私の妻はサラダ好き♬「サラダランチBOX」

salad1性は、かなりの割合でサラダが好きだ。肉食女子であっても、サラダが嫌いかと尋ねれば好きと答えるはずだ。サラダの持つイメージは、“ヘルシー”のひと言。野菜中心で繊維質が豊富。ビタミンCやβカロテンなどの美容に良い成分が多い。カロリーが低く、肥満防止に効果がある…などと信じられている。コンビニの棚には「1日に必要な緑黄色野菜の50%が摂れる」などという表示の食品が数多く並び、野菜を食べなきゃいかん!という気持ちにさせられる。けれども日本の一般家庭の食生活の中に“野菜”サラダが定着したのは、1970年代後半。意外と最近のことだ。キューピーの公式サイトによると、マヨネーズの製造開始は1925年、フレンチドレッシングは1958年、和風ドレッシングが1965年で、いずれも国内初。そして、中華ドレッシングが1978年。これが醤油系ドレッシングの先駆けらしい。へぇ〜。

salad3気楽妻も例に漏れず、サラダ好き。外食の際には、確実に2品以上のサラダをオーダーし、ベジファースト!と呪文を唱え、真っ先に野菜を食べる。野菜の繊維質が脂肪を包み、急激な脂肪の吸収を避けられる、というものらしい。体脂肪率10%台なんだから、そこまでせんでも…と密かに思っているが、口には出さない。あ、でもブログに書いてしまったか。「ビストロ808」のメニューにもクリュディテをはじめとしたサラダのラインナップは多い。ちなみにクリュディテというのは、フランス料理の、オードブルとしての生(または生に近い食感の)野菜の盛合せ。大きな白い皿に、色鮮やかにキャロットラペ、紫キャベツのマリネなどを並べる。見目麗しく、食欲をそそり、お手軽なのに豪華に見える。実は、これが妻のランチBOXに収まる定番メニュ。作り置きができ、組み合わせも多彩、食べ応えもある。

salad2のランチ用にサラダを作り始めて4年。計算してみると、何と1,000回近く作っていることになる。凄いぞ!俺。その間、ずっと密閉度が高いタッパーウェア(これは商品名だから、実は別物の密閉容器)を使っていた。けれど、妻の小さめのバッグの中では、容器は毎回横にされていた。だからこその密閉容器ではあるのだが、最初から縦型の容器はないのかぁ?と探してみたら、世の中はお弁当ブーム、そして新年度。簡単に見つかった。さっそく購入。ところが、そこで弁当作りのハードルが上がった。以前は横に2種類、ないしは3種類詰めれば見栄えが十分だった。けれど、新たなランチBOXは縦2段。最低4種類は盛り付けないと見栄えがしない。ランチBOXマスターの美意識が許さない。朝に数種類のサラダを少量作るか、週末などに作り置きする料理を増やすことになる。この工夫が楽しく、趣味の領域に突入している。

salad4味しいサラダ作りに重要な要素、新鮮な野菜の調達は恵まれた環境にある。仕入先は、お気楽夫婦の住むマンションの目の前にあるJAのファーマーズマーケット。以前は千歳農協の週末だけの青空直売所だったのが、立派な店舗を構えたのだ。地元世田谷の農家が作る野菜は、安くて新鮮。冬はダイコン、白菜、夏はトマトにキュウリ…などと農作物に偏りがあるのが難だが、季節感は確実に感じられる。青虫が付いていたり、泥付きだったり、ダイコンなどの葉は青々としてシャキシャキで、地元感満載。生産者の名前もきちんと入っており、地元の地主に多い名字だったりするのが、いかにもという感じ。開店前に地元のおばちゃんたちが列を作り、お昼前には在庫がほとんどなくなってしまう人気店。妻が列に並んで1週間分の野菜を仕入れ、シェフたる私が、1週間分の大まかなサラダのメニューを考える。週末のルーティン。

…こうして毎日の妻のサラダランチBOXができあがる。「ん、今日も華やかで美味しいぞ!」ごく稀に、妻からメッセージが届く。たっぷりのサラダと、ベーグルが妻の定番ランチ。そして、夜は残業をしながらサプリをかじり、家に帰ってポップコーン。1日分の野菜は、ランチで取るしかないという妻の忙しい春。大げさに言えば、サラダランチBOXは、栄養バランスの命綱なのだ。さて、来週は?

運動はサプリメント?「ジム通いの日々」

JIM1JIM2の深夜残業の日々が続いている。春から初夏に忙しくなる業務を担当している彼女は、この時期に大きな負荷がかかる。毎日のように終電に近い時間に帰って来て、入浴後に定位置のソファに寝転んでポップコーンや柿ピーを頬張る。日中はずっと交感神経が働き、残業していてもあまり空腹にならず、サプリを口にするくらいで、きちんと食べずに仕事をしているらしい。(空腹になると仕事が手につかない私には真似ができない!)そして、自宅に戻って副交感神経がようやく働き始め、リラックスして好きなモノを食べる。それが、至福の時間なのだと言う。パジャマ姿で深夜にぽりぽりと柿ピーを齧って緊張感を解し、日中のダメージを回復させる。毎晩の大切な儀式。

JIM3JIM4律神経のバランスを取るためには、他にも必要なことがある。交感神経が優位のままだと、筋肉が強張り、血液の循環が悪くなる。疲れが取れない。「今日は走りに行くよ!」深夜残業の翌朝、自分に言い聞かせるように妻が宣言する。週に1回か2回、ジムに行って走らないと身体のバランスが上手く取れないのだという。前日に根を詰めて仕事をしたのに、あるいは集中したからこそ、走って汗を流し、有酸素運動によってたっぷりと呼吸がしたいらしい。運動は肉体的効果だけではなく、運動で汗を流してすっきりすることで精神的にもリフレッシュできる。そして適度に身体を動かすことで、血液循環が良くなり、効果的に疲労回復できる。いわゆるアクティブレストだ。

JIM5JIM6を食べて帰ろうか?」シャワーを浴びてすっきりした妻が満面の笑みで尋ねる。ご機嫌の絶頂の笑顔。ジムで汗を流した後は、美味しいモノを食べて帰る。これも2人のお約束。普段の粗食(毎日が美食の日々だと思われている気配があるが、大きな誤解だ)を補い、栄養的なバランスを取るために大切なことでもあり、ストレス(妻には余りストレスはないらしいが)を解消するためにも必要なことだ。その日の帰りは、松陰神社前の「広東料理Foo」へ。久々にいただいたシェフの慎ちゃんの料理は、相変わらず絶品。旬のホタルイカやグリーンアスパラなど、季節をきちんと感じられる食材を、絶妙な味付けと調理法で供してもらえる貴重な店だ。

JIM7JIM8に2回程度通っている整骨院ボクササイズの帰りは、お隣のお気軽イタリアン。その日の絶品料理は生しらすのカルパッチョ。お手頃なワインをひとりでぐびぐび。地元世田谷の元気な野菜を使ったサラダや、春キャベツ、新玉ねぎなど、やはり季節ごとに旬の食材を味わえる嬉しい店だ。日曜のスカッシュレッスンの前には、自由が丘でさくらパン。桜花の香りと若桃甘露煮の上品な甘さがグッとくる美味しさ。そして、レッスンの後にはスカッシュ仲間宅でポットラック方式のミニホームパーティ。参加メンバーそれぞれが料理(買ったデリも可)を持ち寄り、お気楽に集まった。改めて写真を見るとバランス良く料理が並んでおり、なかなか豪華で美味しそう。またやろうね。

の残業とジム通いの日々を過ごし、改めて自覚した。お気楽夫婦にとって、運動は(その後の食事を含め)サプリメント(栄養補助食品)なのだ。夜遅くに飲んで食べる行為自体は、決してプラス効果だけにならないことも重々分かってはいるけれど、止められない。と言うよりは、最初から止める気はない。ジムで走る→汗を流してすっきり→シャワーを浴びてさっぱり→ビールをぐびり→美味しいモノを食べてご機嫌→疲労回復→翌日の残業もどんと来い!→とは言えお疲れモード→ジムで走る…という行動サイクルは、決して痩せるためのものではない。ビールを美味しく飲みたくて汗を流すためだけではなく、2人にとっては日々の生活に必要なスタイルなのだ。そして週末、「じゃね〜♬」夕方からのパーソナルトレーニングをモチベーションとして、6週連続土曜勤務の妻が会社に出かけて行った。

サクラのある情景「サクラSONGS♬」

SAKURA1SAKURA2末の朝、サクラの曲がずっと流れている。CATVの音楽専門チャンネルの「サクラSONGS」という特別番組。アンジェラ・アキ「サクラ色」、レミオロメン「3月9日」、ケツメイシ「さくら」、スピッツ「チェリー」、コブクロ「桜」…。多くのアーティストたちが歌うサクラの歌に、いろいろな情景が浮かぶ。ある年の春は、ご近所の友人夫妻(妻のみ)と砧公園に出かけた。お気楽妻と同様にお酒を飲まない彼女だったから、温かいコーヒーを片手に。サクラを眺めながら、お酒も飲まずにのんびりと話をしている2人の後ろ姿は、まだ肌寒い季節なのに、何だかそこだけ温かかった。2人は、ずっと一緒にいられる友人だと思っていた。けれども叶わない思いもあることを後に知った。

SAKURA4SAKURA3災の翌年の春、ワインとアニョーパスカルを抱えて、スカッシュ仲間とやはり砧公園へ。復活祭にアルザス地方で食べられているという子羊型の焼き菓子は、ほんのり甘く、上品で、優しい味がした。自粛ムードが世の中に満ちていた前年のサクラは、誰しもゆったりと眺められなかった。けれど、毎年変わらず艶やかに咲く大木のサクラは、元はゴルフ場だったその広大な公園の象徴であり続けていた。この公園では、人がサクラを眺めるだけではなく、サクラも人を見守っている気配がある。走り回る子供たちや、昼から酒を酌み交わす大人たちに、今年は私を見に来られて良かったねと語りかけてくるようで、なんだか優しく花見の客を眺めているように見えるのだった。

SAKURA5SAKURA6の名所を訪ねる旅をしたのも同じ年だった。秋田に転勤した友人と一緒に、横手や角館のサクラを訪ね歩いた。横手城址のサクラも、角館の武家屋敷の枝垂桜も、桧木内川(ひのきないがわ)の桜並木も、実に見事だった。ことに角館は、狂おしいほどのサクラ色の町だった。桜前線の北上と共に北の国に向かう、吉野のサクラが見頃と聞けば西に向かう、そんな旅をすることができたら、きっと楽しいんだろうなと実感した。引退し始めた団塊の世代の人々が、そんなゼータク旅をこぞって実行しているらしい。ふと自らの数年後を考える。仕事を辞め、スケジュールに余裕ができる年代になったら、却って天邪鬼になり、その季節に大挙して観光客が集まる場所を避ける気がする。

SAKURA7SAKURA8田のサクラ旅は、故郷の父を訪ねた後の“ついで”だった。亡父の傘寿(80歳)のお祝いをするため、温泉宿に一緒に宿泊した。空港まで自分の車で迎えに来てくれた父は、運転操作も問題なく、癌で胃を全摘出したとは思えないほど実に健康で元気だった。海岸沿いをドライブし、チューリップ畑とサクラの共演を楽しみ、故郷の母なる山である嫋やかな姿の「月山」を遠く眺めた。自分のお祝いのためだけで帰省するのは勿体ないと言い張る父に、転勤した友人を訪ねる“ついでに”立ち寄るのだと理由を付け、無理やりスケジュールを入れた。東京の大学で学んでいた甥を同室にして、今の内に彼にとっての祖父の話を聞いておけと命じた。思えば、元気な父に会えた最後の旅だった。

SAKURA9SAKURA10年の春、サクラの頃に故郷の父を訪ねた。厳冬の頃、入院する父を何度か見舞った。けれど、その後に快復の気配も見せず、最後と覚悟した一時退院に付き添うためだった。前年のサクラの頃、傘寿のお祝いにと贈った傘を手に「楽しいなぁ、嬉しいなぁ。ありがとうな」とご機嫌に酔っ払っていた父。促さずとも、亡き母との出会いを、若き日の恋愛を、饒舌に語っていた父。それが、その時はストレッチャーに横たわり、車の中から咲き始めたサクラの気配だけを感じるしかなかった。4月5日は、父の誕生日だった。北国のサクラはまだ早いけれど、都内のサクラはちょうど見頃だった。そして今日、散り始めたサクラを眺めながら、口ずさむ。♬花びら舞い散る、記憶舞い戻る♬

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