後藤ひろひと。彼こそが「大王」と自ら名乗り、周囲にもそう呼ばれている作家・演出家。1998年、川下大洋と共に結成した「Piper」の公演は、お気楽夫婦は欠かさず観ている。G2プロデュース公演、パルコプロデュース公演、Agape Store『Big Biz』3部作などの作品を手がけた。また、彼の名前を『パコと魔法の絵本』の原作者として初めて知った方もいるかもしれない。彼の創る舞台は、楽しい。彼の芝居は、実に楽しそうだ。そう、役者としても独特のキャラクター(作家「後藤ひろひと」として出演することが多い)丸出し。毒はない、とは言えない。けれど、脂や灰汁はたっぷり。そんなところが、好みは分かれるかもしれない。ことば遊びも野田と違って、ストレート。分かりやすいし、面白い。そして、巧い。
後藤ひろひと×パルコ劇場の企画第4弾、『スリー・ベルズ』を観た。これまでの3作(『恐竜と隣人のポルカ』など)いずれも好きな作品だったけれど、これは傑作。3つの物語が並行して展開し、絡み合い、最後にはひとつに帰結する。CAST全員が巧いし、魅力的。これは数多く芝居を観ているお気楽夫婦としても珍しい。特に、ウーイェイよしたか(スマイル)が抜群に魅力的。バイクの事故で15年間眠っていた彼が目覚める現代は、彼にとって「未来」の世界。何もかもが新鮮に映る彼の瞳を通して見る「今」も悪いばかりではないなと思わせる熱演。たんたんとスーパーの店長を演じる石丸謙二郎が3つの物語の帰結点にいて、エンディングの文字通りベルを鳴らす。夏の季節に、それも酷暑の夏に、クリスマスの物語も悪くない。人気上昇中の大王の作品はこれからも楽しみだ。
『スリー・ベルズ』観劇の前日、劇団M.O.P.『さらば八月のうた』を観た。スカッシュのスクールが休みになると、妻は無茶なスケジュールを立てる。作・演出は、マキノ・ノゾミ。26年間続いた主宰劇団をこの夏に解散。これが最終公演。つくづく良い劇団だった。彼らに、もっと早く会いたかった。もっと彼らの芝居を観ておきたかった。お気楽夫婦が初めてマキノの芝居を観たのは、2000年。俳優座プロデュース公演『高き彼物』…がつんとやられた。それ以降、マキノ作品、舞台を数多く観てきた。けれど、マキノの原点であり、活動の芯は劇団M.O.P.。それがもう観られない。出演者全員がタキシード姿でのエンディングのブラス演奏。物語とは全く関係のない、けれどとても楽しそうな演奏も好きだった。
『さらば八月のうた』は、劇団M.O.P.最後の公演に相応しい味わい深い作品だった。ひとつの歌、一隻の船を通じて戦前、戦中、戦後の各年代の物語が複雑に絡み合い、綴られる。1人2役のキムラ緑子。この劇団は彼女の劇団だったんだなぁ。しみじみと、そんな風に思わせる存在感。地ではないかと思わせる三上市郎の放埒なキャラクターも、小市慢太郎の美声も、脇を固めるキャストも、それぞれの芝居を噛みしめた。そして、説明っぽい部分はあったものの、それも自然に観られる大団円。いつもの通り良い芝居を観終わった後の満足感と、今回だけはもうこのキャスティングでは観られないという淋しさが交じり合う。「野田くんがいるよ!」妻が声を弾ませる。え?野田秀樹?「リリパの野田くん!ラッキー!」野田晋市ファンの妻は大喜び。最後の公演ということで、演劇関係者の顔も多く見られた。現実的な妻はすっかり淋しさよりも嬉しさが勝ったらしい。
「ところで、これでチケットの手持ちがなくなったんだよね」ここ数年の間でめったになかった状況。自転車キンクリートの公演もなく、AGAPE storeが解散、三谷のチケットは取れない…。「どこか新しい劇団を探そうかなぁ」妻が芝居のチラシの束を眺めながら呟いた。
末弟の義父が急逝したのは昨夏。交通事故による突然の訃報だった。ところが、お気楽夫婦はヴァカンスの真っ最中。長弟からの葬儀の連絡も空しく、一切の連絡が取れない状況の2人。帰国後、メールと留守番電話のメッセージに慌ててお悔やみの連絡。失礼極まりない長兄だった。その非礼のお詫びも兼ね、1周忌を迎える今夏、お気楽夫婦は弟の住む温泉街に向かった。前夜の深酒の後遺症(二日酔いとも言う)に悩みながらも、たっぷりの朝食を取り、マスターの運転で月山を越える高速道を走る。国交省の施策“高速道無料化社会実験”の名の下にタダになった山形自動車道。内陸に向かうルートはスムース。対して、夏の海に向かう対向車線の交通量は、以前と違い渋滞気味。社会実験の結果は明白。
予定通りの時刻に義弟の一族が待つ新居に 到着。婿養子として、農家に種苗などを販売する商家に嫁いだ末弟。朝早く起き、農家や家庭菜園を行う地元の爺さん婆さん相手に、懸命に商売をしてきた。けれど、元気に野良仕事をこなす義父の跡を継ぐのは、まだまだ先だと思っていただろう。地方のムラ社会での家長の役割は、多方面に渡る。昨夏の葬儀では、会ったこともない親族、檀家の役員などへの対応に苦労したという。弟の住む街は、内陸部の温泉街。生家のある海辺の街とは“ことば”が違う。極端に言えば、お互いのことばが通じない。地元の国立大学に進学した弟は、長い時間をかけて“ことばの壁”も乗り越えた。親族が集まるリビングルームでは、異国のことばが飛び交っていた。「…全くことばが判らない」妻は目を回す。けれど、末弟は2カ国語を実に器用に使い分ける。
自宅での一周忌法要を終え、向かった菩提寺は「法圓寺」という古刹。山門から本堂を眺める。高く聳える松、地面に並行して枝を伸ばす松、それぞれがきれいに枝が整えられている。立派な鐘楼まである境内の隅々まで、手入れの行き届いていることが判る。本堂での法要を待つ間、これまた堂々たる2間続きの座敷で一休み。雪見障子越に中庭が見える。池や庭木のバランスが素晴らしい。思わず廊下まで出て庭を眺める。う〜ん、これは見事。座敷に戻り、ご住職に庭の素晴らしさをお伝えすると、剪定した樹にとってはもう少し慈雨が必要なのだけれど、と穏やかに微笑まれる。その後本堂で法要。本堂の設えも、欄間の彫刻も素晴らしい。良いお寺さんだ、善いご住職だ。そして、善い檀家衆なのだろう。
法要が済み、お斎の会場「日本の宿 古窯」に向かう。旅行業者が選ぶ日本の名旅館上位の常連、地元住民自慢の宿でもある。立派な宴会場で、豪華な料理が並ぶ。施主として末弟が挨拶。滞りなく、それでも緊張しながら。会場の空気が硬くなる。その後をご住職が穏やかに挨拶を引き取り、訓話をいただき、和やかに会食が始まる。ふぅ。ほっとする。思えば、会場内の親族の中でも若手となる末弟。早過ぎた家督の相続。家を継ぐ者への試練でもあり、教育でもある。都会にはなくなってしまった、地域の縦社会の断片。一人前の大人になるための通過儀礼。婿殿はこんな世界で、こんな社会で頑張っているのだ。頑張れ!婿殿!Go Ahead!
「お風呂入っちゃおう♡」妻の提案に頷く。帰りの新幹線の時間を言い訳にお斎を中座し、名旅館自慢の大浴場に向かうお気楽夫婦。日中の男性風呂は最上階の展望風呂。誰もいない湯船に身を浸す。ふぅ、良い旅だった。お祝いも、弔いも無事に済ませた。それぞれが地域に根を張る弟たちを見届けた。「なんだか、3人とも似てるよね」妻が新幹線のシートに身を沈めながら呟いた。