頃。そんな神話は知らなかったワカゾーだったけれど、契約場所である新宿西口の不動産販売会社の高層階から、眼下に広がる家の灯りを眺めながら、この灯りのひとつ一つが、こんな面倒な手続を経ているのだなぁと、感慨深かった。
数年後、バブル期前に購入したマンションは、駅から近かったこともあり、3倍くらいの価格になっていた。売却して残債を精算し、差額を頭金にして買換えた。けれど、購入した物件も当然高くなっていた訳だから、残債も増えた。自分の住まいだから、儲かったという実感(実際儲かった訳ではないし)もなかった。さらに数年後、現在の住まいに買い換えた。パートナーも変わった。初めての新築マンション。最初に購入した物件の近く、お気に入りの街だった。とは言え、残債はさらに増えた。以降、繰上返済こそが最良の金融商品と信じて払い続けた。そして、完済。収入減を気にしない働き方を選択し、自分の住む街の「まちづくり」にも参加し始めた。
新築で入居した住まいも、購入後20年近くが経った。水回りなどの設備の老朽化が目立ち、震災後にますます気になってきた地震対策、老後に備えたバリアフリー化など、住まいを見直す機運が高まった。そして、全面的に改装、リノベーションすることを決意。数社と何度も打合せを実施し、相見積を取り、比較検討した結果、友人の建築家に依頼することにした。既存のメーカーの設備の組合せが中心の大手不動産会社の提案に比べ、自由度が高いことが決め手のひとつだった。建築家の友人が設計・管理を担当し、彼がこれまで多くの物件でタッグを組んできた、造作家具が得意な工務店が工事を担当することになる。
契約の夜、自宅を訪れてくれた友人と記念撮影。リノベーションを手掛けるのは初めてとのことだが、彼にとっても今後の仕事の拡がりが持てる案件になるならばと、期待を込めた契約でもある。儀式はさっと済ませて、よろしく!の乾杯に出掛ける。夏頃には工事に入り、秋に完成の予定。溢れる蔵書をどうやってスッキリと収納しようか。ビストロ風(どんなんだ?)カウンタキッチンにして、友人たちを手作り料理でもてなしたい。寝室とリビング、バスルームをウォークスルーにして大きなワンルームのような住まいにしたい。仮住まいにどの街に住んで、飲んだくれようか。そんなリノベーションに関わる全てのことが、今から楽しみだ。
「何だか楽しみになってきたよ」リノベーションに腰が引け気味だった妻。けれど、友人の建築家からラフスケッチが大量に送られて来て、イメージが拡がりテンションが上がった模様。「楽しくなったのは何よりです」友人からもそんなメッセージが届いた。この街に住んで延べ30年近く。富士山を望み、都心の夜景が遠くに楽しめる、適当に郊外な住み易い場所。リノベーションの契約をしたということは、これからもこの街に住むという決断でもある。10年後には連続立体化事業により近隣全ての踏切が解消され、駅周辺の様子も変わる。自分が関わって来たまちづくりの計画が、どのように実現していくのか。より住み易い街に進化できるのか。これからも、この愛する街の行く末を見届けよう。