ご近所に住む友人夫妻がいる。今は一緒にスカッシュをやることは少なくなったけれど、15年来のスカッシュ仲間。以前は2駅程離れた街に住んでいた彼らがこの街に引っ越して来たのは数年前。人生最大の買物である住まいをこの街に選んでくれたのは、お気楽夫婦の住む街であることも理由のひとつだという。とても嬉しく、ありがたい。以来、長期の旅行や入院の際にサポートしあったり、一緒に食事をしたり、お裾分けをしあったり、地元情報を交換しあったり。お互いに子供がいない夫婦同士、彼らが近くに住んでいることはとても心強い。
ある週末、そんな彼らとウチメシ。それもお気楽夫婦宅にて。料理上手の友人(妻)に招かれ、手料理をいただくことは多いけれど、逆はめったにない。とは言え、メインのメニューはチーズフォンデュ。鍋は2人だけより楽しいし、お手軽である。他にもオイルサーディンのサラダ(盛付けるだけ)、パテ(やっぱり盛付けだけ)、チーズやピクルスももちろん切って並べるだけ。料理とも言えないメニュー。それでもお酒を飲めない彼らと一緒に食事をするのは、互いの自宅がのんびり気軽で楽しい。デザートまで用意してあるから手ぶらでおいで!とお誘いした。
その日のデザートはご近所の名店「Le Petit Poisson」のロールケーキ。クリームたっぷりのゼータクな1本。食べたかったのだけれど、2人で食べるには大き過ぎる。でも食べたい!ということで、友人夫妻を招いてのケーキカット。「ふんわり凄い」「上品で、ホントにゼータクなクリームだよね」「やっぱりこの店のケーキは美味しいよねぇ」ご近所に美味しい店があること、その美味しさを一緒に共有できる楽しさも一緒に味わう。私を除く3人が酒を呑まない分、ティータイムは長い。自分の仕事のこと、両親のこと、体調のこと、凹まないお腹回りのこと(男性2人限定の悩み)など、いろいろな話題と共にゆったりとした時間が流れて行く。
「ホワイトデーのクッキー、ダブっちゃったね」お互いにヴァレンタインのお返しに用意したのはPetit Poissonのクッキー。申し訳なさそうに友人(妻)は言うけれど、いえいえ逆に嬉しいよ。自分で食べて美味しいモノを、贈る相手に食べて欲しくて選ぶのがプレゼント。それが重なったのは嬉しいことだ。それに、ホントに自分で食べたかったからね。友人夫妻が帰ってから、いただいたクッキーをひと口。ん、美味しい。自分で買って食べるより、贈ってもらったモノを食べる方が美味しい。贈っていただいた相手の時間や気持が一緒に詰まっているからなのか。互いの美味しいよね!の気持をもうひと口。やっぱり旨い♫
「どっちでも美味しいよ」と妻。ん、そりゃあそうなんだけどね。
予約が取れないイタリアンレストランがある。正確にはシチリア料理のトラットリア。店の名前は「トラットリア シチリアーナ ドンチッチョ」。渋谷2丁目、渋谷や表参道のどちらの駅からも遠い不便な場所。数年前に勤めていた会社のオフィスがすぐ近くにあったこともあり、当時から店の存在がとても気になっていた。飲食店には鼻が利く戌年生まれの私。その私の嗅覚が「この店はなかなかですぜ」とずっと訴えていた。確かに店からは旨いぞオーラが溢れている。ところが、ランチは営業しておらず、夜にふらっと訪ねても満席で入れない。聞けば、2週間前から電話で予約を受け付けているらしいが、12時からの受付開始後すぐに席が埋まってしまう人気店らしい。う〜む。そんな時間に根性入れて電話などできんぞ。店の前を通る度に、賑わう店内を横目に見ながら訪問のチャンスを伺っていた。
…それから3年余り、ようやくチャンスが巡って来た。ある日、スカッシュ仲間との飲み会で、何かのきっかけでドンチッチョの話題になる。「えっ!私も行きたい」「美味しそうですねぇ」「知ってる知ってる!ドンチッチョ、すっごい美味しいよね!良いねぇ、皆で行こうっ行こう!じゃあ私が予約するよ!」スカッシュ仲間の奥様が告げた神のごとき声。娘のお受験も無事に終わり、夜遊びモード全開の彼女。今までに何度か訪問したことがあるらしい。よしっ!任せた。すると数日後、彼女からメールが届いた。「無事に任務完了!予約できたよぉ〜♫」了解、グッジョブ!さぁ〜っみんな、ドンチッチョ行くよ!参加を表明した全メンバーに指令のメールを送った。
そして、ある週末、7人のスカッシュ仲間で店に向かった。小ぢんまりとした店内に入ると、早い時間にも関わらず、ほぼ満席。カウンタ席も幸せそうなカップルで埋まっている。店内はオーダーのイタリア語が飛び交い、忙しそうにスタッフが席と厨房を行き来している。ざわざわとした賑わい。席に着いてしばらくすると、担当のスタッフが良く通る声でメニューの説明を始める。店との距離感がつかめない。アンティパスティにカジキマグロの薫製カルパッチョ、仔牛のトリッパ、仔牛のアキレス腱とレンズ豆のオーブン焼きをオーダー。「煮込みがダブりますが、よろしいですか」はい、おっしゃる通りですが、メンバーがどうしても食べたいと言ってまして。実際、大人数のオーダーは調整が難しい。以降はスタッフのアドバイスに従い、パスタ2種、メインを2種をオーダー。が、スタッフの物言いに粗さを感じ不安になる。
けれども、その心配は料理が登場するまで。おぉ〜、マグロ、オレンジ、ルコラが爽やかで絶妙なチームワークを組んでいる。う、旨いっ!接客の粗さは許す。シチリア産の白ワインも良い感じに合うねぇ♫地の料理は地のワインで。ダブルでオーダーした煮込み料理。濃厚なのにしつこくないってどういうことだ。うわ〜っ!これは参った。どちらもワインがすすむぞっ!赤ワインだね、これは。赤のボトルを追加。おぉ〜っ、それぞれの食材がきちんと役割を果たし、タッグを組んで舌を攻めて来る。良しっ、受けて立とう。はいっ!早くも降参しました。勝ち負けじゃないけど。美味しいです。楽しいです。幸せです。おススメの赤ワインを追加。店のスタッフとのコミュニケーションもスムースになってきた。メンバーの誰もが満面の笑み。
2種のパスタも絶妙なバランス。フリットもかりっと絶品。花巻 白金豚の炭火焼きの香草風味をう〜んまいっ!と唸りながら食べ終わる頃には、同じメンバーで再訪を約束。「みんなでイタリアに行きたいねぇ〜」「大勢で行くと楽しいだろうね」「行こういこう!」「シチリアで待ち合わせ!ところで、シチリアってどこ?」…すっかり酔いも回り、楽しさに弾みがついてきた。店にもすっかり馴染んだ模様。「みんなイタリア語しゃべれるの」「料理の名前とオーダーの時だけなんです」ちょいとイケメンのスタッフにメンバーがからむ。スタッフの笑顔も柔らかくなり、一緒に写真に収まる。メンバーの満足度が写真に焼き付いた1枚になった。リラックスして楽しめる良い店だ。楽しく食べ、飲める良い仲間だ。
「ねぇ、次の店に行こうよぉ〜」予約を取ってくれたスカッシュ仲間の奥さまが笑顔のままで声を上げる。その夜、娘を友人宅に宿泊させ、万全の体勢で迎えた彼女。パーティーはまだ終わらない。
2011年3月11日午後2時46分、自由が丘駅前にある老舗洋菓子店にて買物中に、今まで経験したことのない大きな揺れ。ホワイトデー直前で混雑していた店内に、小さな悲鳴がいくつも上がる。揺れが収まらない。動揺しながらも、とっさの判断でというよりは、瞬間的には思考が停止し、店内に止まる。お店のスタッフの女性と店内にいたら良いのか、外の方が安全かと短い会話を交わし、店内にいたスタッフ、買物客と共に外に出る。誰かが率先して誘導した訳ではなく、群集心理のようなものが働いたのか。余震が続いている。駅前のロータリーには周辺のビルや駅から出て来たと思われる大勢の人が不安そうに佇んでいる。高架となっているホームが歪むように揺れている。そのホームには人の姿も見える。大丈夫か。周囲のビルが揺れているのが目視で分かる。凄い。もっと大変な事態になるのか、予想がつかない不安と恐怖感。
震源はどこなのか。東京直下型なのか。この場所より大きな揺れがあったのか。駅前の交番からアナウンスが流れている。建物の周囲は危険だから離れるようにとの注意。他の情報はない。繋がらないだろうと思いながらも、妻に電話をしてみる。やはり繋がらない。こうやって輻輳が起きるんだなぁとぼんやり思う。揺れが収まったこともあり、多少の余裕が出てきたこともあるのだろう。会社に向う。ざわざわした動揺した空気が街を被っているが、恐怖感は収まりつつあるようだ。階段で4階のオフィスに到着。高層ビルの上層階だったら、こんな時にはどんな行動パターンになっているのだろうと、かつて在籍した会社のオフィスのことを思う。オフィスにはスタッフが落着かない様子で落下した書類などを片付けている。震源は東北方面らしい。スタッフは全員が子供がいる母親たち。帰宅するように指示をする。彼女たちの心配は、もちろん子供たちのこと。その間も余震が続く。小さく悲鳴をあげるスタッフ。システムの責任者と今後の業務について打ち合わせ。当日一緒に食事をする予定だった仲間にメールで中止を伝え、店にもキャンセルの連絡をする。その時点では国全体の被害の大きさを知らなかった。
インターネットサイトを通じて次第に情報が入って来る。震源は牡鹿半島沖、マグニチュード9!東京は震度5強。そんな大地震が起きるのか、起きてしまったのか。現実感がない。交通機関は全く動いていないらしい。打ち合わせを終え、歩いて帰宅しようかと思案。自由が丘から用賀までは歩いた経験がある。その先もタクシーで何度も通ったルート。明るい内に帰れるだろうと心の準備をする。が、たまたま自家用車で出勤していたシステムの責任者の帰宅に同乗する。意外にも車の流れは順調。都心部と違って交通規制もない。環状8号線を北上する。対向車線は激しい渋滞。東名などに向う車列だろうか。既に歩道には帰宅を急ぐ人が多く見かけられる。1時間程で帰宅。地震に備えて壁に固定する方式に変えた家具が多く、思ったよりも被害は少ない。かなり重量のある書斎のデスクと本棚が大きくズレており、本や小物が落下していた。TVやパソコンで情報収集を続ける。
時間を追うごとに震災の悲惨な状況が分かってくる。大きな揺れ。津波。火災。現実感がない映像が繰り返し流される。独りで抱えられない気持が溢れ出して来る。翌日から一緒に旅行をする友人から連絡がある。友人たちの無事が伝えられる。横浜に住む彼は、大手町のオフィスに泊まりだという。当然旅行は中止。妻ともようやくメールで連絡が取れる。渋谷の駅が人で溢れ、たいへんな状況になっていることを伝える。妻は歩いて帰るという。無事は分かっていても焦燥感が募る。到着まで2時間以上はかかるという妻を迎えに渋谷方向に向かってみる。甲州街道では今まで見たことがない数の人が歩いて来る。ルートの途中まで歩いたところで諦め、自宅に戻る。無事に帰ってきた妻の顔を見て、ようやく安堵する。
震源地から500kmも離れた東京でこの有様だ。震源に近かった街では、津波が襲った沿岸部では、火災が起きた夜には、福島第一原発の周囲は、いかに恐ろしく、悲しかったことか。想像を絶する喪失感、空虚、絶望。自分に何ができるのか。何をするべきなのか。何ができたのか。心ばかりの寄付をして、節電に協力し、普段通りの消費を心がけ、TVから流れる映像に涙した。暗い街に慣れ、商品がなくなった陳列棚に呆れ、整然と並ぶ被災地の人々を誇りに思った。1年が経った。いろんなことを忘れていた。思い出そうと努め、残った記憶をさらに忘れないように、文字にしてみた。去年の今頃は、こんな些細な経験を書いたり、何かを発することを躊躇った。今なら肩の力を抜いて、書き残すことができる。この程度の経験でも、自分の人生観が変わったのだ。人との繋がりを変えようとしたのだ。変えたのだ。忘れては行けない。あれから1年。2012年3月11日2時46分。黙祷。
…自分の記憶のメモとして。