世田谷線の松陰神社前から徒歩30秒。お気に入りの小さなビストロがある。その店のオードブルを食べたのは1週間前。それもテイクアウトで。ランチBOXに詰められたサーモンのミキュイ、キャロットラペ、パテドカンパーニュなどを丁寧に皿に盛付け、妻と2人で乾杯。その日、肉好きカップル2組と一緒に予約していた席を急遽キャンセル。インフルエンザと大雪に負けてしまい、さらに参加メンバーの1人が風邪でダウンした結果、せっかく楽しみにしていた29の日:謝肉祭ディナーが流れてしまったのだ。そこで、せめてオードブルだけでも自宅で味わおうと、妻が店に立ち寄り料理を持ち帰ってくれたという顛末。なのに、インフル後遺症が残り、ワインを飲みたいと思えない。トロワキャールのオードブルをワインなしで味わうなどという日が自分に来るとは思いもしなかった。美味しいけれど、何か物足りない。
1週間後、飲めなかったワインを、食べられなかったメイン料理を味わうために、トロワキャールへ向かった。「たいへんでしたねぇ。もうワイン飲めるようになりましたか」木下シェフと奥さまのまゆみちゃんが、いつもの笑顔で迎えてくれる。やっと飲めるようになったので、がっつりと肉を食べに来たと伝える。芝居を観終わった後ということもあり、ラストオーダー直前の遅い時間にカウンタ席に座った2人。入れ替わりに先客たちが帰り、他に客は残っていない。すると、木下ご夫妻がシャンパンのグラスをお気楽夫婦に持って来てくれただけでなく、自分たちも手に持ち「お誕生日のお祝いをしましょう」と乾杯していただく。これは嬉しい。ありがとう。誕生日当日はインフルで自宅に籠り、その数日後に予定していたホテルでの誕生日パーティもキャンセル。宙ぶらりんだった誕生日のお祝い気分が一気に戻って来た。
「Facebookに写真を載せてた、温かい料理が食べたくなって、釣られて来ちゃった」と妻。木下シェフが数日前にタイムラインにアップしたのは、「塩漬け豚バラ肉のベルギービール煮込み」、そして「子羊のナヴァラン」。いずれも残雪が残る週末にぴったりのほっこり料理。メインの肉料理を待っている間、自家製のハムを肴にまゆみちゃんが選んでくれたワインをいただく。しみじみ旨い。同じ料理なのに、ワインなしとありでは料理の味わいが全く違う。「ガス入りの水でも美味しいよ」という妻の言い分も分からないではない。実際に先日のオードブルも充分美味しかった。が、肉の脂の旨味とワインの酸味や香りが一体となった時、つくづく幸福だと自分の健康に感謝したくなる。そう呟くと「良かったですねぇ♬」と言って笑うまゆみちゃんの声を、いちだんと嬉しく愉しく感じる夜だ。
「お待たせしましたぁ〜っ」とメインの皿がカウンタに並べられる。豚バラ肉のビール煮に合わせてヒューガルデンホワイトをぐびり。ほろほろと口の中で柔らかく崩れる豚肉の舌触りを楽しみ、ヒューガルデンを口に含む。すると、ビールの香りが一気に立ち上り、今までに飲んだことのない味わいに変化する。これは凄い。マリアージュどころか、ケミストリーの組合せ。「どれどれ」と妻もひと口。「ホントだぁ〜。花やフルーツの良い香りだねぇ」これを至福の時と言わず、何を讃えよう。「これも美味しいよ」妻の好みは子羊のナヴァラン。香味野菜とトマトで煮込んだ子羊の皿に、目にも鮮やかなたっぷりの季節の野菜が盛付けられている。Printanier(プランタニエ)、春の気配を纏った煮込み料理。
「1週間かけて誕生日のお祝いをして、コース料理を食べた感じだね」そう、2days a week♬、週に8日(8days a week♬)ならぬ、週に2日の絶品ビストロ料理。温かな料理だけではなく、木下夫妻の優しさや温かさも一緒に味わった夜だった。あ、来週も伺います。今度こそ、肉好きのカップル2組を引き連れて。
きっかけは真っ赤なココット鍋だった。フランスのアルザス地方で創設されたストウブ社のミニオーバルココット。主力商品の鋳物ではなく、わが家のものはセラミック製で、電子レンジでも気軽に使える優れもの。後輩の披露宴の引き出物(カタログで自分たちが商品を選べる)でいただいた。これが実に便利なのだ。いろいろな野菜をカットして、塩、ブラックペッパー、オリーブオイルで軽く和え、ココット鍋に入れる。野菜の種類にもよるが、蓋をして60秒から90秒、レンジに入れて出来上がり。料理とは言えないぐらいカンタン。見た目も色鮮やかで食欲をそそる。ココット鍋のままで食卓に出し、そのまま食べるも良し。一度ボウルに戻し、ドレッシングを少し加え、冷めたてから食べても良し。最近では、2年近く続いている妻のサラダランチのメインレシピのひとつとなっている。
このカンタン料理の良いところは、無水調理ということでもある。焼いたり炒めたりという調理よりは油の量が圧倒的に少なく済む。すなわちカロリーを抑えることができる。食材の味を最大限に活かした素朴な味付けで、旨味がぐっと凝縮する。特に野菜が美味しくなる。野菜が持つ甘みや旨味を感じることができる。野菜のビタミンCは水に溶け易く熱に弱いけれど、無水料理なら損失が少なく済み、素材の栄養素をまるごと摂ることができる。…などと、良い事尽くめのようだけれど、料理のポイントは美味しく新鮮な野菜にある。この点で、お気楽夫婦は恵まれた環境にある。自宅のすぐ前にファーマーズマーケット(地元JAの直売所)があるのだ。妻は、そこでお買い得価格で新鮮な1週間分の野菜を買込み、「これで来週もランチサラダお願いね♬」と、私に丸投げするのだ。やれやれ。
とは言え、美味しい料理がカンタンにできるとなれば、料理好きの血が騒ぐ。腕や愛情はもちろん、調理は道具だ、盛付けだ!というポリシーで、更なる料理のバリエーションを求めたくなる。めったに自宅で料理をしないお気楽夫婦。なのに道具はしっかり選ぶ。鍋などは10年、20年と長く使うモノだから(ましてやわが家の使用頻度からしたら長く持つ)気に入ったものを選びたい。ということで、2人の間に急速に人気が高まった無水調理の幅を広げる為に、鍋を買いに出かけた。当初想定したのは大きめのサイズのストウブ。ところが、セラミック製は小さなサイズしかなく、鋳物は電子レンジで使えない。そこで方針変更。いつ買ったのか記憶にない、不本意ながら使い続けている(なぜか蓋も付いておらず、とても不便)アルミ製の鍋に引退してもらい、新たに蓋付きの鍋を買うことにした。
悩みつつ選んだのは、Vita Craft(ビタクラフト)のマルチパン。1939年にアメリカで創業したビタクラフトは、宇宙工学の技術から生まれた多層構造の鍋。ステンレスとアルミニウムを重ねた金属板でできた鍋は、熱効率が良く、名前の由来通りにビタミン(ビタ)を逃がさない手作り(クラフト)の鍋らしい。短時間に素材の油分や水分を利用して無油調理、無水調理ができるという。少々お値段は張るが、野菜好き、油嫌いの妻がNOと言うはずもなく、納得のお買い上げ。後日、さっそく新たな料理にトライ。まずはキャベツと豚バラ肉を順番に敷き、各層毎に塩胡椒をぱらり。何層か繰り返した後に、えのき茸と細く切ったニンジンを乗せ、少なめの水とチキンコンソメを少々。後は数分間弱火に掛け、余熱で火が通るのを待つだけ。鍋料理というよりホットサラダの感覚で、複数のドレッシングで食べ分けいただく。
「美味しいぃ〜っ♬」残業月間が始まり、遅い時間に帰宅した妻が唸る。「野菜が甘くて味が濃いね。味付けはさっぱりして美味しいし、これは良いね。この鍋は良い仕事するね」…こうして新しい鍋は見事にデビューを飾った。そして数日前に引退の花道にとおでんに使った鍋を廃棄。古いモノを捨てなければ、新しいモノは買えない。収納スペースに限りがあるお気楽夫婦宅の鉄則だ。