エアコンのなかった日々「電気使用制限令」

Gardenり暮らしの学生時代、部屋にエアコンなんてものはなかった。エアコンが欲しいなどと思いもしなかった。ケータイどころか、各部屋に電話もなく、共同のピンク電話がアパートの廊下にあったような時代だ。エアコンは学生にとってゼータクを通り越して、あって良いはずがないという電化製品だった。けれど、かつての夏が暑くなかった訳ではない。今年の夏と同様に暑かった。夜になると部屋の窓を開け放ち、タバコの紫煙と蚊取り線香が煙る部屋で過ごした。朝は汗まみれで目覚める。シャワーはもちろん風呂もなく、顔を洗い身体を濡れたタオルで拭き、駅に向う。駅までのルートには工夫が必要だった。目覚めたばかりの元気な太陽の容赦のない日射しを避け、きっちりと冷房の効いた開店したばかりのパチンコ屋の中を通り、駅前のスーパーで買物をする風情で涼む。身体が適度に冷えた時点でホームに向う。ところが、本当の勝負はこれからだった。

ームに上り、やって来る電車の窓が閉じていれば良い。それは冷房車の印。だが、暖房車(非冷房車)が来てしまった場合は悲惨だった。全ての窓が開けられ、天井で申し訳なさそうに扇風機が回る。80年代前半、電車はまだ完全に冷房化されていなかった。夏を迎える頃の新聞には「今年の電鉄会社の冷房化率は?」などという記事が毎年掲載された。その記事を読み、「×王は90%以上かぁ、良いなぁ」「○急はなかなか冷房車両が来ないんだよなぁ」「△武は・・・」という会話が成立した。戦後間もなくの話ではない。繰り返して言えば、80年代。バブルが直前に迫っていた時代に、エアコンのない電車がフツーに首都圏を走っていたのだ。ちなみに、首都圏で最も早く全車両冷房化されたのは、京王井の頭線の1984年だという。ましてや地下鉄の冷房化は遅れており、東京メトロ(当時は営団地下鉄)の冷房化率100%達成は1996年、都営地下鉄も1995年。40代以上の皆さま、思い出して欲しい。地下鉄(特に○の内線などの古い路線)は、つい最近(90年代はつい最近かと議論もあろうが)までものすご~く暑かったのだ。

2011年7月1日、東京電力、東北電力管内で電気使用制限令が発動された。契約電力500キロワット以上の大手事業者が、昨年比15%の削減を行わなければ(故意に違反すると)1時間当たり(!)100万円の罰則がある。罰則規定はないが、該当しない事業者や一般家庭にも一律に15%の節電目標が設定されている。企業は業種によって比較が難しいので、一般家庭で15%の削減はどれぐらいのものかと調べてみた。家庭で利用する電力量はエアコン25%、冷蔵庫16%、照明器具16%、テレビ10%の上位4つで合計67%となる。エアコンや冷蔵庫、テレビは10年前に比べて約1/2、照明器具はLEDにすると1/10程度。これらの電化製品のいくつかを買い換えれば目標達成は可能。ちなみに、ここ数年にこれらの電化製品を買換え、今年新たに照明器具をLEDに換えたお気楽夫婦は数年前に比べ40%程度の電力削減をしていることになる。すなわちどの家庭でも、夏に集中的に使用するエアコンを最新の省エネ型に換えれば、この夏の節電に大きく貢献できる。

アコンを使わなければもっと貢献できるよ。エアコンがないと思って使わなきゃ良いんじゃない」とエアコンの冷気に弱い妻が訴える。よし、分かった。窓を開けて扇風機にしよう。幸い、お気楽夫婦の住まいは東南北の三方に窓がある角部屋。窓を開ければ空気の流れは作り易い。窓を開ける。扇風機が作る風は爽やかで心地良い…のは数分まで。あ、あぢぃ!慌てて窓を閉めエアコンのスイッチを入れる。エアコンのなかった日々を知っている世代にも関わらず、それらの日々は遠い。やはり、今あるモノをないと思うのは難しい。けれど、ふと思い出す。子供の頃、庭にテーブルを出して夕涼みをしながら夕飯を食べたなぁ。そんな写真を探してアルバムを引っ張りだしてみる。すると、昭和の匂いのする1枚が見つかった。真夏の日射しが柔らかくなった頃、庭に水を撒き、テーブルを出す。ビニールのテーブルクロスを敷く。テーブルに並ぶガラスの器に盛られているのは、ところてん、氷で冷やしたキューリ、トマト。涼しげに何本かの赤や青の色が混じった冷や麦。そして、きっと若き日の親父は枝豆をつまみにビールを飲んでいたのだろう。遠い夏の日の記憶。

適さと引き換えに、いろいろなモノを失う場合がある。スイッチを入れれば手に入ったはずの、何かを犠牲にした快適な生活。3.11以降、何が大切なことなのか、何を優先すべきなのかを考える日々が続く。「大切なのは、お気楽な生活だね。ポジティブに生きることだね」アキレス腱の怪我から順調に快復しつつある妻が堂々と宣言する。それもまた一面の真実。

季節外れ?「ミカンとチェリーと送迎と」

Hamamatsu Mikanい日が続いたある日、季節外れのミカンが届いた。妻の両親からのお中元。夏の季節に相応しくない冬を象徴する鮮やかなオレンジ色が、ダイニングテーブルの上に鎮座している。冬のフルーツ、お歳暮に届くものというミカンに対する固定観念があった私にとっては不思議な光景。妻の故郷である静岡県のハウスミカン。ハウス栽培だから出荷の時期は4月から9月頃。決して季節外れではないのだという。ハウスミカンは皮が薄く、剥き易く、酸味が少なく、すこぶる甘い。冷蔵庫できりっと冷やし、甘く冷たいミカンを風呂上がりに頬張る。身体の中を甘さと冷たさが通っていく快感。ストレートに美味い。皮が剥きにくく酸味が強い冬のミカンよりも私の好み。果物に対する私の嗜好は、お子ちゃま。

Yamagata Cherryた別の日、山形の父からサクランボが届いた。山形出身だというと「サクランボが有名だよね」というコメントを返されることが多い。確かに社会科の教科書的には正解。けれど、これまた多くの人にとっての固定観念。山形県と言っても庄内地方という日本海側にあるエリアで生まれた私にとっては、サクランボは遠来のフルーツ。故郷に住んでいた子供の頃、決して身近なものではなかった。父にとっても同様。高速道路の無料化実験が終了する前に、遠出をしてみようと兄妹を伴って出掛けたとのこと。「念のために言っておくが、決して高級なサクランボではないぞ」とのコメント付き。決して裕福ではないけれど、武士は食わねど高楊枝の例えを地でいくような親父。初々しく赤い小さな実を頬張る。粒も色合いも不揃いながら、充分瑞々しく、甘く美味しい。心配ないよ親父、と2人で笑いながら季節の味をいただく。

ころで、ミカンもサクランボも、実は妻への見舞いの品ではない。義父母から届いたミカンは、娘の好物と知ってのギフト。父から届いたサクランボは、あることで怒り心頭だった私に対する父なりの気遣い。どちらにも心配を掛けないようにと怪我のことを伝えていなかったけれど、タイミングとしては妻がアキレス腱を切った直後だっただけに、妻へのお見舞いの品と思っていただいた。ひとつは季節外れと誤解したけれど、今が旬の(ハウスものは旬と言わないだろうけれど)甘〜い果物は、お見舞いの品としてはぴったり。どちらも親からの愛情の分だけ美味しく、ありがたくいただいた。

節外れと言えば、以前勤めた会社でそんな思いを感じている。週5日の内、3〜4日は会社に行くと言い張る妻を送迎する日々。出勤の朝、妻が今も勤め以前私が勤めた会社に同伴出社。混雑する時間を避けて電車に乗り、途中駅からタクシーというパターンが定着している。ところが社員の出社時間がばらばらの会社。社屋の前でタクシーを降り妻を見送り、最寄り駅に向う途中で以前の同僚や部下たちと遭遇することになる。あれ?と一瞬不思議そうな顔をする後輩、声を掛けてくるかつての同僚や部下、気が付いてか付かずにか黙ってすれ違う顔見知りの社員たち。その会社を辞めて6年余り。社屋は移転し、私にとって思い入れはないぴかぴかのビルに通う社員たちの顔ぶれも多くは変わったけれど、懐かしい顔も残っている。Facebookで最近の消息を知ったかつての同僚たちとも、久しぶりに顔を合わせると不思議な気持。自分にとって通り過ぎた季節を再び感じるような、くすぐったい気持。そんな気持を味わいながら、送迎はしばらく続くことになる。

跡も順調に消えてるけど、あと4週間は松葉杖かなぁ」だとすると、その間は一緒に付いて行く必要がある。左脚の再断裂や右足のアキレス腱断裂のリスクは残っている。慌てず、焦らず、細心の注意を払い、妻が早くスカッシュに復帰できるように。「来週のお芝居も行くよ!」バリアの多い世の中だけど、バリアのある場所に自ら行こうとする妻との、文字通りの二人三脚の生活は盛夏に向う。

お祝い×3「HomePartyの夜」

carpaccioさやかながら、やってみたいことがあった。NYC生まれのデリカテッセンDEAN & DELUCAの料理をテイクアウトして夕食とすることが多いお気楽夫婦。けれど、小食の2人がチョイスできるのはせいぜい3品か4品。それなのに店頭には魅力的な料理の数々がどうだ!美味しそうだろう!と挑戦的に並んでいる。あれもこれもと選びたいところをぐっと我慢して、せいぜい料理以外にバゲットを追加するに止める。あぁ、いつか美しく盛り付けられたショーケースの中の料理を、躊躇なく選び、片っ端から持ち帰りたい!そんな欲求を抑える日々。ところがある週末、そんな願望が実現した。周囲に3つのおめでたいことが重なり、一緒にお祝いをしようと日程を調整。ところが、時間がなかなか合わず、店を予約するのは難しい。だったら、時間が自由になるホームパーティにして、誰の負担にもならないように料理を買ってきて並べるだけにしよう!という設定に決定。友人たちがわが家に集まることになった。

Saladeころで、めでたいことのひとつ目。数年前からお世話になっているボクササイズ&整体の先生が国家試験に合格。いつも通りに休みなく整体師の仕事をしながら、3年間専門学校に通い柔道整復師の資格を取った。ふたつ目。ご近所に住む友人(妻)が、医療事務の試験に合格。長年勤めた会社を辞めた後、心機一転専門学校に通い、1度目のチャレンジで見事合格!そして3つ目は、妻の退院。これは予定外。元々約束をした主旨は2つだけ。約束した日程の直前にアキレス腱断裂、入院、手術、退院。たまたま皆が集まるスケジュールと合ってしまった。だったらついでに松葉杖姿を皆に見てもらおう。さらには整体の先生に今後の治療とリハビリについて聞いておこう。

paella日、渋谷東急のれん街にあるDEAN & DELUCAで待ち合わせ。一緒に買い出しをするのは、横浜に住むNYC帰りの友人夫妻。「うわぁ!美味しそうだねぇ♬キレーにディスプレーされてるねぇ。やっぱり日本のDEAN & DELUCAの方が、ず〜っと美味しそう♡」と友人(妻)。彼女がおっしゃる通り。その日も美しい盛付けで、たくさんの料理がショーケースに並ぶ。その日集まるのは、お気楽夫婦を含め7人。これは買い応えアリ。いつもは迷ってしまうサラダ、前菜、主菜を手当たり次第に選ぶ。2人では選ぶことができないパスタ、パエリアなど炭水化物系の料理も。くふふ。思わず笑みが零れる。快感の大人買い。それでも7人で割ったら、1人当りの食事代としては決して高くはない。「後は泡系とワインですね」NYC帰りの友人夫妻はいける口。NYC駐在中にナパヴァレーに旅したワイン好き。一緒に飲むワインを買うのもまた楽しい。

Partyわぁ〜!たいへんそう!」ギプスを巻いた妻が迎えるや友人夫妻が声を揃える。ご近所の友人夫妻が「スモークハウスTERA」のローストビーフを手にやって来る。妻が怪我の経緯や入院、手術の様子を語る間、ひとり料理の準備。とは言え皿に並べるだけの“料理”。ひと通りの準備が済んだところで乾杯。まだ明るい時間から飲み始める快感。気が置けない友人たちと、お気楽なホームパーティ。「それにしてもキレーに盛り付けられてるねぇ♬」「IGAさん凄い♡」妻の介護以降、家事の腕にますます磨きがかかる主夫。美味しそうに盛り付けるのもまた料理のうち。そこに仕事を終えた整体の先生も登場。「たいへんでしたねぇ」挨拶もそこそこに怪我の様子を確認。「会社に行ってるんですか。ホントだったらとんでもないです」無理をしないようにということばに妻が頷く。同じことを私が言うよりも効果がある。「今度は保険でできることもありますし、私がリハビリ指導します」力強いことばに妻も納得。

体の先生の合格祝いで再度乾杯。酒豪の先生が加わったことでワインが空くペースが早くなる。全てのワインがなくなり、ボンベイサファイヤのボトルを出す頃には、さすがの先生も酔い加減。「いやぁ、普段から体調管理を見させていただいている身としては残念です」妻の怪我をそんな視点で捉えていただけるのはありがたい。「介護疲れしないでね」「ほんと、何かできることがあったら言ってね」友人たちのことばも嬉しい限り。妻のお祝いは決して嬉しくないものだけれど、会社や周囲の皆さんにサポートされて何とか介護も続けられそうだ。楽しく嬉しい酒だ。気持よく酔いが回る。

れ?昨日風呂に入った?いつの間にか翌日。「なんとか入れたよ。私が代わりに介護したって感じ。ふだんやってもらっているから、お返しかな」あらら、そうでしたか。…でも、全く記憶にないのは、いつも通り。「全く、酔っ払い相手は介護の甲斐がないなぁ」妻のことばもいつも通り。

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