
父が入院した。数年前に胃癌を発症し全摘。その後リンパ腫で入院。そしてこの冬、腎機能不全で3度目の入院となった。昨春、サクラの頃に80歳を迎え傘寿を祝ったばかり。大病を患ったとは言え、まだまだ元気な親父だった。けれど今回は弱気になっているらしい。同居する弟からそんな連絡をもらい、週末に北の街に向った。折しも強烈な寒波襲来。故郷の街に向う飛行機は「雪のため引き返す場合あり」という条件で出発。その不吉な予言通りに除雪作業待ちで着陸できず。燃料は大丈夫なのかと心配になるほどひたすら旋回。ようやく着陸し、迎えに来てくれた弟の車で雪の降るまちを目指す。

山形県鶴岡市。藤沢周平、丸谷才一、佐藤賢一らの作家を生んだ北の街。その街の雪の降る風景から生まれた歌がある。『小さい秋みつけた』などで知られる中田善直作曲『雪の降るまちを』という楽曲。淋しげながら力強いメロディ、しんしんと降り積もる雪の情景が浮かぶ曲。雪の降るまちで父親が入院しているのは最新の医療設備を持つ総合病院。病室のベッドにはすっかり病人然とした父親が横になっていた。今までの大病では病人なんかじゃないという気概があったのに、今は病気に押され気味。踏ん張れ。親父!まだやりたいことが残っているはずだ。おふくろの7回忌の企画もしなくちゃ。

「すっかり弱気でね」あれこれと世話を焼いてくれている弟が零す。うぅむ。昭和一桁生まれの父。経済的には苦労したことも多かったけれど、ずっと矜持を持って生きてきた。「それを持てなくなったらオヤヂじゃないよな」弟が続ける。ん。店に出る前に一緒にちょっと飲もうか。数年前に公務員を辞め、バーの経営を始めた弟。彼の店は、いい音で好きな音楽を聴きながら美味しい酒が飲める、実に良い店になった。地元でしか味わえないガザ海老や寒鱈汁を味わいながら杯を交わす。父の話でしんみりした頃、常連客からの予約が入り、弟が店に向う。後で店に寄るよと背中に声を掛ける。

「昨日は飲んでたねぇ。その分ジムで走るよ!」午前中にお見舞いに病院に、そしてランチの後に宿泊先のホテル提携のスポーツジムへ。どんな時でもライフスタイルを変えない妻。ある意味立派。「だって今夜もたっぷり飲むんでしょ。美味しく飲んで食べないとね」そんなポジティブな妻のことばに救われることも多い。汗を流し、もう一度病院を訪ね、夕食に出かける。美味しいズワイガニを食べたいという妻のリクエストで予約した「紅屋」で冬の味覚を堪能。満足の夕餉。そして連夜の深酒。妻の予言通り。

帰路。早朝に起き、スカッシュのレッスンに間に合うように飛行機に乗る…はずが欠航。慌てて特急列車を予約し、新潟経由で帰る計画に変更。駅に向うと特急の前を走る電車が雪だまりに突っ込み除雪中とのアナウンス。そして見事に運休が決定。そこからの対応が早かった。代行運転の大型バスが駅前にスタンバイ。新潟駅に向うという。2台のバスが数メートル先も見えなくなくなる地吹雪の中、新潟へ向う。そして3時間かけて新潟駅に到着。ふぅ。駅弁を買込み新幹線に乗る。ホームで待ってすっかり冷えた身体。なのに寒さに凍えながら缶ビールをぐびり。雪だるま弁当の顔も困惑気味。
「お疲れ様でした、だね」それはそのまま妻に返すべきことば。ありがとう。スキー場に来たみたいだとはしゃぎ、北国の冬の味覚を楽しみ、いつもの週末のようにジムで汗を流した妻。当然のように妻に同行してもらった帰郷は、とても心強く温かい旅だった。そして『雪の降るまちを』は、こんな歌詞で終わる。
「遠い国からおちてくる この想い出をこの想い出を いつの日か包まん あたたかき幸せのほほえみ」
■食いしん坊夫婦の御用達 「紅屋」*お店の情報、過去の訪問記など
ターミナルがまたひとつなくなってしまう。2013年3月16日、東急東横線が副都心線と相互乗り入れを開始。始発駅であり終着駅だった東横線渋谷駅は地下に移動し、中間駅となってしまう。ターミナル(Terminal)は終点、末端を意味するが、さらに語源を遡ればギリシャ神話のテルミナス(Terminus)に辿り着くらしい。テルミナスは境界を守る神であり、ローマ時代にはテルミヌス(Teruminus)として所有地の境界に標石を立てたという。日本の鉄道は相互乗り入れが多く、欧米に多く見られる頭端式(列車が通り抜けることができない方式)の駅は元々少ない。その数少ないターミナルである東横線渋谷駅が間もなく消えてしまうのだ。
一方で、語源に関係なく、ハブの役割を持つ巨大な駅をターミナル駅と呼ぶことが多い。多くの鉄道路線やバスなどが乗り入れ、交通結節点となっている駅。総称としての東京駅、渋谷駅、新宿駅、上野駅、品川駅などがそれに当たる。それらの駅は相互乗り入れでどんどん便利になる。そして、駅構内・乗換ルートの案内板や鉄道路線図はさらに複雑になる。デザイナー泣かせ。さらに、ロマンスカーが発着する小田急線新宿駅、北に向う列車が並ぶJR上野駅などに残っているような旅情は失われてしまう。始発駅の東横線渋谷駅が好きだった。仕事で自由が丘に向う日々。毎日小さな旅情と、ちょっとしたワクワク感を抱えて通っていた。
20代前半、東横線の下り終着駅が桜木町だった頃、週末の朝早く渋谷駅から電車に乗った。桜木町で電車を降り、小さな橋を渡り、海上保安庁の官舎に向う。古びた宿舎に住んでいたのはアルバイト仲間だった友人。海上保安官となったその友人はスキー仲間であり、山登りのパートナーだった。さらに、毎週末には他の保安官仲間何人かと一緒に購入した小さな中古のディンギーを楽しんだ。ヨットは海上保安学校の必須科目。海上保安庁と大きく記された黄色い救命胴衣を着込んでセーリング。ハーバーに係留するお金がなかったため、友人の親戚が住む野比海岸の砂浜に船を陸置き。古タイヤを4つ並べ船体を載せていた。貧乏ヨット。だからこそ、とても楽しかった。
ある日、京急線に乗って三浦方面に出かけた。訪問先の最寄駅はYRP野比駅。いつの間にか名前は変わっていたけれど、週末に通っていたかつての野比駅。商談が終わり駅に戻る。ランチタイムも終わっており、遅い昼食を取られる店もなさそうだ。温かな日射し、風もない。ふと思いつき、売店で買ったランチボックスを抱えて海に向う。対岸の房総までくっきりと眺められる好天。この辺りかと見当を付けた場所にはもう砂浜もなく、護岸工事を終えた海岸線は公園として整備されていた。ふぅ〜ん。遠く三浦の突端、剣崎が見える。あの辺りまでしか行けなかったなぁ。沖に係留した三浦海岸で海水浴客に疎まれたなぁ。学生時代を終えようとしていた終着の頃、社会人になり始めの出発の頃。この海に遊んだ。懐かしさが溢れる三浦の海だ。
「私がやってたのは反対側だったからなぁ」かつて、葉山を拠点に友人たちとクルージングしていた妻。2人はまだ出発していなかった。場所が違うだけではなく、同じスポーツでも、レジャーでもない。へんっ。貧乏ヨットも楽しかったさ。桜木町を経由して、三浦の海に続く駅。3月16日、東横線渋谷駅がターミナルではなくなる日。もう一度、今度は妻と一緒に海まで出かけてみようか。
またこの季節がやって来た。国民全体で信じる特定の神が存在しない日本。クリスマスをお祝いし、神社やお寺で初詣をし、チョコレートを贈り合う。もしかしたら今の日本で「八百万の神」と言う時にはキリストやサンタクロースや、St.ヴァレンタインも含まれているのかもしれない。その起源や謂れは知らなくても、豆を撒いたり、七夕飾りをするようにチョコレートを贈る。宗教的な意味合いは薄れるどころか最初から存在せず、企業が仕掛けた戦略に乗っかり、もはや季節の恒例行事。義理だったり、本命だったり、最近では友チョコ、自分チョコなどと贈り合う。プレゼント下手の国民のことだから、こんな習慣は悪くない。お歳暮やお中元がなくなっても、きっと友人に気軽に贈るチョコはなくならない。
今年もたくさんチョコレートをいただいた。2月生まれの特権で、誕生日に合わせて早めのヴァレンタイン・チョコレートを頂くことが多い。今年のヒット作はスカッシュ仲間のアスリート系女子にいただいたキットカットの大人ヴァージョン。それもヴァレンタイン期間限定の写真付き。オリジナルの写真を選び、サイト上に用意されたテンプレートを使ってデザインできるもの。びっくり。仕事先のスタッフ(働く奥さま)たちからもいただいた。いつもお世話になっています!というメッセージを添えて。妻からも毎年異なる趣向でチョコをもらう。今年はマンディアンのアソート。ワインのお供にもなりそうなビターチョコ。さらに今年はマフラー付き。つい先日マフラーを失くしてしまった私。失くしたことを怒る代わりに贈り直してくれた。感謝。
けれど、今年はもらえなかったチョコがある。毎年お互いに奥さまからダンナへ贈り合っていた友人夫妻。なのに、ちょっとした行き違いから連絡が取れなくなってしまった。淋しい。毎年溢れんばかりの笑顔と共にいただいたチョコレートが嬉しかった。3月にお返しするスイーツを選ぶのも楽しみだった。それができなくなった。悲しい。一緒に食事をしたり、出かけたり、そんな日々がずっと続くと思っていた。それが突然会えなくなってしまった。呆然。喪失感が絶えず身体から離れない。彼らがいた場所が空洞になってしまった。気持にぽっかりと穴が空くということはこういうことかと実感する。気丈でポジティブな妻は落ち込む私を懸命に励ましてくれる。それがありがたく、だからこそ悲しい。
「そんなこともあるよ、人生ってやつには」と妻。そうだね。まだ気持の整理はできないけれど、失った痛みを無理に治そうとせずに、痛みに慣れて行こう。空いた穴は塞がずに、空いたままで暮して行こう。いつか、また皆で一緒に会えると良いね。そう願ってブログの記事を書く。ぽっかりと、まだまだ淋しい週末だ。