憧憬の舞台、魅惑の時間「贋作 罪と罰」NODA MAP

P1010003流れる「時間」はいつも均一であるはずなのに、瞬時に過ぎ去ったり、澱み留まったり、緩やかに流れたりする。古来からいろいろな「時間論」が存在した。アウグスティヌスは「時間は客観的に存在するのではなく、心の中に存在する」と語った。確かに、今この瞬間に存在する世界の全ての生物に、同じ時間は流れているけど、同じ時間は存在しない。こんな思索の瞬間に忘れていた記憶が蘇る。すると、現在と過去とが多層的に自分の頭の中に存在する。その時の時間の概念とは…?うぅ、こんなことを考えていると頭が痛くなる。哲学科卒業のはずなのに。

NODA MAP「贋作 罪と罰」を観た。劇場の中央に設置された四角い舞台。格闘技のリングのように、舞台の周囲に役者だけが行き交う通路があり、彼らだけが座るパイプ椅子が置いてある。幕間で役者たちはバックステージにハケる場合もあり、次のラウンドを待つボクサーのように椅子に座ることもある。幕間の目隠しをする“幕”はなく、上手から下手へ、下手から上手へ、移動する“幕”が場の転換を意味する。その意図に慣れてきた頃には、既にそのリズム感に、そして野田秀樹の術中に嵌っている。

野田秀樹のセリフ回しは相変わらず。お馴染み松たか子や古田新太、私にとって久しぶりの段田安則も、良い味と役回り。脚本の良さも、演出の素晴らしさも、キャスティングの妙も、全てが高品質。悔しいぐらいに良い舞台。いろんな才能に嫉妬する。こんな舞台に接することができたことに感謝する。良い舞台を見終わった後は、心地よい倦怠感がやってくる。こんな時は、自分の身体の中に詰まって吐き出したい思いを少しの間抱えながら、気に入りのバーに向かう。その日は、下北沢のAサインへ。渋谷から抱えてきた思いを妻に語り、旨い酒とほんわりとした酔いに包まれる大事な時間。見終わったばかりの作品を2人で噛み締める。至福の時間がゆったりと流れていく。

1987年、『明るい冒険』で初めて出会った夢の遊眠社、そして野田秀樹。当時、既に人気劇団であり、素晴らしい才能だった。その後も数々の優れた作品を観させてもらった。イギリス留学時代を経て、プロデュース公演で多くの才能とコラボレーションすることで、すっかり“NODA”というブランドというよりはひとつの“ジャンル”になった。ずいぶん遠くまで来たんだなぁ。チケットは取りにくいし。ぶつぶつ。…あ、そう言えば野田さん、ご結婚おめでとうございます。(知り合いでも友人でもないですが)

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