ある週末、なぜか突然ヴィロンのバゲットが食べたくなった。どちらかと言えばご飯好きの私としては珍しい現象。パン好き、それもハード系のパンが大好きな、さらに言えばヴィロンのバゲットがどこのパンより好きな妻に提案。ヴィロンでランチはどう?「行くっ!行きたい!すぐ行く〜!」と数センチ飛び上がった。小さくバンザイまでして、小躍りしている。感情を余り表に出さない妻としては最大限の歓喜の表現だ。「Boulangerie Patisserie BRASSERIE VIRON」は、2003年に渋谷の東急本店の向いにOPENした、1階が対面式のパン屋(Boulangerie)で、ケーキ屋(Patisserie)で、2階のカフェレストラン(BRASSERIE)でお気軽なフランス料理とワインが楽しめる店。
この店は1階も2階も、そのままパリの街角にありそうな雰囲気。赤を基調とした店の内装も、POPも、何種類ものパンもケーキのディスプレーも、おフランスそのもの。ところで、フランスの味をそのまま日本に持ち込み、美味しいバゲットで有名な「PAUL」や「メゾンカイザー」と違い、「VIRON」は日本だけの店舗。フランスの製粉会社VIRONと提携し、レトロドールをはじめとした小麦粉を輸入しパンやお菓子を作っている。つまり、製法やパン屋としてのブランドを輸入するのではなく、フランスで修行した日本の職人たちが“粉”を輸入しパンやお菓子を作っているということ。和魂洋才?和魂和才?いずれにしても、バゲットという食べ物がきちんと日本人のものになったという証。ちょっと大げさだけど。
その日はタイミング良く、待つことなく2階のブラッスリーの席に案内された。いつも行列の店としてはとても珍しい。かなりラッキー。そしてランチに付いているバゲットが小さな木製の籠に入れられて登場。なんとこれがトンカツ屋のキャベツのように、お代わり自由♬「この店のバゲットの皮(クラスト)のかりかりと、もっちりの中身(クラム)のバランスが好きなんだよねぇ♬」バゲットを語らせると、口数が少ない妻が饒舌になる。「この穴(気泡)の空き具合が絶妙だよねぇ♡」この店のバゲットは確かに適度な大きさの気泡が不規則に空いている。かりっと固いぐらいの皮と、しっとりもっちりのクラムを口の中で一緒に味わう。シンプルな味なのに、パンだけでしみじみ旨い。大きな皿にたっぷりのニース風サラダと、バゲットと紅茶だけでかなり満足、満腹。
「え?もうバゲットお代わりしないの?」ご飯だったら小さな茶碗1杯も食べない妻が、バゲットを追加。私はもう充分にいただきました。それにしても妻が食べるバゲットを、ご飯に換算したら何杯分になるのか。いつもカロリーを気にしながら食事をする妻の食べたバゲットは何カロリーになるのか。「美味しいパンだけは、いっくらでも食べちゃうんだよねぇ」理解できないけれど、事実その通り。追加したバゲットをあっと間に平らげる。美味しいご飯だったら味噌汁だけで何杯も食べられるという人がいるように、きっと彼女はコーヒーだけでバゲット1本丸かじりも苦ではないかもしれない。
「ぜぇんぜんヘーキだよ!」記事を読みながら妻が宣う。口数の少ない妻を饒舌にし、小食の彼女を大食漢にする、魔性の食物。恐るべしVIRONのバゲット!
ある週末、なぜか突然どうしても美味しい北京ダックを食べたくなったお気楽夫婦。それではと、急ぎ北京に向った。成田空港に…は向わず、地下鉄に乗る。北京で1864年に創業、147年の歴史を誇る北京ダックの名店「全聚徳」新宿店は、新宿三丁目駅から徒歩2分。店内は真っ赤なカーペット、テーブルクロス。スタッフは流暢な日本語と中国語を話す。客も中国人が多い。まるで北京。店の看板には焼き上がったダックの写真。席に着いて周囲を見回すと、各テーブルではすでに北京ダックを食べ始めていたり、目の前でシェフがダックを捌いていたり。大半の客は、お気楽夫婦と同様に、北京ダックを食べるために、この店にやって来る。2人もさっそく前菜、豆苗炒め、そしてダックを半羽オーダー。ビールを飲みながらダックの飛来を待つ。

ところで、「北京ダックは皮だけ食べる」「広東式の北京ダックは肉も食べる」というのが、日本ですっかり定着した知識。ちょっと前までは、あるいは私のような半可通の情報では、その通りではある。ところが日本の常識で言えば北京式であろう、この老舗料理店での食べ方は違う。最初にかりっと焼き上がった胸肉の皮だけ削ぎ、少量しか取れない貴重な部位に白砂糖をまぶしいただく。黄金色に輝くかりかりの皮と、皮の裏に付いている脂、砂糖の甘さが絶妙なハーモニー。これぞ北京ダック。ただし、飽きない程度に、少量で充分な濃厚な味。

次に食すのは、皮付きの肉。つまり北京式と広東式の良いとこ取り。荷葉餅(カオヤーピン)に甜麺醤を塗り、細切りネギ、キューリ、サンチュと一緒に巻いて食す。ダックの脂が染み出さないように、餅の端をていねいに折り畳み、スタッフの女性が巻いてくれる。巻いた餅の口が空いている端の方からがぶり。う〜ん、旨い!ダックの脂と野菜の味と歯触りが一気に口の中で混じり合い、広がる。この味だ。これを食べに北京まで来たのだ。「新宿だけどね」…今日は妻の突っ込みも速い。満足そうに頬張る妻。笑みが零れる味わいだ。あっという間に美しく巻いてもらった北京ダックを平らげた2人。スポーツジムで汗を流した後でもあり、今日は余裕の食欲だ。

ここで炭水化物を選ばず、デザートを選択する2人。パパイヤとタピオカ入りココナツミルク、杏仁豆腐をチョイス。熟し加減が絶妙のパパイヤに、ココナツミルクの風味が絶妙。「これ、すっごいよ。今まで食べた中で一番美味しい杏仁豆腐だよ!」珍しく興奮気味に、妻が杏仁豆腐を絶賛。意外なところで評価が上がる。思えばこの店、北京ダックの名店とは知らず、数年前に来店。「この店、北京ダックで有名らしいよ」と恐れを知らず宣わり、以来北京ダックと言えばこの店!と食べに来ること数度。小食の2人はデザートまで行き着かず、初のご対面。大正解だった。
「北京まで行かなくても、この店で充分だね」全聚徳の北京ダックが食べたくなると、作家の浅田次郎は北京に飛ぶという。お気楽な夫婦は北京ダックが食べたくなれば、電車に乗って新宿3丁目の北京まで。分相応の贅沢である。…それにしても突然食べたくなる衝動に襲われる北京ダック。自らは飛ぶことなく、丸々と太り、あの浅田次郎をして北京に飛ばせてしまう料理。魔性の一皿。謎の料理。あぁ、また…。
マダムと呼ばれる女性がいる。一般名詞のMadameではなく、固有名詞としての“マダム”。誰から呼ぶともなく、いつの間にか仲間内でそう呼ばれ、あっという間に定着した。彼女がそう呼ばれるには理由がある。もちろん奥さま。スカッシュを通じて知り合ったお気楽夫婦が知る限りでも、アクティブで社交的で、交友範囲が広い。知性的なのに気取らない。年齢を感じさせない若々しさがある。オヤヂのような飲み方をしても品がある。そして何より華がある。誤解を受ける場合もあるらしいが、男女問わず周囲を惹きつける魅力がある。お気楽夫婦は、そんなマダムと意気投合。スカッシュ以外でもご一緒する機会が急速に増えていた。ところが…。
独身時代にCAとしての勤務経験もあり、英語が堪能な彼女は海外勤務の多かったご主人を支え、2人のお子さんを育ててきた。その息子さんは社会人、娘さんは来春卒業。この夏、そんなタイミングでご主人のワシントンD.C.への赴任が決まった。いくつかの選択肢の中から、2人の子供を残しご主人と一緒に渡米することを選んだ。巣立ちも間近な子供たちのこと、親しい友人たちと過ごす充実した日々、故郷に住む親のこと、迷いも葛藤もあっただろう。「アメリカが嫌になったらすぐに日本に戻って来るわよ」笑いながら、冗談のように明るく言うけれど、周囲は突然のニュースに驚いた。さらに、赴任の日が早まり、マダム渡米のスケジュールも年内となった。
それからマダムの怒濤の日々が始まった。日本では船便で送る家財道具をまとめ、渡航手続きを行った。ワシントンに飛んでは、多忙なご主人に代わり2人の住居を選び、家具を選び、ついでにスカッシュコート付きのスポーツクラブを探した。さらについでにワシントン駐在の奥さまたちの集まりに参加し、地元交友の足場を作ったあたりはさすが。そして帰国してすぐに、以前から約束していた香港行きを決行。であればと、お気楽夫婦もご一緒し、香港の美味を堪能。香港から日本に戻った時点で渡米まで1ヶ月弱。そんなスケジュールの中で、彼女が会っておきたい友人たちと設定した食事会、飲み会の数、なんと30余り。1日に複数回をハシゴすることもあったらしい。それでもFacebookにコメントし、mixiの書込みを精力的にこなした。
お気楽夫婦も、マダムの肝臓と胃腸を痛めつけるような、そんな日々に貢献?した。香港でご一緒したご夫婦のご自宅で手料理を味わい、スカッシュ仲間で恒例の「用賀本城」に伺い、「広東料理Foo」で深夜まで大騒ぎ。そして、渡米数日前にさすがにマダムがダウン。ご一緒する予定だった「パクチーハウス」は急遽キャンセル。渡航前日に予定していた「田中星児と歌おう!スカッシュ&カラオケ壮行会」に備えてもらった。そして当日。体調は完全ではないものの、マダムは弾けた。皆と一緒に歌い、泣き、笑った。この数ヶ月ご一緒した写真を中心にデジタルフォトフレームに収めプレゼント。そして、参加メンバー全員から、マダムに贈る歌をセットリストと共に贈った。ワシントン土産だという揃いのTシャツを着て、記念撮影。あっと言う間にマダムと過ごす渡米前最後の時間が過ぎて行った。
お気楽妻は『サンキュ.』を歌い、メッセージは涙でことばにならなかった。ある友人は『キミはともだち』を歌いながらすすり泣いた。そして、斎藤和義の『ずっと好きだった』を選んだ私は、男性メンバーとともに「僕らのマドンナ〜♬」とシャウトした。
そして、マダムが旅立った。
「夏には、ワシントンに行くよ!」お気楽妻の瞳に本気の炎が見えた。