還暦祝い、そして終活「義父母との日々」

Hamamatsu15月の連休は妻の故郷浜松へ向かう。それがお気楽夫婦の春の恒例行事。仕事を終え、品川駅で酒とツマミを買い込み、新幹線に乗り込む。そして車内で2人だけの宴会。これも恒例。今年は「Kodama」のオードブル盛合せ、「小麦と酵母 満」のパン2種。そしてビールと白ワインをゲット。この短時間の宴会は、妻が娘に、私がマスオさんになるための儀式のようなものであり、浜松に向かう旅の楽しみのひとつだ。

Hamamatsu2年の義父母とのイベントは、温泉&ランチ企画。そこで私の還暦を祝ってくれるという。ありがたく嬉しいことだ。浜松の奥座敷、舘山寺温泉の「ホテル九重」という豪華な温泉旅館を予約してくれた義父母と、まずは吹き抜けの開放的なロビーで記念撮影。ソファの横にはインスタ用のパネルが“自由にお使いください”と備えてあり、母娘でポーズを取ってもらう。浜名湖と対岸の大草山を背にインスタ映えする1枚が撮れた。

Hamamatsu3内されたのは、畳敷きのお座敷にテーブルと椅子の個室。周囲に気兼ねすることなく、床に座らなくても良いというのがポイント。膝の悪い義母と、腰痛持ちの義父にぴったりの部屋。年齢を重ねる毎に身体のあちこちにガタがきてはいるけれど、大きな病気もせず、こうして一緒に食事に出かけられるというのは、しみじみと幸福なことだ。父母を亡くし、特に晩年の母は半身マヒのリハビリ生活だったことを思うと、尚更だ。

Hamamatsu4い膳の料理は、食前酒の梅酒と前菜の盛合せから始まった。名前や訪問日入りのオリジナル箸袋が琴線に触れるばかりか、義父からお祝いのメッセージ、サプライズのプレゼントまで用意されていた。「昭和の感じでしょ♬」という義母のコメント通り、包みを開けると豪華な万年筆が輝いていた。万年筆のお祝いは、昭和の定番。「大橋巨泉のハッパフミフミだね」中学の入学の際に初めて万年筆をもらった記憶が蘇る。

Hamamatsu5松の宿らしく、煮物やお造りの後に出てきたのは「うなぎの夫婦焼き」という蒲焼と白焼きの盛合せ。ふっくらとした関東風の蒲焼きに、カリッと焼かれた白焼きがより添う。どちらも少しづつ食べられる、食が細くなっても食い意地だけは張っているお気楽夫婦にぴったりの料理だ。義父母はメインの牛肉料理、金目鯛の揚げ物に辿りつく前に「もうお腹いっぱい」と箸を置く。老人にはコース料理の完食は無理。料理界の課題。

Hamamatsu6らんだお腹を抱えて、温泉に向かう。新緑に覆われた大草山と浜名湖を望む露天風呂は「たきや船」を模したもの。「たきや漁」という、浅瀬が続き魚介類が豊富な浜名湖ならではの独特の漁法で使う小舟。松明(たきや)の灯に集まってきた魚を銛で突くという、今では観光客向けにも披露されている伝統漁法だ。妻と共に20年以上浜松に通っていれば、そんな事にも詳しくなる。のんびり湯船に浸かりマスオさん束の間の休息。

Hamamatsu7休中の浜松は、祭り一色になる。「浜松まつり」という市民祭りは、日中の初子を祝う大凧上げは晴れやかな高揚感があり、夜は激しい練りと優美な御殿屋台の対比が面白い。第二の故郷と言う呼び方を聞く事があるが、私にとって浜松はまさしく第二の故郷になった。浜松の街も、祭も、食べ物も、すっかり身近な存在。嬉しく有難い事に、浜松に来るたびに通うスポーツジムでも、スカッシュ仲間が毎回お相手をしてくれる。

Hamamatsu8墓は樹木葬ができるとこに変えたの。葬式は身内だけで…」自宅に戻ると義父母が改まった様子で妻に語り始めた。お気楽夫婦に子供はいないし、妻は一人娘。娘夫婦に愚痴をいうこともなく、淡々と娘に伝える義父母の選択は潔い。だからこそ、できる限りの協力とサポートはして行きたいと、マスオさんは思っている。妻と義父母に残された“親子の時間”はもうそれ程長くはない。私には永遠になくなった親子の時間。

妻と義父母のやり取りを傍らで聞くともなく、ぼんやりと聞きながら、義母の用意してくれた「うなぎいもせんべい」をかじり、ビールをグビリと飲みながら、自らの老後と義父母の終活に想いを馳せる、浜松の夜だった。

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