誕生日の夜に♡「逆鱗/NODA MAP」

BD1めて野田秀樹の舞台を観たのは、1986年の秋だからちょうど30年前。前職のぴあ社に入社して間もなくの頃。既にメジャーな存在になっていた劇団夢の遊眠社の「小指の思い出」、本多劇場での第31回公演だった。野田が東大演劇研究会在籍中に立ち上げ、駒場小劇場を拠点に活動していたアマチュア劇団がプロに転じ、同年1986年夏には創立10周年企画として国立代々木競技場第一体育館で「彗星の使者(ジークフリート)」などの3部作を一挙上演したばかりだった。“小劇場”演劇の第3世代の旗手として、圧倒的な人気だった。「明るい冒険」「走れメルス」「半神」「透明人間の蒸気(ゆげ)」など、毎公演欠かさず劇場に通った。チケットが手に入れば…。そうなのだ。当時から野田の舞台のチケットは入手困難だった。1992年に遊眠社解散後、イギリス留学を経て、帰国後1994年にNODA MAP立ち上げて以降、野田の舞台の人気は衰えることなく、今に至っている。もちろんお気楽夫婦は大ファンだ。

BD2田のチケット抽選申し込み、金曜日で良いかな」チケット予約担当の妻からそんな確認を受けたのはずいぶん前。すっかり日程は忘れていた。そして公演当日。思い出せば去年も、そして今年も私の誕生日の夜に、なぜかNODA MAPの観劇なのだった。2016年は「逆鱗」。まだロングラン公演の序盤だから、ネタバレ的な記載はできないが、見終わってふらふらとしてしまう舞台だ。野田秀樹の才能に打ちのめされて、くらっと来る。物語の序盤から相変わらずのことば遊びで綴られた流れが、終盤に一気にことばとことばが繋がり始め、意味を持たなかったことばたちが意味を持ち、レトリックが現実となり、物語が収束していく。冒頭から何枚ものミラーパネル、透明パネルを使った巨大な水槽が目の前に現れる。シンプルな舞台セットなのに、いやシンプルだから、ステージが深く感じられ、広がりを味わうことになる。何度も鳥肌が立つ。メインキャストの舞台中央への現れ方が素晴らしい。快感でさえある。

BD4レゼントだよ。何もないのも淋しいからね」終演後に、予約もなしで入った店で、妻がそう言って渡してくれたのは『野田秀樹と高橋留美子』というタイトルだけで嬉しくなる本だった。毎年、誕生日前後の週末に都内のホテルに宿泊し、友人たちを招いてお祝いをするのが恒例だった。それが自分の欲求も叶えることができる、ホテルジャンキーの妻からのプレゼント。ところが、今年は予約したホテルを直前にキャンセル。妻の風邪がその理由だった。そんなタイミングでの誕生日。どうやら会場で慌てて購入したモノらしい。「それにしても野田は凄いね」妻が余韻を味わうように呟く。松たか子はさすがだ。阿部サダヲが美味しくて良い役どころだった。井上真央を初めて評価した。満島くんってどこかで見たと思ったら、松重豊と一緒に出てる名刺管理のSanSanのCMだ!そんな勝手なことを言い合いながら、まるでお祝いはついでのように「誕生日おめでとう!」ありがとう、と乾杯をする。

BD3南アジアのどこかの街のフードコートみたいな店だよね」妻のそんな声は、自分から発せられたものかと思った。全く同じタイミングで、同じことを感じていた。一緒に暮らして20年余り、同一化しつつある2人。新宿西口の小田急ハルクの地下にあるレストラン街だから、ハルチカ。レストラン街と呼ぶよりは、飲み屋街と言った方が相応しい。どうやら自らも食堂酒場と称しているようだ。韓国家庭料理あり、お好み焼きあり、焼きトンの店の名前は「ブビタミン」だし、串カツなら「でんがな」という直球勝負の店が境界なく連なる。そして何となく空いている席に座ったら、「オリーブ+オリーブ」というスペインバルのテリトリーだった。どこに座ってもどの店の料理をオーダーできると思い込んだ2人は、偶然にもその日の気分にぎりぎりフィットする店に当たったようだった。タパスの盛合せ、シーザーサラダ、砂肝のアヒージョなどをつまみながら、ジャンクな気分を堪能する。何だか楽しいぞ。

ぇ〜っ」と風邪で涙目の妻が深呼吸をする。その日は舞台の後は真っ直ぐに帰ろうと気遣ったにも関わらず、どうしてもお祝いの乾杯をしようと主張した妻。ありがたいし、嬉しかったけれど、さすがにそろそろ限界が近づいたようだ。もう帰ろうか。58歳になった夜、残りの人生について思い煩うことなく、お気楽に誕生日を迎えることができる幸福。大勢の方からお祝いのメッセージもいただいた。SNSでは繋がっていない、強制的に誕生日を知らされることのない(笑)古い友人からメールが届いた。ありがたいことだ。こうして、いろんな意味で記憶に残る1日が過ぎていった。多くの方のご期待通り、また1年、お気楽に歳を重ねよう。

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