奥さまはルーフトップ好き?「渋谷スクランブルスクエア」

RoofTOP12004年の夏、お気楽夫婦はバンコクにいた。その旅の目的のひとつは、天空のレストラン「ヴァーティゴ」を訪ねることだった。そこは「バニヤンツリーバンコク」のルーフトップ、61階にあるオープンエアのタイ料理レストラン。ガラスフェンスがあるだけで、屋根も柱もない、開放的なロケーション。高所恐怖症の方々にとっては、きっと想像もしたくない場所。ところが、お気楽な2人はそんな場所が大好きなのだ。

RoofTOP42019年の秋、お気楽夫婦は東京湾岸を望むホテルの屋上にあるバーにいた。2019年7月に開業したばかりの「ハイアット プレイス東京ベイ」というそのホテルのご自慢は、目の前に広がる東京湾を一望できる、その名もストレートに「ルーフトップバー」だと言う。そんな情報を得てしまったホテルジャンキーな2人。これは行かねばなるまい。と、ある週末にいそいそと出掛けたのだった。

RoofTOP3指したホテルは決して高い建物ではないものの、公園を挟んだ向こうは、海。抜群のロケーション。ルーフトップからの眺めを遮るものはない。左手に幕張新都心や千葉みなと近辺の高層ビル群、正面から右手にかけては京葉工業地域の工場群の灯りが東京湾を縁取り、巨大な船団の漁火のように輝く。ブランケットを膝に掛け、妻はホットコーヒー、私は「ウラヤス スリング」と名付けられたオリジナルカクテルをいただく。

RoofTOP5待以上のルーフトップ感を味わった翌日は、渋谷の新たなランドマーク「スクランブルスクエア」に向かう2人。何と、ルーフトップのハシゴ、それも昼夜2回連続という暴挙に出たのだ。11月1日に開業したばかりの渋谷最高峰ビルは、高さ229m。屋上の展望施設「SKY STAGE」は、360度遮るもののない本格的なルーフトップ。“高所狂喜乱舞症”のお気楽夫婦が開業の日を待ちに待ったビルだ。

RoofTOP6前にネット予約を済ませ、14階から45階への直通ノンストップエレベータ(内部にもワクワクの演出あり)に乗り、46階行きのエスカレータに乗り換える。厳しい荷物検査(手荷物や帽子など飛んでしまう可能性のある物は基本的にNG)を経て、屋外へ。ほぼ全ての人からわぁ〜っ!と言う歓声が上がる壮大な景色が広がるが、これはまだ序章。さらにオープンエアのエスカレータに乗った先がメインステージだ。

RoofTOP7ぉ〜いっ!」日頃は感情体温が低いことで知られる(笑)お気楽妻のテンションが一気に上がる。バンコクでの感動よ再び!と言う豪華な眺めにワクワクが止まらない。各方向ごとにガラスフェンスの高さや形状が変わっており、西側のコーナーは最も高さが低いため空中にそのまま飛び出せそうな浮遊感が味わえる。妻はさっそく撮影の順番を待って満面笑みのポーズを取る。踊り出してしまいそうな、悦びに満ちた様子だ。

RoofTOP8レー!」そして夜、2度目の登頂にも拘らず、日中とは全く趣が違う都心の煌めく夜景に2人で唸ってしまう。何とか雨も降らず、終日曇天ではあったものの、遠く朧な夜景もまた風情がある。余りの美夜景にため息を吐きながら高い所が大好きな理由は何だろうと考えてみた。1つは地図好きがポイント。あれがガーデンプレイスだから恵比寿、あの三角はサンプラザだから中野と、建物や地名を2人で飽かず眺め確認し合う。

RoofTOP9して2つめは、高さや開放的な空間に対する高揚感だ。高所から見下ろしていると、ゆったりとした“開かれた”気持ち良さを感じ、ランナーズハイのように、脳内ホルモン「エンドルフィン」が湧いてくる。高い場所で得られる満足感。楽しく生きることを信条とするお気楽夫婦にぴったり。元気に過ごすためのキーワードだ。「じゃあ次はパークハイアットで景色を眺めて…」と、妻のホテルジャンキーぶりともぴったりだ。

ラグビーOLDファンの呟き「RWCロス」

RWC1年15日が「成人の日」だった頃、毎年その日にラグビー日本選手権が行なわれていた。当時は社会人のチャンピオンチームと学生チャンピオンが日本一の座を争う人気の試合。お正月の風物詩として、晴着を来た女性が国立競技場の満員のスタンドで母校(あるいは彼氏の母校)の応援をするという映像が流れた。対抗戦の人気チームの早稲田、明治、慶應の3校の早慶戦、早明戦などはチケットがなかなか手に入らなかった。

RWC21980年に創刊された『Sports Graphic Number』は、ラグビー特集号になると書店に平積みにされ、あっという間に売切れ増刷された。日本選手権は、1978年から1984年にかけて7連覇を果たした新日鐵釜石に、毎年学生チャンピオンが挑み、破れるという試合が続いた。松尾雄治、森重隆、洞口、千田らの日本代表が揃った、そして地元の高校を卒業した選手が多い、泥臭さとスマートさを併せ持つ素晴らしいチームだった。

RWC37連覇の最後の3年間、釜石に挑んだ学生王者は同志社大学。平尾誠二、大八木淳史などが在籍した黄金時代で、彼ら2人が入社した神戸製鋼が1988年から1994年まで日本選手権で7連覇を果たした。この社会人2チームが圧倒的に強かったからこそのラグビー人気だったが、その強さ故に日本選手権のあり方は変わった。学生と社会人の優勝チームが日本一を争う形は、1997年で終わり、皮肉にもラグビー人気も陰ってしまった。

RWC4年のように足を運んでいた秩父宮に行かなくなってしまい、日本選手権のTV中継すら観なくなってしまったOLDファン(松尾のファンであり、釜石のファンだった)の私に火を付けたのが前回のラグビーW杯だった。いつの間にかラインアウトでのリフティングが反則ではなくなり、トライの得点は4点から5点に変わっていた。*調べると5点に変わったのが1992年、その頃からラグビーを見なくなっていたことが判明した(汗)。

RWC5グビーは国内の試合を観るもので、海外のチームには敵わない、テストマッチで日本代表が海外の代表チームに叩きのめされるのは観るに忍びない、という思い込みが木っ端微塵に破壊された。南アフリカ戦の劇的逆転勝利で涙した。あっという間にラグビー愛が蘇った。そして、今回のRWCでラグビー観戦(TVでも)未体験の妻を誘い、観戦したのは「フランスvsアルゼンチン」という好カード。妻は俄かに大ファンになった。

RWC6っとチケットを取れば良かったなぁ」と嘆く妻と、2人が住むマンションの1階にあるベルギービールバーで「日本vsサモア」の試合を観戦したり、沿線にあるファンゾーンを何度となく訪れたりした。そこでは子供たちがラグビー体験に目を輝かせていたり、各国のファンが地元住民たちと交流をしたりと、とても温かな空間だった。「良いね、この感じ。チケット手に入らないかなぁ」とますます嘆く妻。そこに…。

RWC7IGAさん、RWCの3位決定戦を観に行きませんか。一緒に行く予定だった母が行けなくなって」という神の声。妻思いの私は、ほんの一瞬だけ妻の顔が脳裏に過ったものの、躊躇いもなく(汗)「行く!」と返信。かつての同僚であるラグビー好き女子と「ニュージーランドvsウェールズ」の観戦に向かった。「オールブラックス」の黒、「赤い悪魔」の赤、そして日本代表のユニが目立つ客席は満席。観客は皆リラックスモード。

RWC9の席に座った母娘が手にしているのは、表に両国の国旗、裏面に両国の国歌(カタカナ発音付き)という力作。試合前の国歌斉唱の際には懸命に一緒に歌い、試合終了後の各チームの一列に並んだ挨拶の時には大きく国旗を掲げ、母娘仲良く実に楽しそうに両チームの応援をしていた。そんな心震え、涙しそうな風景を見て気が付いた。3位決定戦こそ勝敗に関係なくラグビーというスポーツを楽しめる試合なのかもしれないと。

RWC8い軍団は思う存分自らのラグビーを徹底し、判官贔屓のスタンドの観客たちは劣勢のいチームに声援を送った。楽しい試合だった。エンタテインメントだった。母娘の写真を撮ってあげたら、代わりに撮りましょうと手作り国旗を貸してくれた。良い大会だった。日本国中がラグビーの愉しさと、海外からのゲストを迎える楽しみを知った44日間だった。と、すっかりラグビーロス。日本全国にそんな人たちがいるらしい。

「良いなぁ…あと1試合くらい観たかったなぁ」お気楽妻が零す。よしっ!分かった。4年後、フランスに行こう!と妻に宣言すると、「おぉっ!」と妻が応える。ホントか?…お気楽夫婦のお気楽な生活は続く…模様だ。

聖地巡礼in浜松「蜜蜂と遠雷」

Mitsubachi2田陸の小説『蜜蜂と遠雷』を読み、久しぶりに恩田作品にハマった。彼女の作風は余りにも幅広く、かなりの数の(文庫化された)作品を読んではいるものの、私にとって当たりハズレがあった。『夜のピクニック』のように何度も読み返したい作品もあれば、『ネクロポロス』のように読み終えるのに苦労した物語もある。恩田陸はそんな作家。そして、この作品世界の中に入り込み、興奮と共に読み終わった後に映画化されたと知った。

Mitsubachi1作を読んで気に入った場合、映画作品を観ることは一種の賭けになる。文字と映像表現は余りにも異なる。原作の架空世界をどのように映像で表現するか。読者が勝手に広げた小説のイメージと、視覚で強制された映像表現とのズレをどう受け入れるか。その上この作品では、音楽という文字では表現しづらいものを映像はリアルに伝えることになる。さてどうだろうと期待と怖れ半分で映画を観た。そして結果は、期待以上。

Mitsubachi3本のとある地方都市(原作では芳ヶ江)で開催される世界的なピアノコンクールを舞台にした『蜜蜂と遠雷』には、モデルになった街がある。お気楽妻の生まれ故郷、浜松だ。工業都市として発展してきた浜松は、ホンダの発祥の地であり、スズキやヤマハの本社があるなど、“ものづくりのまち”を標榜するに相応しい。中でもヤマハ以外にも、カワイ、ローランドなど、世界に名だたるメーカーが立地する楽器の街でもあるのだ。

Mitsubachi4器の街、あるいは音楽の街といっても良い浜松市が、1991年に市制80周年を記念して創設したのが「浜松国際ピアノコンクール」だ。以降3年毎に開催されて来たこのコンクールが、『蜂蜜と遠雷』のモチーフとなっている。原作でコンクールの会場になっているのは、浜松駅近くの複合施設「アクトシティ浜松」の実在するホールがモデルだ。すると、それを知った妻から「聖地巡礼に行ってみようか」と提案があった。

Mitsubachi5秋、義母の傘寿のお祝いにと、「オークラアクトシティホテル浜松」に宿泊し、お祝いをするという予定があったのだ。祝宴の翌朝、さっそく聖地巡礼の旅に出る2人。アクトシティは、「ホテル、オフィス、ショッピングセンターなどの複合施設のひとつであるこのコンサートホールは、石造りの広場を囲むようにロビーが造られ…」と原作にある広場に出る。ここで開かれたオープニングパーティの喧騒を想像する。

Mitsubachi6ホールでは予選が開催された。「コンクールの行われている中ホールはガラス越しに受付が見える。受付の奥に見えるホールの扉は固く閉ざされていた」原作通りの扉を眺め、主人公たちが競ったコンクールの描写の興奮を思い出す。時間的な制約がある映画では、コンクール舞台裏やコンテスタントたちの細かな心理描写までは描き切れていなかったが、逆に出演者たち(と代役)の見事な演奏がリアルに再現されていた。

Mitsubachi7ホールでは本選の演奏が行なわれた。「通い慣れた中ホールではなく、彼らは赤い絨毯の敷かれたゆったりした広い階段を…」という原作通りの景色を眺める不思議。とは言え、実は映画のロケは浜松では行なわれていない、というオチが付く。浜松市文化振興財団が作成したリーフレットにも“ゆかりの地を巡る旅”とある。実際に撮影されたのは他のホールで、原作のモデルは浜松。原作派の私は浜松を聖地とする。

Mitsubachi8画には、映画にしかできないことがある。実際にそんな映画になっている。そして、恩田陸のコメントに「この小説は絶対に小説でなければできないことをやろうと決心して描き始めた…」とあるように、恩田陸の小説世界は完成されている。すなわち小説の読者であり、映画の鑑賞者である我々は幸福だ。そのどちらも味わえ、その上物語の舞台となった現実世界を旅して、2つの作品を想うことができるのだから。

「次回のコンクール、観に来る?」泊まったホテルの魅力を再発見し、原作も映画もお気に入りになったお気楽妻の感想は想定内。さて次回、2021年の「第11回浜松国際ピアノコンクール」の行方は。そしてお気楽夫婦の動向は?

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SINCE 1.May 2005