いつもの店で夏の味「神泉 遠藤利三郎商店、他」

Summer1秋も過ぎ、夏も終わ…らなさそうな今夏。すっかり熱帯地域の日本。だいたい旧暦の二十四節気で季節を感じるのは無理がある。猛暑日が続く8月の初旬に立秋と言われてもなぁ〜という今年の暑さ。とは言え、暑さに負けず、今年も各地で夏を味わった。まずは大阪の北新地。出張の度に地元の方に連れて行っていただく店がある。「高橋謙太郎」という直球の店名。何度かお邪魔してすっかり顔なじみ。まいど!と声が掛かる。

Summer2阪の“新地”という響きだけで敷居が高いと思っていたけれど、この店の気さくな雰囲気で固定概念が吹き飛んだ。同伴でご出勤の2人連れが多いことを除けば、実に居心地が良い。そして料理はもちろん、日本酒と酒器の組合せのセンスが素晴らしい。その日の逸品は白エビの握り。優しい味の白エビのヅケに強めのワサビ。旨い。酒は「阿部勘」の純米大吟醸に青い切子のグラス。目にも舌にもキリッと美味い。夏の幸福。

Summer3いて渋谷 神泉。馴染みのワインビストロ「遠藤利三郎商店」へ。ワインアパートメントの1階という場所柄、ワインの店であるのは当然ながら、この店の料理は実に旨い。長く務めたシェフが替わっても料理の水準をキープし、ワインと相性の良い一品を供してくれる。いつものカウンタ席に座ると、妻にはスパークリングワインならぬスパークリングウォーターがすっと供される。2人の担当(3代目)ソムリエのミホちゃんだ。

Summer4のはこの日、店のFacebookに掲載された「冷製カッペリーニ」の画像と席が空いているという情報に釣られて、サクッと業務を終了。すかさず予約してやって来たお気楽夫婦だった。ミホちゃんにそう伝えると「わぁ、嬉しいです。更新し甲斐があります♬」と笑顔。桃の甘み、トマトの酸味、生ハムの塩加減、そしてミントの香りが絶妙なハーモニー。画像から妄想した味の期待以上に美味しい夏の味。また釣ってねと店を出る。

Summer5らに世田谷線 松陰神社前。行きつけの「ビストロ トロワキャール」に密かに?集まったのは、ある企画でご一緒しよう!というスカッシュ仲間たちとの決起集会(笑)。計画の実現を祈って乾杯!企画とは関係なく話題はあちこちに飛び、注がれたワインがあっという間にグラスから消え、笑い声が飛び交う。まだその企ては公にはできないけれど、このメンバーなら楽しいモノになるに違いない。今からとても楽しみだ。

Summer6の味として毎年恒例の「鮎のコンフィ」が食べたくて、この店にやって来たのだけれど、鮎を食べる前に絶品ガスパチョが、その日の主役の座を奪ってしまった。ひと匙飲んで、誰もが一斉に目を見張った。この店の絶品のひと皿にもトマトの酸味と桃の甘み。爽やかに旨い。今年はこの組合せだなぁと目を細める旨さ。これは「ビストロ808」では再現できないだろうなと、師匠の技を盗み見る。その壁は遥か高い場所だ。

Summer7メは静岡県浜松市。妻の故郷であるこの街に帰る度に、可能な限り立ち寄る店がある。「割烹 弁いち」という3代100年近く続く老舗の料理屋だ。この店の魅力は最大4人まで座れる個室のカウンタ席。改装前は1階にあった人気のコーナーを2階に移し、ますます魅力的なスペースになった。その日も2人(と店主と3人)で、居心地の良い空間と酒と料理の組み合せを堪能する。「麗(うらら)」という銘酒で幸福の時間の開始だ。

Summer8烹 弁いち」のある遠州浜松は、食材に恵まれた地であるにも関わらず、地物を活かすけれど地産地消ではなく、その時期に最高の食材を各地から集め、料理に寄り添う日本各地の最良の酒を供する。その日秀逸だったのは、天然のトンビマイタケの独特の歯ざわりと絶妙なソース。シメもトンビマイタケの炊き込みご飯。秋のイメージがあるキノコだが、旧盆の頃が旬の、これも夏の味。なんと口福な時間であることか。

こうして今年もいつもの店で、各地の夏の味を堪能できた。街の巨匠たちに感謝。「あとは夏のヴァカンスを堪能するだけだね」とお気楽妻。了解♬

美味と美景のホテル「パレスホテル東京」

Palace1生時代、数多くのアルバイトをしながら大学とアテネ・フランセに通っていた。コンサートのスタッフ、花屋の店員、英会話スクールの雑務など、経験した雑多な職種の中でも飲食系のサービススタッフの仕事が多かった。建て替え前の「パレスホテル」では、宴会場の配膳係だった。結婚披露宴でシャンパンを抜くタイミングがズレたりの失敗もあったけれど、飲食系サービスのマナーと技術の基本を学んだ場所でもあった。

Palace2時から(存在そのものは決して派手ではないけれど)パレスホテルは料理が美味しいと評判だった。宴会が終わった後、切り残したローストビーフをスタッフで味見することができた。ローストビーフ初体験。牛丼ばかり食べていた学生にとって、この世には何て美味しい肉料理があるんだ!という衝撃の味だった。…それから40年。当時の貧乏学生は、自腹でパレスホテルに食事に行けるくらいのオトナになった。感涙。

Palace3人たちと一緒に向かったのは「琥珀宮」というホテル内にある中国飯店系の中華レストラン。「広東料理Foo」のサービススタッフだった根本さんが支配人を務める店だ。初訪問ということもあり、ランチでお試しと伺ったところ、絶品料理にノックアウト。前菜のローストポークの香ばしさ、点心5種の大根もちの絶妙な歯ざわり。悶絶の美味しさ。最もお手頃な彩り点心コースでも、味もサービスもボリュームにも満足。美味。

Palace4ンチの後は、客室でティータイム。その日は日曜日。最優先のスカッシュスクールは休講のため、お気楽妻のリクエストで5年ぶり2度目の「パレスホテル東京」に宿泊。客室のタイプは前回同様に皇居や和田倉噴水公園を望むVIEW、そしてちょっとゼータクに前回のデラックス(45㎡)よりやや広めのグランドデラックス(55㎡)。広めのバルコニー、そして何と言ってもバルコニーに面したVIEWバスが嬉しい。

Palace5ルコニーから眺められるのは、左手に東京駅近辺に聳えるスカイスクレーパー群。その高さ(100m)でかつて物議を醸した東京海上の茶色のビルが埋没する、丸ビル(179m)、新丸ビル(198m)をはじめとした200m近くの高さのビル群が皇居のお濠に沿って連なり、日比谷公園の傍らには出来立ての東京ミッドタウン日比谷(192m)が鎮座する。正面には虎ノ門、六本木、赤坂方面のビルが林立し、皇居の緑を縁取る。美景。

Palace6京は美しい街なのかもしれない。決して景観を優先してきた訳ではなく、都市全体のグランドデザインもない。継ぎ接ぎだらけで、部分最適。けれども侵すべからざる空間として、皇居(江戸城)という存在が都心のさらに核となる景観を守った。パレスホテル東京を尖鋭として、皇居に攻め込んだビルたちはお濠で足止めを食らう。競うように立ち上がるビルたちは皇居を引き立てる額縁でしかない。だからこそ美しいのだ。

IMG_2335和40年代までは百尺(約30m)で制限されていた丸の内地区のビルの高さが、100m、200mと高層化すると同時に、複数のビルを合わせて建て替えることで大規模化を実現してきた。それらの丸の内のビル群の成長を、丸の内1−1−1という絶好の場所から見守っているのがパレスホテル東京だ。ビル群と緑が眩しい日中の風景も、黄昏時の眺めも、各ビルがその輝きを競い合う夜景も、どれも美しく、眺めて飽きることがない。

Palace8朝、朝食はインルームダイニングで。お気楽妻はお約束のエッグベネディクトがメインの洋食を満足そうに頬張る。私が選んだ和朝食は、ホテル朝食ランキングで自分史上最高の水準。どれも手が込んだ少量多品種の“おかず”がツボ。ついつい食べ過ぎたため、食後はレイトチェクアウトをお願いして、ジムでたっぷり汗を流す。「やっぱりこのホテルはいいね。住みたいね」と妻の評価は前回同様の最高水準。再訪必至。

スカッシュコート存続の為に「大分スカッシュプロジェクト」

SquashCourt1本におけるスカッシュの聖地、相鉄線緑園都市駅前にあった「横浜スカッシュパーク コータコート」は、そう呼ぶに相応しい素晴らしい施設だった。そのスカッシュ専門施設が保有する9面のスカッシュコートが2006年3月に閉鎖された。スカッシュプレーヤーにとっては、例えば野球なら甲子園球場が無くなるような、テニスなら有明の森が閉鎖されるような、決して大袈裟ではなく、それ程ショッキングな出来事だった。

SquashCourt2カッシュに限らず、スポーツもビジネスである以上事業として継続できなければ成り立たない。日本のスカッシュコートの現状は、ほとんどがスポーツクラブの中に設置されているということもあり、改装の際に閉鎖されるケースも多い。人気がなければ、空間効率の悪いスカッシュコートは排除されてしまう。コータコートも駅前立地ということもあり、所有者の相鉄がマンションに立て替えたのは正しい判断なのだと思う。

SquashCourt3んな一般論はさて置き、スカッシュプレーヤーとしては悲しく、悔しいNEWSだった。コータコートはお気楽夫婦が初めて大会に参戦した会場であり、全日本で千夏ちゃんが初優勝したのもコータだった。そこで立ち上がった2人の元チャンピオンがいた。1人は元学生チャンピオンの丹埜倫(敬称略)。コータコートの資材を利用し、「サンセットブリーズ保田」というスポーツ&宿泊施設を2007年にOPENさせた。*ブログ参照

SquashCourt7う一人のチャンピオンは、全日本7回優勝を誇る渡邊祥広。コータコートに選手及びコーチとして所属していた彼は、同じ横浜の地に「ヨコハマスカッシュスタジアムSQ-CUBE」を立ち上げた。スカッシュコートが無くなってしまうなら、自ら作ってしまおうという発想だけではなく、丹埜は10ヶ所以上の合宿施設を運営したり、渡邊は継続的にスカッシュ大会を開催するなど、ビジネスでもチャンプになっている。さすが。

SquashCourt52008年の秋、お気楽夫婦は(無謀にもワールドマスターズというスカッシュの世界大会参加のために)ニュージーランドに出かけた。大会の開催地となったクライストチャーチには、ラグビー場に隣接して複数面のスカッシュコートがあったり、コートを見下ろす2階にバーが付いており、観戦しながらビールを飲むことができたり、スポーツそのものだけではなくクラブライフを楽しむ環境が整い、文化として定着していた。

SquashCourt6ュージーランドに限らず、欧米の主要国や英領だった香港などの主要都市にはクラブ文化が確立している。メンバー同士の交流があり、クラブの経営者だけではなく、クラブメンバーたちが物心両面で施設を支えている。日本の総合スポーツクラブは、運営企業が設備とスクールやプログラムなどのソフトを用意し、会員が施設を使わせてもらい、プログラムに参加させてもらっている、という関係。そこには大きな隔たりがある。

SquashCourt9崎でスカッシュの火を灯し続けようと頑張っている女性がいる。宮崎県で唯一のスカッシュコート閉鎖を機に、自らスカッシュコートを新設した道下和子さん。彼女もスカッシュ(九州)チャンピオンであり、現在も現役プレーヤーとして大会に出場し続ける鉄人。全国のスカッシュプレーヤーたちにも協力を求め、2013年に「宮崎スカッシュクラブbuddy」を立ち上げた。クラブ文化を宮崎に創るためにも頑張って欲しい。Fight!

SquashCourt82018年、大分でも県内唯一のスカッシュコートが閉鎖されようとしている。そこで、クラウドファンディングによりスカッシュコート新設を実現しようと、地元在住の元スカッシュ(九州)チャンピオン東義智さんが「OITA SQUASH PROJECT」を立ち上げた。7月29日現在、目標金額には届いていないが、残り17日間で目標に到達しなくても建設資金に充当できる。お気楽夫婦も微力ながら協力。加油!東さん!

気楽夫婦には子供がいない。某国会議員に言わせれば「生産性がない」ということになるらしい。だったら、何を生産すべきかを考えてみる。自ら何かの基金を立ち上げたり、相続先を悩む程の資産はない。だったら僅かながらでも気になる対象にシェアしよう!それが結論。若い子にはご馳走しよう(笑)。見返りを期待しない寄付をしよう!(だから「ふるさと納税」はやらない)そんな心持ち。当然、スカッシュというスポーツに多少なりとも貢献したい、という気持ちになる。道下さんや東さんが「スカッシュへの恩返し」というメッセージを発していたけれど、そこはお気楽夫婦も同じ気持ち。かと言って、コートを自分で建設したり、事業を全面的にサポートしたりはできない。そこで、何ができるかという地点に戻る。スカッシュによって得られたモノへの感謝と返礼。だからこそスカッシュコートを存続のためのサポートだ。「…私たちも齢をとったってことだね」とお気楽妻。だね。

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SINCE 1.May 2005