ある週末の夜、お気楽夫婦は国立代々木競技場第1体育館を訪ねた。ワールドカップバレー2011男子東京大会の最終戦、日本vsブラジルの観戦。試合は日本チームも健闘したものの0-3のストレート負け。残念。ところで、この競技場は1964年の東京オリンピックの開催のために建設された施設。丹下健三による設計。吊り屋根の構造で、巻貝を思わせる独特の外観。オリンピックが開催された当時は日本の近代化を象徴する“未来”を感じさせる建物だったに違いない。その他、日本武道館や駒沢陸上競技場などの競技場に止まらず、東京オリンピックの開催に向けたインフラの整備は、東海道新幹線、羽田空港と都心を結ぶモノレール、今では景観問題にもなっている首都高など、枚挙に暇がない。それらの建設は国の威信を掛けて行われ、日本全国から建設労働者が集まった。
1964年、今から47年前。敗戦から19年で高度成長を遂げつつあった当時の日本。ちょうど2008年の北京オリンピックを契機に中国が先進国の仲間入りをする中、都市部と農村部との貧富の差がクローズアップされたように、日本にも(現在のワーキングプアという問題とは背景が異なる)圧倒的な貧富の差が存在した。『巨人の星』の中で、日雇い労働者だった星一徹が東京オリンピックに向けた工事で仕事が増え、名門(お坊ちゃま)学校である青雲高校に星飛雄馬が入学できたというエピソードがある。当時、長屋に住んでいた星一家。父の一徹が昼夜問わず働いていたシーンが良く出てきたものだ。また、同時代を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』が2012年に公開される。これらは、貧しいながらも明るく健気に生きる当時の人々を描く、夢がある明るいビンボー物語。
けれど、光がある処には陰があり、さらにその傍らには深い闇がある。奥田英朗の『オリンピックの身代金』という作品は、明るいビンボーということばでは片付けられない1964年の闇の世界の物語だ。秋田の寒村に生まれた主人公。東京に出稼ぎに出て働く兄のお陰で、高校に入学でき、余りに成績優秀だったがために担任に奨学金をもらいながら進学することを勧められ、見事に東京大学に入学する。ところが、貧しいながらも平穏な学生生活を送っていた彼の生活は、兄の死で一変する。東京の建設作業場で急死した兄の過酷な生活を経験しようと飯場に住み込み、死の背景を知る。そして、彼の住む貧しく暗い世界の対極にある、富と光の象徴である東京オリンピックを人質にして、日本国家から身代金を得ようと計画を立て、実行して行く。
犯行を重ねる主人公の背景で、1964年の東京が実にリアルに描かれる。建築途中のモノレールの描写と同時に、漁業権を放棄せざるを得なかった東京の漁師たちの存在を伝える。東大の同級生が就職したテレビ局を描き、オリンピックを機にメディアの中心になろうとする当時のTVマンたちの熱気を伝える。それらの描写のいちいちが実に面白い。犯人である主人公と警察との駆け引きや、綿密な犯行計画と実行に至る経過などの物語そのもの魅力も大きいが、多彩な登場人物たちの持つ背景や、時代の描写が魅力的なのだ。タイムスリップし、当時の東京をそれぞれの人物の目で眺めているようなワクワク感。そして、歪んだ善を持った悪として描かれる主人公の魅力と相まって、最後まで緩む部分なく、一気に読んでしまう。
「うん、確かにかなり面白かった♬」奥田英朗の伊良部シリーズファンでもある妻が呟く。コメディタッチの作品も多い奥田英朗。犯罪サスペンスながら柔らかな筆致で読ませる『オリンピックの身代金』かなりのおススメ!
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香港で世界TOPのスカッシュを堪能した翌週、お気楽夫婦は日本TOPのプレーヤーたちの試合を観戦した。横浜にある「スカッシュスタジアムSQ-CUBE」で開催された、第40回全日本スカッシュ選手権大会。この日を目指して各選手は各地の公式大会に参戦し、上位入賞によりポイントを獲得するなどし、上位男女各80人程度が出場資格を得る。プロ選手として海外の大会にも参加する選手、コーチとしてクラブメンバーのスカッシュを指導しながら大会に出場する選手、仕事帰りや週末にコートに通うクラブメンバーなど、選手層はさまざま。そして、観客のほとんどはプレーヤー。会場に集まった選手と観客に共通するのはスカッシュを愛していること。日本のTOPを決める国内最高峰の大会ながら、手作り感溢れる大会運営のスタッフたちのほとんどはボランティア。そんな大会だ。
男子のTOPは3連覇中の福井 裕太、23歳。女子のTOPは2連覇中の小林 海咲、21歳。共に初優勝の2008年、2009年に史上最年少でのチャンピオンとなった。今年それぞれ4連覇、3連覇を目指す若きTOPたち。彼らを含めた日本代表はアジア競技大会などの国際大会に参加しているものの、まだまだ世界の壁は高く厚い。昨年のアジア大会では、男子団体・女子団体共に予選敗退。日本のレベルはまだまだ低い。それでも明るいニュースはある。女子チャンピオンの小林 海咲が香港OPEN2011の予選を勝ち上がり、本戦に出場したことが日本のスカッシュ愛好家の中で大きな話題になった。彼女はスカッシュ強豪国マレーシアに長期留学。世界のスカッシュを視野に今年も海外のツアーを転戦した。
その小林が第1シードの選手権女子は第4シードまでが準決勝まで勝ち進む順当な結果。そして決勝は昨年と同じ顔合わせ、小林vs全日本通算4回優勝の松井 千夏。2001年に当時の最年少記録で初優勝した千夏も34歳。ベテランと呼ばれる年齢となった。それでも千夏は学生時代からのコーチだった山ちゃんの元にも通い続け、懸命にコンディションを整え頑張ってきた。試合は松井が各ゲームの序盤はリードし善戦したものの、現在の力の差がはっきり出た。小林 海咲が3-0の圧勝で3連覇を飾った。小林は1Gも落とすことなく見事な優勝。実に強かった。お気楽夫婦が香港で観た、世界トップレベルで戦える力を持てるだろうと期待させる内容。
選手権男子は第2シードの清水 孝典が準々決勝で、第3シードの岡田 賢が2回戦で破れる波乱。決勝は、前年チャンピオン福井を破った22歳の机 伸之介と、予選勝ち上がりでかつての日本代表だった伊藤 明を破った17歳の小林 僚生の対決となった。机は今年スカッシュの本場イギリスで武者修行。短期間ではあったが、世界レベルを肌で感じたとのこと。一方、女子チャンピオン小林 海咲の弟、小林 僚生もマレーシアでの留学経験がある。世界を知る2人の試合は、小林が集中力に欠けた時間もあり、終始冷静なプレーを展開した机の圧勝だった。
「やっぱり日本のトップも凄いねぇ」妻の感想に頷く。世界水準にはまだ及ばないものの、魅せるポイントはたっぷりあった。そして、全日本で勝てたことは嬉しいけれど、さらに上の世界を目指したいという優勝した2人のコメントは何より嬉しく誇らしい。勝っても驕らず、日本のTOPは通過点だという2人の目指す高み。実に頼もしい。そして、実に見応えのある試合が続いた素晴らしい大会となった。けれど、残念ながら2人の優勝を取り上げた全国紙はひとつもなかった。(*朝日新聞が結果を掲載したとのこと。失礼しました)それが日本でのスカッシュの立ち位置。日本のスカッシュの現状。まだ若い2人のチャンピオン。世界TOPとの距離を縮め、国際大会でも活躍してくれることを期待したい。
「香港OPENのグラスコートで(今年の場合は準決勝以降)日本選手を応援できる日が来るかもね」と妻。近い将来、そんな日が来ることが楽しみだ!