毎週日曜日、10年以上通い続けているスカッシュのレッスンを終えると、身体はカラっからになっている。スポーツドリンクを摂りながらプレーしてはいるものの、1時間のレッスンの途中でウェアを着替える程、たっぷりと汗を出し尽くす。レッスン前と後では1kgぐらい体重が減ってしまうこともある。身体が水分を欲している。キリッと冷えたビールを!どうか我に与えたまえ!という状態になる。もちろん、知っている。利尿作用があるビールを飲むことは、乾いた身体には逆効果であることぐらいは常識。けれど、理性と本能の葛藤勝負は、かんたんに本能の勝利に終わる。ましてや、夏。土俵際での粘りなど一切なく、ほぼ秒殺。この一杯を飲むために汗を流してるんだ!という喉越しの快感の圧勝。理性の出る幕はない。
クリーミーな泡を楽しみながら、グイッとひと口目の生ビールを飲む。ナムルの盛り合わせをつまみに、上タン塩を焼き始めるも、気持は生ビールに全力で向かっている。ぷはぁ、旨い。その日のスカッシュレッスンの後は、焼肉。野菜摂取にただならぬエネルギーを費やす妻ではあるが、この焼肉店「四季の家」は大のお気に入り。ニンジン、ホウレンソウ、シイタケ、ゼンマイなど6種類のナムル盛合せがお得で美味しいのを筆頭に、サンチュ、チョレギサラダなど、野菜がどれも新鮮で旨いのだ。もちろん焼肉店だから、上カルビ、リブロースなどをオーダー。むろん美味しい。けれど、お気楽夫婦にとって、この店の買いはビールと野菜、ときどき肉。ナムルの食材毎の食感と旨さを味わい、肉の脂をビールが絶妙に流していく。幸せの組合せ。
スカッシュが大好きなだけではなく、スポーツジムオタクでもある2人。上場している各スポーツクラブの株を購入し、株主優待券をフルに活用して各施設を巡回する。お気に入りのクラブのひとつはスポーツクラブ&スパ ルネサンス経堂。ジムが広く、スパ施設が充実しており、半露天の風呂まで付いている。汗を流した後にひとっ風呂。そして、経堂の街でお約束のビール。お気に入りの店のひとつは「洋食バル ウルトラ」。とは言え、仕事の後にジムで走ってからの風呂というコースだから、最初の1杯を飲む時間は22時を回っている。身体に良いのか悪いのか。でも、んまい♬くぅ〜っと思わず言ってしまう旨さ。加えてポテトフライが大好きな2人。身体に良いのか悪いのか。答えは明白。しかし、ここでも本能の快勝。コールドゲーム。
芝居の後も、汗を流す訳ではないけれど、もちろんビール。夏だしね。下北沢の本多劇場、駅前劇場、スズナリなどの小劇場で観る芝居が多い2人。観て来たばかりの舞台の余韻を味わいながら、いつもの泡盛バー「Aサインバー2号店」でオリオンの生をぐびり。ジョッキはきんきんに冷えている。ここまで冷やさない方が良いのだけれど、心意気を良しとする。会場で配られたチラシを吟味し、次は何の芝居を観ようかと企む。お酒の飲めない妻はウッチン茶を飲みながらカリカリポークをかじる。クーブーイリチーをつまみに、北谷長老のロックをぐびり。仄暗い店内に流れる音楽は、ビリー・ジョエルだったり、B.スプリングスティーンだったり、R.スチュアートだったり。演劇と音楽と沖縄が酒の中に溶けて行く。大好きで大切なな時間。
「結局、いつでもどこでもビールってことだね」と妻の突っ込み。看板には「餃子とビールは文化です。」と店先に看板を出す「肉汁餃子製作所ダンダダン酒場」の下北沢店で、その名キャッチに納得しながらビールをぐびり。確かに、その日はジムでも走らず、芝居も観ず、仕事の帰りに立ち寄っただけ。ビールの美味しさは店により、シチュエーションにより、誰と飲むかにより、変わるけれど、美味しいという事実は変わらない。やっぱり夏はビールだ!「冬でも、くぅ〜っ旨い!って言ってるよ」という妻の呟きは聞こえなかったことにしよう。
台風が首都圏襲来の予報。きっとジムもガラガラに空いてるだろうし、がっつり走って、軽く食べようか。そんなことを企んだお気楽夫婦。交通機関の乱れを避け、早めに帰宅。…だいたいこの時点で2人は間違っている。交通機関が乱れるのを避け、仕事を早めに終えたのに、なぜわざわざ電車やバスに乗り、ジムに向かおうとするのか。社会人としていかがなものか。と、そんな2人が自宅を出ようとする頃、行く手を阻むような突風、大粒の雨。傘も使えそうもない。「やっぱり無理かなぁ」不謹慎で不穏当な社会人は諦めが早い。「じゃあ、何か美味しいモノでも食べに行こうか!」お気楽な2人は気持の切替も早い。幸い2人の住まいの近くには飲食店がたっぷり。
「石垣牛はどう?」妻が前から気になっていたというご近所の店「コーナーズグリル」に向かう。この台風もはるばる八重山の海を経て、東京までやって来た風雨。そんな夜に八重山の牛を食するのも一興。店の前に着くと、入口のドアを半開きにして、心配そうに外を眺める店主と目が合い、軽く会釈して店に入る。「こんな嵐の日にありがとうございます」と店を挙げてのご挨拶。見渡すと、なるほど。さすがに客は誰もいない。スッキリとしたインテリア。嵐の日には羨ましくなるような、石垣島の青い空と海の写真が何点か飾られている。メニューには石垣牛のステーキ、ハンバーグの他、ゴーヤのサラダ!さらに、飲物メニューの中には泡盛まで。ウチナー色満載。
石垣牛A4ヒレステーキ100gをオーダーしようとすると、「申し訳ないです。台風で石垣牛が入って来てませんで、在庫がないんですよ。こちらのA5石垣牛200gのサーロインも最後の1枚なんです」ふぅむ、台風の影響をもろに感じる夜。気のせいか風雨も強まってきた。では、それをください。メインの前にゴーヤやラタトゥイユが入ったサラダ、シュリンプとアボカド。どちらもボリューム感たっぷり。「うん、美味しいし、なかなか良い感じだよ」妻も生野菜をたっぷり摂れて満足そう。大振りのシュリンプとアボカドソースの組合せも気に入った模様。店に流れるBGMは、蛇味線(たぶん。三味線かもしれないけど)演奏のジブリ映画サントラ。不思議に店に似合う。
「お待たせしました」メインの石垣牛A5ランクのサーロインが鉄板に乗って堂々の登場。さっそくレモンを絞り、島マース(塩)でさっぱりいただいてみる。「美味しいぃ〜っ。肉の脂が優しい」脂が苦手な妻も絶賛。確かにただ柔らかいだけでなく、しっかり旨味や主張のある肉。もともと石垣牛は神戸や松阪に子牛として売られていた黒毛和牛。いわば高級和牛のルーツ。2000年沖縄サミットで各国の首脳に夕食会で提供され、一躍スポットを浴びた。この店も本店は石垣島にある有名店、その唯一の支店がなぜかこの場所にある。お気楽夫婦宅から、わずか徒歩1分で味わえる八重山の美味。思わず嬉しくなり、石垣の泡盛をロックでオーダー。なかなかの相性。旨し。
「これはハンバーグステーキも食べに来なくちゃね」すっかり妻はお気に入り。そして見回せば、いつの間にか店には何組かの客が、ハンバーグを美味しそうに食べている。毎回ステーキを食べるとなると、お腹にも財布にも厳しいけれど、ハンバーグならバリエーションも多く、お手頃価格。挽肉が苦手な妻でさえ、積極的に食べたくなる石垣牛。次はぜひハンバーグをいただきに伺おう!
ある家族には当然のことでも、他の家族からすると、それは不思議なことであったり、異常なことであったりする。例えば、家族の間でしか分らない約束事であったり、符丁であったり、常識であったり。江國香織『抱擁、あるいはライスには塩を』に登場する柳島家の場合、子供たちは学校に通わず、家庭で教育されている。そして、ある日突然小学校に通うことになり、次女の睦子は柳島家と世間との違いを知る。彼女の姉は父親が違い、弟は母親が違う。そして、姉の父とも、弟の母とも交流があり、3世代の住む洋館に集うことがある。読者からしてみたら、突っ込みどころが満載の設定。なのに、柳島家は実に自然なのだ。確固とした存在感があるのだ。一族の日常がどんなに常識外であっても、余りにもノーブルであったとしても。
江國香織が紡ぐ物語は、読者が住む現実世界と薄いヴェールで仕切られていながら、確実にすぐ隣に存在する世界で展開される気配があった。柳島家の3世代、100年に渡る物語は、その異世界ぶりが一段と濃厚だけれど、現実的な存在感もまた強い。家族間に通底する倫理観など、ほとんどの他の家族には通用しないはず。けれど、彼らの関係は実に心地良いのだ。ラディカルな恋愛感や家族同士の距離感が好ましいのだ。魅力的なのだ。そんな柳島家で交わされる合い言葉、「かわいそうなアレクセイエフ」や「ライスには塩を」が、どんな場面で使われるか、未読の方はぜひ楽しみにして読んで欲しい。そして、エンディングに用意された、驚きの展開。章ごとに主人公(語り)と時代を変えて語られる大河小説の趣き。すぐにでも再読したい1篇だ。
14歳の主人公、坂本ミキの家族の場合、父親はある日突然会社を辞めてしまったニート状態だし、母親は子供たちの中でひとり成績優秀な息子を溺愛しているし、次女の不思議系の美少女は精神を病んでしまう。それでも家族という単位の中では、奇妙なバランスで保たれてきたのに、ある日崩壊してしまう。そんな坂本家にとって、主人公の三女ミキの逞しく健気な存在が頼り。けれども彼女もクラスの中では浮いた存在で、ある種のイジメを受けている。そんな設定なのに、例えば重松清の描く学校物語のような重苦しさがない。ミキの客観的な視点だったり、彼女の不思議な明るさや、おばあちゃんのキャラクターが物語全体を暗部に沈み込ませない。救いやユーモアが溢れている。そして何よりも美少女、マミちゃんのスタンスが良い。
エンディングを迎えて、まだまだ続きを読みたくなる物語があるけれど、この作品がまさしくそんな1冊。ミキとマミの姉妹が、それまでの物語の暗部を全て吹き飛ばしてしまうような爽やかなラスト。思わず納得するオチもしっかり付いている。語りを次女のマミちゃんに変えて、新たなストーリーを展開して欲しい。「ん?マミだけ、ちゃん付き?どんだけ可愛い子好きなの?」と鋭い妻の指摘に腋汗がたらり。感情移入して読んでいたのは、マミちゃんの視点だったことに気付く。我が妻ながら、さすがである。