フルリノベーション5周年♬「808」

Bistro808-11808」が5周年を迎えた。「808」と言えば、Suchmos(サッチモス)の楽曲を思い浮かべる人がいるだろう。Hondaの「VEZEL」のTVCMにも使われた名曲だ。あるいは、本田望結ちゃん(なぜかホンダ繋がり)がCFに出演していた「808 FACTORY」と言う完全人工光で野菜を育てる企業だったり、もしかしたら「そりゃあ、江戸八百八町のことかい?」と言う江戸っ子がいるかもしれない。人気があるのか?「808」。

Bistro808-12のブログに度々登場する「808」は、ビストロの名前であり、建築家でありスカッシュ仲間である廣部剛司くんのプロジェクトの名前でもある。彼の事務所が初めて手掛けたマンションのフルリノベーション物件であり、もちろんお気楽夫婦の自宅である。彼の手掛けた案件は「海辺のシェルハウス」とか、「桜並木の家」と呼称が付けられるのだけれど、我が家は「いい数字だから、そのまま使いましょう」と命名された。

Bistro808-8成後に「ビストロ808」と名付け、不定期営業の人気店として開業(笑)。営業日数は5年間で34回を数える。そして毎年秋には定期点検と称し、廣部くんを中心にスカッシュ仲間を招きビストロを開店しているのだ。2019年秋、5周年の開店においで頂いたのは、(ほぼスカッシュを辞めた方もいるけれど)やはりスカッシュ仲間とそのパートナー。ラブラブな若い2人は33回目の開店に続くご来店。常連化の気配。嬉しいぞっ。

Bistro808-2杯はスパークリングワイン。オードブルの盛合せを供すると、いつもより若々しい声で「きゃーっ!キレー!」と歓声が上がる。常連のマダムは「IGAちゃん、また腕をあげたね」と微笑む。いずれも嬉しい反応だ。以前から料理は好きだったのだが、リノベーションでキッチンが広くなり、対面式で使い勝手が良くなったことがビストロ開店のきっかけ。居心地の良いダイニングを造ってくれた建築家のおかげでもある。

Bistro808-32本目のスパークリングが空いた頃には、2皿目の「あつみかぶのマリネとスモークサーモン」を供する。私の故郷山形の名産である「あつみかぶ」と言う赤カブを酢漬けしておいたモノを、スモークサーモン(さすがに市販品)とイクラを盛付け、パセリを散らす。初めて作った一品としては上出来だ。たまにこんなオリジナルレシピ、アレンジレシピの料理を作る。お気楽妻と一緒に辛い?修行(単なる外食)をしながら鍛えた成果だ。

Bistro808-4縄勤務が増えたゲストが持参してくれた泡盛に合わせ、ビストロとしては珍しいメニューもご用意。砂肝のカレー風味とキノコのマリネだ。爽やかな飲み口の泡盛と、コリコリとした食感の砂肝の組合せが予想以上に好評。沖縄居酒屋の特別営業も検討しようか。キノコのマリネはビストロらしくセップ茸を使った料理を!と探したものの発見できず、エリンギで代用。シメジやハナビラ茸と一緒に日本の秋の味を堪能する。

Bistro808-6の日のメイン料理は、「モンサンミッシェルのムール貝のワイン蒸し」。これも活きたムール貝を輸入できると知って、定番料理のひとつになった。パテドカンパーニュと同様に作ってみたら意外とできちゃったと言う、難しそうで慣れれば簡単な料理だ。「ムールすっごい美味しいね♬」「ほんとホント。味が濃厚だよね」無口になるはずの集中系料理なのに、賑やかに飲み、食べ続けているゲストたち。実に嬉しい限りだ。

Bistro808-9くまで帰るからって早い時間に開店したのに、いつもより長く飲んだだけだね」タクシーで帰るゲストたちを見送り、笑い合いながら後片付けをするお気楽夫婦。師匠のシェフ聡ちゃんの店「3/4(トロワキャール)」は、良い店の要素は料理、ワイン、おもてなしの心で3/4、残りの1/4が楽しんでくれるゲストだと言う。だとすると「ビストロ808」は、4つ目のゲストに恵まれている。皆さまのご来店をお待ちしています!

奥さまはルーフトップ好き?「渋谷スクランブルスクエア」

RoofTOP12004年の夏、お気楽夫婦はバンコクにいた。その旅の目的のひとつは、天空のレストラン「ヴァーティゴ」を訪ねることだった。そこは「バニヤンツリーバンコク」のルーフトップ、61階にあるオープンエアのタイ料理レストラン。ガラスフェンスがあるだけで、屋根も柱もない、開放的なロケーション。高所恐怖症の方々にとっては、きっと想像もしたくない場所。ところが、お気楽な2人はそんな場所が大好きなのだ。

RoofTOP42019年の秋、お気楽夫婦は東京湾岸を望むホテルの屋上にあるバーにいた。2019年7月に開業したばかりの「ハイアット プレイス東京ベイ」というそのホテルのご自慢は、目の前に広がる東京湾を一望できる、その名もストレートに「ルーフトップバー」だと言う。そんな情報を得てしまったホテルジャンキーな2人。これは行かねばなるまい。と、ある週末にいそいそと出掛けたのだった。

RoofTOP3指したホテルは決して高い建物ではないものの、公園を挟んだ向こうは、海。抜群のロケーション。ルーフトップからの眺めを遮るものはない。左手に幕張新都心や千葉みなと近辺の高層ビル群、正面から右手にかけては京葉工業地域の工場群の灯りが東京湾を縁取り、巨大な船団の漁火のように輝く。ブランケットを膝に掛け、妻はホットコーヒー、私は「ウラヤス スリング」と名付けられたオリジナルカクテルをいただく。

RoofTOP5待以上のルーフトップ感を味わった翌日は、渋谷の新たなランドマーク「スクランブルスクエア」に向かう2人。何と、ルーフトップのハシゴ、それも昼夜2回連続という暴挙に出たのだ。11月1日に開業したばかりの渋谷最高峰ビルは、高さ229m。屋上の展望施設「SKY STAGE」は、360度遮るもののない本格的なルーフトップ。“高所狂喜乱舞症”のお気楽夫婦が開業の日を待ちに待ったビルだ。

RoofTOP6前にネット予約を済ませ、14階から45階への直通ノンストップエレベータ(内部にもワクワクの演出あり)に乗り、46階行きのエスカレータに乗り換える。厳しい荷物検査(手荷物や帽子など飛んでしまう可能性のある物は基本的にNG)を経て、屋外へ。ほぼ全ての人からわぁ〜っ!と言う歓声が上がる壮大な景色が広がるが、これはまだ序章。さらにオープンエアのエスカレータに乗った先がメインステージだ。

RoofTOP7ぉ〜いっ!」日頃は感情体温が低いことで知られる(笑)お気楽妻のテンションが一気に上がる。バンコクでの感動よ再び!と言う豪華な眺めにワクワクが止まらない。各方向ごとにガラスフェンスの高さや形状が変わっており、西側のコーナーは最も高さが低いため空中にそのまま飛び出せそうな浮遊感が味わえる。妻はさっそく撮影の順番を待って満面笑みのポーズを取る。踊り出してしまいそうな、悦びに満ちた様子だ。

RoofTOP8レー!」そして夜、2度目の登頂にも拘らず、日中とは全く趣が違う都心の煌めく夜景に2人で唸ってしまう。何とか雨も降らず、終日曇天ではあったものの、遠く朧な夜景もまた風情がある。余りの美夜景にため息を吐きながら高い所が大好きな理由は何だろうと考えてみた。1つは地図好きがポイント。あれがガーデンプレイスだから恵比寿、あの三角はサンプラザだから中野と、建物や地名を2人で飽かず眺め確認し合う。

RoofTOP9して2つめは、高さや開放的な空間に対する高揚感だ。高所から見下ろしていると、ゆったりとした“開かれた”気持ち良さを感じ、ランナーズハイのように、脳内ホルモン「エンドルフィン」が湧いてくる。高い場所で得られる満足感。楽しく生きることを信条とするお気楽夫婦にぴったり。元気に過ごすためのキーワードだ。「じゃあ次はパークハイアットで景色を眺めて…」と、妻のホテルジャンキーぶりともぴったりだ。

ラグビーOLDファンの呟き「RWCロス」

RWC1年15日が「成人の日」だった頃、毎年その日にラグビー日本選手権が行なわれていた。当時は社会人のチャンピオンチームと学生チャンピオンが日本一の座を争う人気の試合。お正月の風物詩として、晴着を来た女性が国立競技場の満員のスタンドで母校(あるいは彼氏の母校)の応援をするという映像が流れた。対抗戦の人気チームの早稲田、明治、慶應の3校の早慶戦、早明戦などはチケットがなかなか手に入らなかった。

RWC21980年に創刊された『Sports Graphic Number』は、ラグビー特集号になると書店に平積みにされ、あっという間に売切れ増刷された。日本選手権は、1978年から1984年にかけて7連覇を果たした新日鐵釜石に、毎年学生チャンピオンが挑み、破れるという試合が続いた。松尾雄治、森重隆、洞口、千田らの日本代表が揃った、そして地元の高校を卒業した選手が多い、泥臭さとスマートさを併せ持つ素晴らしいチームだった。

RWC37連覇の最後の3年間、釜石に挑んだ学生王者は同志社大学。平尾誠二、大八木淳史などが在籍した黄金時代で、彼ら2人が入社した神戸製鋼が1988年から1994年まで日本選手権で7連覇を果たした。この社会人2チームが圧倒的に強かったからこそのラグビー人気だったが、その強さ故に日本選手権のあり方は変わった。学生と社会人の優勝チームが日本一を争う形は、1997年で終わり、皮肉にもラグビー人気も陰ってしまった。

RWC4年のように足を運んでいた秩父宮に行かなくなってしまい、日本選手権のTV中継すら観なくなってしまったOLDファン(松尾のファンであり、釜石のファンだった)の私に火を付けたのが前回のラグビーW杯だった。いつの間にかラインアウトでのリフティングが反則ではなくなり、トライの得点は4点から5点に変わっていた。*調べると5点に変わったのが1992年、その頃からラグビーを見なくなっていたことが判明した(汗)。

RWC5グビーは国内の試合を観るもので、海外のチームには敵わない、テストマッチで日本代表が海外の代表チームに叩きのめされるのは観るに忍びない、という思い込みが木っ端微塵に破壊された。南アフリカ戦の劇的逆転勝利で涙した。あっという間にラグビー愛が蘇った。そして、今回のRWCでラグビー観戦(TVでも)未体験の妻を誘い、観戦したのは「フランスvsアルゼンチン」という好カード。妻は俄かに大ファンになった。

RWC6っとチケットを取れば良かったなぁ」と嘆く妻と、2人が住むマンションの1階にあるベルギービールバーで「日本vsサモア」の試合を観戦したり、沿線にあるファンゾーンを何度となく訪れたりした。そこでは子供たちがラグビー体験に目を輝かせていたり、各国のファンが地元住民たちと交流をしたりと、とても温かな空間だった。「良いね、この感じ。チケット手に入らないかなぁ」とますます嘆く妻。そこに…。

RWC7IGAさん、RWCの3位決定戦を観に行きませんか。一緒に行く予定だった母が行けなくなって」という神の声。妻思いの私は、ほんの一瞬だけ妻の顔が脳裏に過ったものの、躊躇いもなく(汗)「行く!」と返信。かつての同僚であるラグビー好き女子と「ニュージーランドvsウェールズ」の観戦に向かった。「オールブラックス」の黒、「赤い悪魔」の赤、そして日本代表のユニが目立つ客席は満席。観客は皆リラックスモード。

RWC9の席に座った母娘が手にしているのは、表に両国の国旗、裏面に両国の国歌(カタカナ発音付き)という力作。試合前の国歌斉唱の際には懸命に一緒に歌い、試合終了後の各チームの一列に並んだ挨拶の時には大きく国旗を掲げ、母娘仲良く実に楽しそうに両チームの応援をしていた。そんな心震え、涙しそうな風景を見て気が付いた。3位決定戦こそ勝敗に関係なくラグビーというスポーツを楽しめる試合なのかもしれないと。

RWC8い軍団は思う存分自らのラグビーを徹底し、判官贔屓のスタンドの観客たちは劣勢のいチームに声援を送った。楽しい試合だった。エンタテインメントだった。母娘の写真を撮ってあげたら、代わりに撮りましょうと手作り国旗を貸してくれた。良い大会だった。日本国中がラグビーの愉しさと、海外からのゲストを迎える楽しみを知った44日間だった。と、すっかりラグビーロス。日本全国にそんな人たちがいるらしい。

「良いなぁ…あと1試合くらい観たかったなぁ」お気楽妻が零す。よしっ!分かった。4年後、フランスに行こう!と妻に宣言すると、「おぉっ!」と妻が応える。ホントか?…お気楽夫婦のお気楽な生活は続く…模様だ。

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