スカッシュコート存続の為に「大分スカッシュプロジェクト」

SquashCourt1本におけるスカッシュの聖地、相鉄線緑園都市駅前にあった「横浜スカッシュパーク コータコート」は、そう呼ぶに相応しい素晴らしい施設だった。そのスカッシュ専門施設が保有する9面のスカッシュコートが2006年3月に閉鎖された。スカッシュプレーヤーにとっては、例えば野球なら甲子園球場が無くなるような、テニスなら有明の森が閉鎖されるような、決して大袈裟ではなく、それ程ショッキングな出来事だった。

SquashCourt2カッシュに限らず、スポーツもビジネスである以上事業として継続できなければ成り立たない。日本のスカッシュコートの現状は、ほとんどがスポーツクラブの中に設置されているということもあり、改装の際に閉鎖されるケースも多い。人気がなければ、空間効率の悪いスカッシュコートは排除されてしまう。コータコートも駅前立地ということもあり、所有者の相鉄がマンションに立て替えたのは正しい判断なのだと思う。

SquashCourt3んな一般論はさて置き、スカッシュプレーヤーとしては悲しく、悔しいNEWSだった。コータコートはお気楽夫婦が初めて大会に参戦した会場であり、全日本で千夏ちゃんが初優勝したのもコータだった。そこで立ち上がった2人の元チャンピオンがいた。1人は元学生チャンピオンの丹埜倫(敬称略)。コータコートの資材を利用し、「サンセットブリーズ保田」というスポーツ&宿泊施設を2007年にOPENさせた。*ブログ参照

SquashCourt7う一人のチャンピオンは、全日本7回優勝を誇る渡邊祥広。コータコートに選手及びコーチとして所属していた彼は、同じ横浜の地に「ヨコハマスカッシュスタジアムSQ-CUBE」を立ち上げた。スカッシュコートが無くなってしまうなら、自ら作ってしまおうという発想だけではなく、丹埜は10ヶ所以上の合宿施設を運営したり、渡邊は継続的にスカッシュ大会を開催するなど、ビジネスでもチャンプになっている。さすが。

SquashCourt52008年の秋、お気楽夫婦は(無謀にもワールドマスターズというスカッシュの世界大会参加のために)ニュージーランドに出かけた。大会の開催地となったクライストチャーチには、ラグビー場に隣接して複数面のスカッシュコートがあったり、コートを見下ろす2階にバーが付いており、観戦しながらビールを飲むことができたり、スポーツそのものだけではなくクラブライフを楽しむ環境が整い、文化として定着していた。

SquashCourt6ュージーランドに限らず、欧米の主要国や英領だった香港などの主要都市にはクラブ文化が確立している。メンバー同士の交流があり、クラブの経営者だけではなく、クラブメンバーたちが物心両面で施設を支えている。日本の総合スポーツクラブは、運営企業が設備とスクールやプログラムなどのソフトを用意し、会員が施設を使わせてもらい、プログラムに参加させてもらっている、という関係。そこには大きな隔たりがある。

SquashCourt9崎でスカッシュの火を灯し続けようと頑張っている女性がいる。宮崎県で唯一のスカッシュコート閉鎖を機に、自らスカッシュコートを新設した道下和子さん。彼女もスカッシュ(九州)チャンピオンであり、現在も現役プレーヤーとして大会に出場し続ける鉄人。全国のスカッシュプレーヤーたちにも協力を求め、2013年に「宮崎スカッシュクラブbuddy」を立ち上げた。クラブ文化を宮崎に創るためにも頑張って欲しい。Fight!

SquashCourt82018年、大分でも県内唯一のスカッシュコートが閉鎖されようとしている。そこで、クラウドファンディングによりスカッシュコート新設を実現しようと、地元在住の元スカッシュ(九州)チャンピオン東義智さんが「OITA SQUASH PROJECT」を立ち上げた。7月29日現在、目標金額には届いていないが、残り17日間で目標に到達しなくても建設資金に充当できる。お気楽夫婦も微力ながら協力。加油!東さん!

気楽夫婦には子供がいない。某国会議員に言わせれば「生産性がない」ということになるらしい。だったら、何を生産すべきかを考えてみる。自ら何かの基金を立ち上げたり、相続先を悩む程の資産はない。だったら僅かながらでも気になる対象にシェアしよう!それが結論。若い子にはご馳走しよう(笑)。見返りを期待しない寄付をしよう!(だから「ふるさと納税」はやらない)そんな心持ち。当然、スカッシュというスポーツに多少なりとも貢献したい、という気持ちになる。道下さんや東さんが「スカッシュへの恩返し」というメッセージを発していたけれど、そこはお気楽夫婦も同じ気持ち。かと言って、コートを自分で建設したり、事業を全面的にサポートしたりはできない。そこで、何ができるかという地点に戻る。スカッシュによって得られたモノへの感謝と返礼。だからこそスカッシュコートを存続のためのサポートだ。「…私たちも齢をとったってことだね」とお気楽妻。だね。

ムサコの夜は更ける「さよなら天神湯♨️」

Tenjin-Yu1湯が急激に減っている。昭和40年の東京23区内の銭湯の数は2,385ヶ所だったらしいから、各区平均で100カ所以上もあったということになる。それが平成27年で574ヶ所だから、約50年の間に1/4にまで減少したということだ。*お気楽夫婦の住む世田谷区では、151ヶ所から32ヶ所と1/5に減っている。家風呂の普及が最大の原因なのは間違いないが、スーパー銭湯等が増えていることを考えると原因は他にもあるのだ。

Tenjin-Yu27月22日、神奈川県川崎市にある1軒の銭湯が65年の歴史の幕を降ろす。私鉄の駅から商店街を抜けた住宅街にある、マンション併設の都市型銭湯。ある週末、お気楽夫婦は友人たちに誘われ、その銭湯に向かった。実はこの銭湯はスカッシュ仲間の実家。「廃業する前に一度は行ってみたいね。風呂上りにはビールでも一緒に飲もうか♬」…そんな企画。最寄りの駅に集まり、のんびりと銭湯まで散歩気分で歩き、入口で記念撮影。

Tenjin-Yu3まで迎えに来てくれたスカッシュ仲間は、番台の看板娘に早変わり。常連さんらしい客に声を掛け、声を掛けられる。地元に根付いた銭湯なのだろう。ただし、彼女はあくまでお手伝いの身。3代目の彼女は後継にはならず、他の姉弟同様に会社勤め。そうなのだ。銭湯廃業の理由のひとつが、後継者がいないこと。銭湯の仕事は重労働だし、夜も遅い。利用客の減少に伴い、効率の悪い生業になったのだろう。

Tenjin-Yu4して銭湯廃業の最大の理由が、この貼紙の挨拶文にある通り、施設(と従業員)の老朽化。事業を継続するには設備の更新が必要であり、投資の規模を考えれば敷地を効果的に活用する選択肢は他にもある。「スカッシュコート作れないですかね。1面なら確実にできそうだけど、2面だと柱が邪魔になりそうだな」同行の建築家と湯船に浸かりながら現地調査。以前から冗談で言っていたアイディアを、シャレ半分で検討する時間。

Tenjin-Yu5神湯に乾杯!」「65年間お疲れさま」「良い湯だった」風呂上がりのさっぱり気分で隣駅のムサコまで歩き、ビールをグビリ。美味しいに決まっている。やっぱり銭湯は街の宝だ。財産だ。けれども経営は大変だろうし、スカッシュコートにするにはさらに大変だろう(笑)。「やっぱりコート作るのは無理かなぁ」「本気だったら実測しに行くよ」「コートの横にはバーを作ろうよ」「あぁ、それ絶対良い!」「通っちゃう!」

Tenjin-Yu6湯がなくなる淋しさと、スカッシュコート建設という夢のような話が交錯する。「ワインもう1本飲んじゃおぉ〜っ!」お酒が好きで、スカッシュが好きという共通項で、ずっとお付き合いが続く楽しい仲間たち。かつてスカッシュの大会参戦で訪れたニュージーランドで、大会会場となったコートにバーなどが併設されたクラブの雰囲気、クラブライフに憧れた。仲間たちとあんな場所に集えたら、きっと楽しいに違いない。

カッシュコート、やっぱり作ろう!」「コートを見下ろすバーを作って…」話題がぐるぐる周り始める頃、何本目かのワインが空いた。いつの間にか「焼きトウモロコシとチーズのリゾット」を美味しいからとさらに追加オーダーしたヤツ(あ、俺だった)がいた。こうして美味しく楽しくムサコの夜が更けていった。

これまでも、これからも、ぴあ的生活は続く「ぴあ復活」

エンタメ1学卒業後に入社した流通系企業から、1986年に「ぴあ」に転職した私の学生時代はエンタメ三昧の日々だった。名画座やライブハウスに通った。夏の野外フェス、年末の裕也プレゼンツの年越しライブは季節の恒例行事。そんな学生だった私にとって、ぴあという会社はどストライクな環境だった。周囲には脚本を書き芝居をやったり、バンドを組んでライブをやったり、映画を観まくったり、そんなスタッフばかりだった。

エンタメ2日は横スタでプリンスのライブだから、早退するね♬」「おっ!良いなぁ。俺も前座のシーラ・Eだけでも観たいなぁ」そんな会話がフツーに交わされていた。それから30年余り。私は2005年にぴあを退職し、「ぴあ」も2011年に休刊した。けれども、仕事は変わっても、ずっと映画や演劇などのライブ・エンタテインメントは身近にあり続けた。年間40〜50本ほど、映画や芝居、コンサートを観続けて来た。

エンタメ3あがなくなっても“ぴあ的生活”は続くと「ぴあ最終号」発売時にブログに記した。私にとってのぴあ的生活とは、ライブ・エンタテインメントだけではなく、美味しいモノを食べること、スポーツで汗を流すこと、お気に入りのホテルに泊まること…すなわち興味のあること、面白いことに貪欲な生活。グルメ、ホテル、映画、演劇、読書。当時ぴあジャンルと呼んでいた領域は、私のブログのカテゴリそのものだ。さらに…。

エンタメ4ンタメノート」というファイルを1986年から作成している。その年に行ったライブ・エンタテインメントのタイトルのメモ。評価するわけでもなく、ただ前年の手帳を元に、自分の1年間を振り返りながら淡々と記録している。例えば、1988年は映画が21本、演劇が19本、コンサートが9本など合計57本。この年は、「Yes」「ミック・ジャガー」「ピンク・フロイド」などの懐かしビッグネームが来日。などと遠い目になる。

エンタメ6て今年はと言うと、シニア割引で映画が観られることになった事もあり、既に映画11本、演劇11本、スポーツ観戦、美術展などを合わせ約30本。週に1度以上はエンタメ三昧という日々。還暦を迎えても同じ仕事を続けられる幸福な状況であり、さらに嬉しいことに時間的な余裕はある。スポーツジムに通い、旅行に出かけ、美味しいモノを食す。経済的に、そして体力的に可能な限り、こんな“ぴあ的生活”を続けるのだろう。

エンタメ7、そんなタイミングで「ぴあが復活!」との嬉しいNEWSが飛び込んで来た。もちろん情報誌ではなく、スマホのアプリという形で。現在、8月末の本格スタートに向けて無料サービス部分をテスト版として公開中。「いま、最高の1本に出会える」というキャッチ。検索では出会えない達人たちがオススメする「エンタメ水先案内人」や、自分の「観た」や「見たい」を登録できる「マイノート」などの機能を搭載。むむっ!

エンタメ8れは周囲からの刺激で新しいアーティストや劇団に出逢った、ぴあ時代の私の環境の再現であり、こまめにノートを作っている私にぴったりのアプリではないか!達人たちの中には映画フリークの先輩S口さんや、クラシックソムリエとなった当時の同僚のT中くんがいたりと、これまた楽しみ。情報誌時代の楽しみだった「はみだしYOUとPIA」が復活していたり、遊びゴコロも満載。提灯記事などではなく、本音で嬉しい限り。

あ」アプリのユーザー:エンタメ、文化を楽しんで人生を豊かにしようとする人のことを「ぴあニスト」と呼び、登録できるらしい。むむむっ!ネーミングは好みではないけれど、古巣の新サービスにひとつ乗っかってみるか♬

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