2012年11月、当時馴染みだった料理店の企画で出会った福井県鯖江市で酒販売店を営む久保田夫妻。地元を、日本酒を、自分達の仕事を、そしてお互いを愛する、ほんわかと温かな2人に魅せられた。以降、何度か(…と思っていたら1回だけ!)一緒に飲み、そしてSNSでずっと繋がっていた。何しろ、彼らの書込は2人の仲の良さが伝わる、実にチャーミングで愛おしくなる内容なのだ。お気楽妻はすっかり桐ちゃん(奥様)ファン♬
彼らの住む鯖江をいつか訪ねたいと、ずっとチャンスを窺っていたお気楽夫婦。そこにグッドニュース。金沢駅前に2人が贔屓にしているホテルグループの「ハイアット セントリック金沢」が開業するという。よしっ、COVID-19の状況次第で金沢と福井を訪ねるぞ!と決めた。8月の金沢のセントリック開業を待ち、訪問計画がスタートした。そして今冬に危惧されるインフルエンザとの同時流行の前、10月末決行と決まった。
真っ先に久保田夫妻に計画を伝え、彼らの感染予防ポリシーが許せば、ご一緒して欲しいとお願いした。すると間もなく快諾の報。伺う予定をしていた土曜の夜だけでなく、店がお休みの日曜日も福井県内をご案内いただけると言う。ステキだ♬ そう言えば数年前、彼らが私の故郷である庄内地方(山形県)を2人で訪ねると聞き、オススメの店やスポットをSNSでご案内し、遠くからでも楽しんでもらえた様子が嬉しかった。
今回は立場は逆…どころか、ご一緒いただけるとのことだから、希望は最小限にしてお二人にお任せすることにした。東尋坊で火曜サスペンスごっこ(汗)をしたい、三国湊の街歩きがしたい、そして改装されたと聞いていた久保田酒店を訪ねたい、という3つ。すると、三国の街を下見したり、福井での夕食を手配してくれたりと、何だかお二人も我々の訪問だけでなく、計画すること自体も楽しんでいる様子。それは嬉しい♬
旅の初日、福井駅で恐竜を狩った後、待望の「久保田酒店」に向かう。鯖江の駅に降り立ち、線路越しに駅舎を見ると、見覚えがある人影が2つ!久保田夫妻だった。改札を出てすぐ、予想していなかった出迎えに、久しぶりと言い合いながらソーシャルディスタンスを保ったハグを(嘘です。そんなハグはない!)してしまう4人。そして駅前にある彼らの店へ。「きゃあ、ステキ!」と妻。外からの眺めだけで魅了される佇まい。
店内に入ると、建材の木と酒の香りに包まれ、外観と同様に素敵な造り。壁には酒樽を利用したディスプレーや、ショーケースが美しく並ぶ。日本酒のバーカウンターには、オススメの酒が用意されていた。ひとつひとつ、試飲をしながら久保田さんの説明を聞く。どれも蔵元への愛情が溢れ、酒の旨さに深みを加える話。ではと、お勧めの3本と、普段飲み用に「黒龍」のミニボトルを選び、配送の手配をする。これは楽しみだ。
その夜、お二人が初めてデートしたという福井市の居酒屋へ。2人の馴れ初めを伺い、絶品の魚を味わい、酒屋の店主のオススメの酒を飲む。これ程の幸福な夜があろうか。翌日、驚く程明るい(実は暗いイメージだった)東尋坊で遊び、北前船の記憶を刻む三国湊の街を歩き、絶品「甘海老天丼」を堪能する。余りに楽しく別れ難いと思っていた所に、金沢まで車で送っていただけるとの申し出。それは嬉しいと4人でドライブ。
金沢に到着し、お帰りが遅くなっては申し訳ないと躊躇いながら、一緒に夕食をとお誘いすると是非との返事。ではと、初めて4人が出会った時と同様に中華料理にしようと近くの店に出向いた。いくつか料理をオーダーし、日本酒は中華料理にも合うよね、と話していた時にサプライズがやって来た。お店のスタッフがなぜ小さなグラスを用意したのだろうと訝ってはいた。そこに、日本酒が運ばれて来た。答えはそこにあった。
久保田さんが「実はこのお酒はIGAさん達が結婚された年に採れた米を使って作られた…」と説明を始めた時は、よくそんな酒がこの店にあったなと誤解していた。ところが、それは彼が持ち込んだ酒だった。そう言えば、ずっと大きなバッグを肩に下げていた。あれは酒を入れたクーラーバッグだったのだ。我々が入籍して20年とSNSで知り、用意していただいていたのだ。凄いぞ、この気遣い。これはまいったな、久保田さん。
酒の名は「呼友」。(偶然にも)久保田で名高い朝日酒造が主催する「久保田塾」という酒の勉強会の卒業生たちを「呼友会」と称し、全国100店弱の酒販店だけが販売できる限定酒なのだ。それも、20年低温熟成古酒。希少酒×希少の何乗かのお酒だ。味わいと言えば、古酒なのに爽やかで、深みがあり、夫婦の20年という歳月もこうありたいと思わせる酒。友を呼ぶ酒。人との出会い、日本酒との出会いに涙しそうになる。
「またね!」とハグして別れた夜、しみじみと楽しかった2日間を味わう。東京に戻り、数日経った日に届いた酒に記憶を反芻する。「またぜひ、今度は私たちが東京へ!」と嬉しく可愛いメッセージをいただき、では案内する場所をセレクトしておくね!と返す。憎っくきCOVID-19がまだ跋扈しているけれど、万全な感染予防対策の下、またいつかきっと会おう!日本酒愛と地元愛と、友愛に溢れた2人と。
妻の誕生日、結婚記念日、さすがに自分の誕生日は覚えているが、記念日は、忘れるものだ。ところが、今はFacebookという強い味方がいる。お節介にも、Facebookで繋がっている友人たちの誕生日を毎日知らせてくれるし、「思い出」と称して、何年前の今日、あなたはこんなことをしていましたよ!と毎日教えてくれる。他人にとってはどうでも良い事でも、自分のことだと、あぁ、そうだったとしばし想いに耽る。
実は(大きな声では言えないが)、今年の結婚記念日を当日まで失念していた。数日前まではっきりと覚えていたのに、どんな予定にしようかと妻と話をしていたのに、飛んだ。すっかり忘れ、週末のスカッシュの筋肉痛が酷いからトレーナーの所に行こうか…とまで言っていた。そして当日の朝、お告げがあった。神よ!ザッカーバーグよ!感謝します。そして、さもずっと覚えていたかのように、当日の作戦を練ったのだった。
選択肢は3つ。結婚パーティを20年前に開催した「パークハイアット 東京」、同じ日が開店記念日という「ビストロ トロワキャール」、そして「神泉 遠藤利三郎商店」だ。パークとトロワは行ったばかりだし、ご無沙汰の遠藤にしようかと店に連絡すると、いつものカウンタ席が空いているという。すかさず妻に確認し、予約。さて、後はお気楽妻へのプレゼントだ。何にしようか。残された時間は少なく迷っている時間はない。
調べると、結婚20周年は磁器婚というらしい。磁器とはハードルが高いお題だ。カップではないし、磁気ネックレスは磁器違いだし…。ん?ネックレス?磁器のペンダントトップはどうだろう?ロイコペやら、ウェッジウッドならありそうだ!と閃いた。とは言え、妻との約束の時間までは1時間。店の場所からほど近い、東急本店に出向く。宝飾の売場に近寄ると、お手伝いをとか、お探し物は?と、ワサワサ販売員が寄ってくる。
結局、磁器のアクセサリーはなく、食器売場に向かった所、「Herend」というハンガリーの磁器ブランドの売場に光が差していた。遠目でも可愛い磁器の動物やら人形やらが飾られ、そのショーケースのひとつにペンダントトップが並んでいた。ここからは決断が早いと評判の私の本領発揮。妻の干支のウサギを発見し、チョーカーなどいくつかの組合せからチョイス。これだ!ラッピングも美しく、我ながらグッチョイス♬
精算を済ますとちょうど閉店時間。奇跡的な逆転で、薄氷の勝利。そのまま歩いて神泉へ。約束の時間より早めに店に到着し、店長の斎藤さんと相互に近況報告しつつ、オススメのスパークリングをいただく。そして遅れて到着した妻と同居して27年、入籍して20年目の乾杯。あっという間の27年、そしてお気楽な20年の結婚生活だった。そして、今日のために考えてたよという顔でサラッとプレゼントを渡す。
店長の斎藤さんの選ぶ何杯目かのワインをいただきながら、持ち帰りのワインの相談。前回、自粛期間明け早々に訪れた際に、期間限定の種類販売免許を申請し、ワインを販売していると聞き、何本か購入して持ち帰ったのだ。店内で飲むだけでは“飲んで応援”も限界がある。ささやかなながら、その日も選んでもらうワインを持ち帰ろうという算段。自分たちのお気に入りの店が、これからも続いて欲しいからこその応援だ。
そして、このワインはお気楽妻から私へのプレゼントが(予想通りに)ない代わりに、自分へのプレゼントでもある。そして、妻から私への目に見えないプレゼントは、自分では飲まないのに、27年以上もの間、嬉々として一緒に“飲みに”行ってくれることだ。思えば、こんな2人の関係は30年近く変わらない。これからも、きっと。願わくば、ずっと。「ん、良いよ」と、お気楽妻の返事は、相変わらずお気楽。きっと、ずっと。
お気楽妻が誕生日を迎え、友人や家族、航空会社などから「Happy Birthday」とメッセージが届いた。昔は自分の誕生日を覚えていてくれるのは、家族とごく限られた友人だけだった。それが今は「Facebook」がお節介にも友人たちの誕生日を知らせてくれるし、会員申込の際に書いた誕生日を基に各社がバースデーカードを送ってくる。煩わしくもあるが、誰かと繋がっていることを感じるのは、やはり嬉しいことだ。
今夏、コロナ騒動以降久しぶりに訪れた馴染みの店「用賀 本城」で、店主の本城さんが還暦を迎えることを知った。それもお気楽妻と1日違いの誕生日。では大将のお祝いに店に伺おうと席を予約。妻にとっては前夜祭の訪問となった。還暦おめでとうございます!と挨拶し、まずはビールとお願いすると、「ちょっと待ってください」と制され、まずはこれをとオリジナルラベルのシャンパンのご相伴に預かる。めでたく旨い。
遅れて到着した妻が席に着き、心ばかりの還暦のお祝いの品をお渡しすると、今度は「誕生日おめでとうございます」と花束をいただく。そして57歳と60歳の記念撮影。やはり誰かを祝い、誰かに祝ってもらうことは素直に嬉しいことだ。満面の笑みの妻と本城さん。2人とも良い笑顔だ。妻にもいただいた本城ラベルのシャンパンで乾杯した後は、さっそく秋の料理をいただく。ここは日本の四季を舌で味わう店だ。
秋の皿は、日本に生まれてホントに良かったと思える料理が並ぶ。この店で初めて味わった金糸瓜(そうめんカボチャ)はすっかり舌に馴染んだ好物。カリカリの穴子と一緒にいただく。蓮根と栗の餡掛け、生ウニやマグロなどの刺身盛りなど、少量ずつ盛り沢山の料理が嬉しい。お気楽妻は、本城さんと出会った「たん熊北店」時代から、彼の料理は食べると楽しくなり、嬉しくなり、幸福になると断言する。迷うことなく合意。
還暦を迎えた本城さんは、京料理の名店「たん熊北店」で修行後、パリの日本大使館の公邸料理人という華麗な経歴の持主。帰国後に「たん熊北店二子玉川店」の店長を務めていた頃に本城さんの料理に出会い、その絶品京料理と本城さんの飾らず偉ぶらない人柄に魅せられたお気楽夫婦。本城さんが独立し「用賀 本城」を開店した後も、季節毎に訪れている。初訪問から15年、店に伺った回数は優に50回は超えるだろう。
片や、57歳になったお気楽妻。定年まで後3年のカウントダウン。「とっくに仕事辞めて、毎日ジムに通ってるはずだったんだけどなぁ」と言いながら、毎年春に訪れる超重労働の日々を乗り越えて来たタフな女性だ。2年前に還暦を超えた私には「働けるだけ働いたら?」とアドバイスしつつ、「私は定年で辞めて、世田谷マダムになるんだ」と断言。今でも世田谷に住むマダムだと思うのだが、どうやら彼女の定義は違うらしい。
ところで、本城さんへのお祝いを何にしようかと、還暦の赤、サムシングレッド、パリ在住だった本城夫妻…と、連想した時に閃いた。エディアールの赤と黒のストライプ柄だ!ということで、新宿の伊勢丹へ。すると、紅と白の缶に入った紅茶のセットが店頭にあり、これだ!と即決。女将さんの前でその包みをお渡しすると、「あぁ、懐かしい。嬉しいですわぁ」と店のあるマドレーヌ広場の話題で盛上がる。グッチョイス♬
そして、妻へのプレゼントはフェラガモの財布。先代のフェラガモの財布は20年ほど使ったお気に入りだったのだが、さすがに留め金が緩くなったとのことで、世代交代。ホテルや食事など、消え物には積極的に消費するけれど、いわゆるブランド物のバッグや靴には余り興味を示さないお気楽妻。ありがたいことだ(笑)。ジュエリーも余り欲しがらない。もしかしたら彼女は“世田谷マダム”にはなれないのかもしれない。
「そんなことないよ!」と言うお気楽妻に、ではヴァンクリ欲しい?と聞くと、要らないと答え「でも、ハイアット は今年中に後何泊かするよ!」と続く。きっと還暦の本城さんも、お気楽妻も、枯れずに、華麗に、年齢を重ねているのだろう。華麗に加齢、そんな2人を祝った夜だった。