故郷を旅する夏「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」

Yamagata110年余り前に故郷に住む母が逝き、数年前に父が亡くなった今、“実家”も“生家”も無くなり、“故郷”は只の出身地になった。18年しか住んでいなかった故郷、それも物心付いてからの計算だと十数年しか知らない地方であり、それでももちろん10代という濃厚な時代を過ごした特別な土地でもある。そして、学生時代からアルバイトに明け暮れた私は、盆暮れに帰省するという習慣がなく、自分の故郷を知る機会がなかった。

Yamagata2が病に倒れ療養生活を続けることになって以降、見舞いのために定期的に帰省することになった。妻にとっては未知の街への旅となり、私にとっては故郷を再発見する旅になった。オトナになってから訪ねる故郷は、美味しい食材の宝庫だった。*空港の名前もいつの間にか「おいしい庄内空港」という愛称になっていた。だだちゃ豆、温海カブ、庄内米、岩牡蠣、月山筍、…子供の頃に身近にあった食材は、実は貴重なものだったのだ。

Yamagata3の夏、故郷を久しぶりに訪れた。母の13回忌と、父の7回忌。仲が良かった亡き父母は、偶然にも同じタイミングでお気楽夫婦を招いてくれた。実際に招いたのは父母と一緒に暮らした次弟だけれど、彼の日程調整の遅さで航空券が予約できず、久しぶりの上越新幹線と在来線特急を乗り継いでの帰省。お陰で美味しい駅弁を発見したり、ラウンジ付きの車両で日本海の風景を楽しんだり、潜在的な“乗り鉄”の血を確認できた。

Yamagata4ころで、今回の“旅”で楽しみにしていた宿があった。2018年に、米所である庄内平野のランドスケープ、水田の中に建てられた「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」というホテルだ。その土地に住む人たちにとっては、当たり前で身近すぎる水田風景の中にホテルを作る。他所者たる代表の山中氏が、地元の人には決して発想できない、他所から見た庄内の美しさを象徴としたプロジェクトだと言う。

Yamagata5岡市が「サイエンスパーク」を構想し、慶應大学と協定を交わし「先端科学研究所」を開所したのが2001年。その後、「スパイバー」をはじめとしたサイエンスベンチャー企業の拠点となり、プロジェクトの最終段階で、「ヤマガタデザイン」という民間主導で建築されたのがこのホテルなのだ。山中代表は慶応出身、大手不動産会社からスパイバーに転職、鶴岡に移住し、その後「ヤマガタデザイン」を立ち上げた。

Yamagata6テルの設計は世界的な建築家である坂茂氏。水田に浮かぶように建つ木造2階建てのホテルの姿は実に壮観。向かいに建つ「慶應大学先端研」のバイオラボ棟、サイエンスベンチャー各社のメタリックな外観の社屋を眺めていると、ここは本当に長閑な我が故郷か?と不思議に思う風景だ。チェックインは大きな吹き抜けに掛かる階段を上った2階フロント。その奥には開放的なライブラリーがある。実にワクワクする風景だ。

Yamagata7ロントやレストランがあるメイン棟から三方にガラス張りの空中回廊が伸び、各宿泊等を繋ぐ。客室はシンプルでコンパクトな造りながら、お気楽夫婦が予約した部屋は大きな(外から内部が見えない)ミラーガラス窓の先にテラス付き。部屋の狭さを感じさせないデザイン。いい部屋だ。いい眺めだ。ただ長閑な水田の風景が広がるだけなのに。子供の頃には見慣れていた、何もないと言いかねないような場所なのに。

Yamagata8宿泊棟の先には、水田に突き出した形でフィットネスジムと温浴施設がある。半地下になったジムのマシンに乗ると、視線がちょうど水田の水面になる。目の前をアメンボがスイスイと泳いでいる。トンボが水を飲みに来る。ふふふ。思わず笑みが零れる。これは気持ちのいいジムだ。汗を流した後は上階の温泉へ。円形のドーム状の屋根の下に、半露天風呂まで付いた本格的なスパ。水田の向こうの山を眺め、ふぅと息を吐く。

Yamagata9いホテルだね」地元の食材を堪能し、ライブラリーでのんびり読書をし、緑の田園風景を眺めていたお気楽妻が呟いた。それは良かった。これでホテルフリークの妻の折り紙付きの宿になった。こうしてまた故郷を再発見することができた。東京から飛行機で1時間、空港から車で20分。好きな旅先の一つとして(笑)魅力が増した、美味しい食材に溢れた山形県鶴岡市のオススメの宿。「また行くよ!」と妻。もちろん喜んで!

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SINCE 1.May 2005