イチゴのジャムをいただいた。ご近所の友人(妻)が作り、友人(夫)が届けてくれた。旬の果物を使って、その果物が多く出回り、最も美味しい頃に作るジャム。季節の味。保存料も、着色料も使っていない、甘さも抑えめ素材そのものの味。そんな柔らかな春の味がするイチゴジャムを、お気楽夫婦はヨーグルトの上に乗せて味わった。多謝。お気楽夫婦の朝食は、パンとヨーグルト。そしてミルクを温め、妻にはコーヒーを(私が)淹れ、自分には濃いめの紅茶。それがシンプルな、平日の朝の食卓。
休日は、そこに“企画”が加わる。ある週末の朝、お気楽夫婦のキッチンには大量の新じゃがが転がっていた。お気楽夫婦の住むマンションの目の前にできたJAの「ファーマーズマーケット千歳烏山」でゲットしたもの。以前は曜日限定で開催していた農産物直売所を立派なビルにして開店。新鮮で元気な野菜が手に入ることもあり、連日賑わっている店。妻も、店の前を通る度にふらふらと中に入ってしまう。「今日のトマト、かなり美味しそうだよ♫それに、安いし♡」そう言えば、春先の天候不順で野菜が高騰した時も、他の店に比べればお手頃な価格だった。
ということで、その日の朝食メニューは新じゃがづくし。新じゃがのサラダとじゃがバター。土が付いたままで、大きさがばらばらの新じゃがをがしがし洗う。ステンレスの笊の中で、網目にこすれて薄い皮が適度に剥がれていく。ひとつづつ手に取って水洗い。うん、どれも小ぶりでキュート。愛おしくなるぐらい旨そうだ。中華鍋に水を入れ、お湯を沸かす。そして二段重ねの蒸篭を乗せる。新じゃがたちを器に入れて、ふぅわりと蒸篭の杉の香りがする湯気の中に新じゃがを投入。蒸し上がるのを待つ。
ファーマーズマーケットで手に入れた姫ダイコン、プチトマト、サニーレタスを盛り付け、蒸し上がった中でも小ぶりの新じゃがたちを選び、皿の中央へ。ドレッシングをかけてサラダの完成。残りの新じゃがたちにバターを乗せれば朝食の準備完了。ようやく起きてきた妻がダイニングの席に着く。「おっ!美味しそうだね♡」熱々ほくほくの新じゃがを頬張る。「あふっ、おいひぃね」…こうしてお気楽夫婦の休日が始まる。
「ねぇ、これじゃ私が家事を何もしてないようで…」校正担当の妻が呟く。「良い生活だね♪」そう続くことばも予想通り。お気楽夫婦の休日の朝の風景。
ブンガクとは何か、エンタメとは、などという議論がたぶん世の中にはある。ブンガクでも、文学でも良いけれど、所詮面白くなければ誰にも読んではもらえない。知的好奇心を満足させるとか、ストーリーがハラハラどきどきさせるとか、登場人物に感情移入するとか、いろいろな楽しみ方がある。そのいずれの楽しみ方にせよ、広い意味で“面白い”ことが必要だ。ぶっ飛ぶ作品がある。今まで読んできた「小説」という既成の概念を軽々と飛び越えた設定。ブンガクとは?とか言う前に、読めば良い。とにかく面白いのだ。万城目学のデビュー作『鴨川ホルモー』がそんな作品だった。表紙のイラストに騙されてはいけない。ふざけたタイトルを侮ってはいけない。映画化された映像を(予告編か何かで)観た人は、先入観を捨てて欲しい。ばかばかしいくらい面白いけれど、読み終わった後にばかばかしさは微塵も残らない。満足感と次の作品を読みたいという欲望が残るだけ。
そんな私の欲求を満たす万城目学の第2作が待望の文庫化。(お気楽夫婦のルールで、特定の作家以外は文庫しか買ってはいけない)『鹿男あをによし』が発刊。本屋に走った。『1Q84』BOOK3を買いに向かうスピードより速く。そして満足感と、さらに次の作品を読みたいという欲求は増してしまった。この作品もドラマ化された。(万城目学の作品は映像化したくなるインパクトがあるんだろうな)けれど、ドラマを観た人は出演した玉木宏や綾瀬はるかの顔や姿を忘れて読んで欲しい。やはりふざけた設定だけど、これまたばかばかしいくらいに面白い。かと言って全く現実感がないかというとそうではなく、あり得ない奇想天外なストーリーが史実や文献に裏付けされた(されていそうな?)物語。異空間が現実の世界と隣り合わせに、それも異空間が人格を持てば「あ、現実さぁ〜ん。異空間で〜す。ここです、ここ!」てな感じでお気軽に、すぐ隣に存在する雰囲気。
何を隠そう、隠したことはないけれど、学生時代に私は上代文学の研究サークルにいた。上代文学と言っても耳慣れないかと思うけれど、上代とは日本に漢字が輸入され、万葉仮名が生まれた時代。つまり、上代文学とは日本で初めて文字によって成立した『古事記』や『万葉集』などを指す。それを研究していたと言えば硬いけれど、犬養孝の名著『万葉の旅』を片手に、奈良や出雲を旅していたというのが正しい。当時、アテネフランセに通いながら、授業の合間にアルバイトをして、さらに空いた時間に大学の授業を入れ、週に2回程度のサークルの活動もまめに参加していた。ということで、『鹿男あをによし』は、何度か訪れた奈良が舞台。奈良市近辺以外にも、飛鳥、三輪山、天理など当時訪れた懐かしい地名が並ぶ。密かに(隠してはいないけど)そんな過去も持つ私。現実の裏にある、ファンタジーを紡ぐ、あるいは掘り起こす万城目学にすっかりやられてしまった。
京都『鴨川ホルモー』、奈良『鹿男あをによし』と来て、次は『プリンセス・トヨトミ』という作品。もうタイトルだけでわくわくしてしまう。やはり映画化されるらしいが、私にとっては文庫化が待ち遠しい。これまでの2作品は、現実と異空間の狭間に登場人物を放り投げて、彼らが動き回るのを作者も楽しんでいるような気配もある物語。天才のペンは予測不能。新作が待ち遠しい作家が1人増えた。