
記憶通り、降り立った空港は素朴なままだった。着陸した飛行機からターミナルビルまでの移動は、遊園地にあるような小さなトローリーバス。そのターミナルビルは、オープンエアの平屋建て。入国手続きのために並ぶ狭い通路には、申し訳なさそうに扇風機が回る。16年ぶり、2度目のKoh Samui(サムイ島)だ。入国審査を終え、ホテルに依頼していた迎えの車を待つ。指定されていたミーティングポイントには、ゲストの名前を掲げた大勢のスタッフ。自分たちの名前を探すが、ない。待つ。再度探す。ない。「どこのホテル?」親切そうなおじさんが心配そうに声を掛けて探してくれるが、来ていない。空港の案内所からホテルに電話をすると、もう出たとの事。蕎麦屋の出前か!到着の高揚感が薄れ苛立ちが増す。待つ事1時間余り、ホテルまでは50分。やれやれ。

お気楽夫婦の2016年夏のヴァカンスで滞在したのは「コンラッド・コ サムイ」。サムイ島の南西端、バーンタリン・ンガムにある、全81棟のプールヴィラリゾートだ。コンラッドはヒルトングループにおいて、ウォルドルフ・アストリアに次ぐ旗艦ホテルブランド。レセプションは崖の最上部。チェックインを済ませると、崖の中腹に建つヴィラまでカートで送ってくれる。どんな発想で、こんな場所にホテルを建設しようと思ったのか?と思うような急峻な崖。建物を下から見上げると、タイに建築基準法はないのか?この建て方で地震が来たら、ひとたまりもないぜ!というヴィラが並ぶ。何せ建物の土台は、10mから20mほどの長さの何本ものコンクリートの柱で支えられ、スターウォーズのAT−AT(四足歩行戦車、あの足の長いやつね)のようなバランスなのだ。

214、それがお気楽夫婦が滞在したヴィラNo.。5層ほどの敷地の下から2層目。朝食用のレストランまで徒歩1分。海までの距離も程良く、絶好のロケーションだ。高い天井の下にシーリングファンが緩やかに回り、巨大なベッドの足元には大きなフットベンチ、そしてソファセット。つまりベッドルームはワンルームのジュニアスイートタイプ。なのに、バスルームも同等の広さ。巨大な円形のバスタブ、両面鏡のダブルボウルの洗面台、レインシャワーもついたやはり大きなガラス張りのシャワーブース。1ベッドルームプールヴィラというカテゴリは、全て同じ間取り。部屋の広さは65㎡。それだけで東京の我が家より広いのに、プライベートプールを合わせると約100㎡。リゾートに非日常を求める2人は、自宅より広い部屋(自宅が狭いだけ)に滞在するのが常だ。

プライベートプールの幅は15m。各ヴィラの配置が絶妙なため、隣のヴィラからの視界は遮られている。プールの縁まで行っても下層のヴィラの全体を見ることはできない。つまり、スイムウェアなしで泳いでも大丈夫ということか。おっと、目を凝らして良く見ると、海に近いヴィラのプールにピンクのダック?が浮いている。あの程度は見えるのか。あぶない、あぶない。読書をする場所はヴィラのあちこちにある。横にも寝られる大きなベッドでも良し、プールサイドのカウチでも、デッキチェアでも、もちろん涼しい室内のソファでも。おかげで読書は捗った。持参した全12冊の内、7冊を読破。その中の1冊、村上春樹の旅エッセイ『ラオスにいったい何が…』の帯に、こんな一節があった。「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」…。
後日、お気楽夫婦はそのフレーズを実感することになる。トイレの水量が弱く、一度ではなかなか流れなかったのはご愛嬌。その度ごとに一度で流れた!と喜んだり、2度でもダメだったと嘆いたり。それはほんの序章だったのだ。
次回に続く…。
リオで日本選手が活躍する夏も後半、ようやくお気楽夫婦のヴァカンス(ホテルに篭り本を読む旅)が始まる。毎年春先から旅先で読みたい本を買い溜め、読むのを我慢し積ん読。通勤車内で読みたい作品は先に読み、旅先に向いていそうな作品を残すのがルール。今年のヴァカンスはちょいと長めだから、多めに持って行こうか。妻との間で検討会が開催される。2人が購入するのは文庫が基本。リノベーションで書棚が大きくなったとは言え、元々が狭いマンション住まい。ハードカバーを買って良しと決めた作家以外は文庫化されるまで待つ。春樹&龍のW村上、ロバート.B.パーカーだけが例外の3人。特にパーカーは新作を旅先に持参するのを毎年楽しみにしていた。だが、残念ながら2012年の夏に持参した『春雷』が、パーカー最後の作品となった。
村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか?』は、ハードカバーであることから、文句なく当選。村上春樹の紀行文はお気に入り。例えば『遠い太鼓』。彼が日本を離れていた3年間に(とは言え、村上春樹の場合、日本を離れている期間の方が長いような気がするが)訪ねた国でのスケッチの集積だと彼は呼んでいる。ローマ、アテネ、ミコノス、ヘルシンキ、ザルツブルク、旅情を唆る地名が並ぶ。『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』も好きな紀行文だ。アイラ島を訪ね、シングルモルトを片っぱしから飲み比べたくなる。それなのに、今回はラオス。なぜラオス?聞かれるまでもなく、いったい何があるというのだ。こちらが聞きたい。久しぶりの村上旅エッセイ、それもうまく行かない旅の気配。楽しみにしている1冊だ。
ダン・ブラウンの『インフェルノ』も当選確実。上中下の3分冊だから通勤の車内でも読みやすいのだが、『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』などの、一連のラングドン・シリーズは、実は旅先の読書に向いている。世界各地の大都市や人気の観光地が舞台となっている作品は、既に訪れた場所ならば映像的にリアルなものになり、未訪問の街ならば訪ねてみようかという気持ちにさせる。ヴァカンスの只中で、次のヴァカンスに想いを馳せるというゼータクな時間を過ごすことができるのだ。今回の作品はダンテの『神曲』がモチーフになっているようだから、物語の舞台はイタリアか。2000年にローマを訪ねて以来、イタリアには行っていない。ヨーロッパの旅のリスクが少なくなる頃に訪れようか。…まだ読んでもいないのに夢想してしまう。
ジェフリー・アーチャーの『クリフトン年代記』シリーズも楽しみだ。第4部『追風に帆を上げよ』を読みながら前作を思い出し、第5部『剣より強し』を読み終わる頃には、次作を楽しみにし出すのだろう。アーチャーの作品は当たり外れがあるけれど、善悪の価値観がはっきりとしている場合が多いから感情移入がし易い。だからこそ軽く読み流しやすく、大河小説的に(良い意味で)ダラダラとヴァカンス中に読むには向いている。鼻持ちならない登場人物も南の島の空気の中では許してあげられる。中毒性があるという程ではないにせよ、各編が続編を読みたくなる終わり方をするからズルい。つい買ってしまう。ロバート.B.パーカーの『スペンサーシリーズ』の最新作が読めなくなった今、毎年楽しみにできるシリーズになると良いのだけれど。
マイクル・クライトンの新作も、残念ながら読めなくなってしまった。『ライジング・サン』がベストセラーとなり、『ジュラシック・パーク』で全世界的に有名になった彼の作品(日本語訳・文庫化)は、全て読んでいるはずだ。医学ミステリ、バイオサスペンス、テクノスリラーなど、彼の深く広いジャンルに渡る物語は魅力的だった。2008年に没したクライトンの年齢は66歳。まだまだたくさんの物語を紡いで欲しかった。彼の遺作となった『マイクロワールド』は、未完で発見された原稿をリチャード・プレストンという作家が引き継いで完成させた作品だという。読み終えた後にお気に入りとなれば、彼の作品を遡って読んでみようか。あれ?何だか今年の夏の候補作品は、意図せず海外作品が多い。う〜む、他には…。
三浦しをんがいるじゃないか。我慢できずに読んでしまいそうになったけれど、『神去なあなあ日常』の続編『神去なあなあ夜話』が残っていた。直木賞受賞作『まほろ駅前多田便利軒』をはじめ、映画化やドラマ化された作品も多いけれど、観た後でも映像に負けない独特の世界観が好きだ。現実と薄い皮一枚で繋がっている異なる物語。リアリティがあり、異空間的魅力もあり、少しだけ非現実的な登場人物も良い。『風が強く吹いている』や『小暮荘物語』も、そんな非現実的リアルな物語として好きな作品だ。「あれ?それ読んじゃったよ」と妻。え〜っ!我慢できなかったのか。では、文庫化を楽しみにしていた『村上海賊の娘』かな。それともぶ厚いから、有川浩の『空飛ぶ広報室』かな…。そんな2人のヴァカンス突入まで、あとわずか!