情熱のコート「サンセットブリーズ保田」
2008年 3 月23日(日)
2006年3月、日本における“スカッシュの聖地”とも言える「横浜スカッシュパーク コータコート」が閉館。コート数9面、全日本選手権などの会場ともなった名門コートを失った国内の多くのスカッシュプレーヤーは、絶望的な気持になった。競技人口が増えず、各地のスポーツクラブでコートが閉鎖されるニュースが続いてはいたが、まさかコータコートが、というショック。このまま衰退してしまうのか、と思った矢先に2つの素晴らしいニュースが届いた。ひとつはコータコートのあった横浜という地にこだわり、横浜にスカッシュ専用施設を作るという元日本チャンピオンの、もうひとつは閉鎖されるコータコートにこだわり、コートの資材を譲り受け、房総にスカッシュコート付きの宿泊施設を作るという元日本代表の、それぞれがスカッシュプレーヤーの胸を熱くする知らせだった。
「サンセットブリーズ保田」…それが元学生チャンピオンでもあったオーナー、丹埜倫(たんの・ろん)くんが建設した施設の名前。施設紹介のサイトによると、波穏やかな東京湾に面し、晴れた日には海の向こうに富士山が浮かんで見える抜群のロケーションだという。やはり閉鎖された千代田区の施設「保田臨海学園」を買い取り、コータコートで使用されていた資材を利用し、新たなスポーツ&宿泊施設として2007年10月にリニューアルオープン。ある週末、その“スカッシュ界の新たな希望”とも言える施設を訪ねた。訪問の理由は久しぶりの大会参加。IGAは実に三年ぶりの公式戦。実は大会参戦は二の次で、ずっと応援してきた元日本チャンピオン、石渡くんの引退試合を観戦するため。
日本チャンピオンになれる逸材と期待された年、バイク事故で大怪我。大手術の後に見事に復活し、2004年の全日本チャンピオンになった石渡くん。しかしその後も何度か怪我に泣かされ、今年行われた世界選手権の日本代表入りを逃してしまった。まだまだやれるという周囲の期待もあるが、スカッシュで“飯を食う”ことの困難さも含め、本人も悩んだ末の結論だろう。そして、惜しまれながらもプロのプレーヤーとしては引退。そんな彼の力強く華麗なプレーの見納めということで向かった、房総への小さな旅だった。品川からバスに乗って1時間余り、木更津駅で電車に乗り換え40分。移動した時間以上に都内から離れた気持にさせる、のんびりした駅に降り立った。そして駅からタクシーで数分。カジュアルながらスタイリッシュな、シモキタにありそうなカフェのような趣。ふぅ~ん、なかなか良いじゃない。
宿泊施設とは別棟のコート。外階段を上る途中の踊り場で房総の長閑な海が見える。へぇ~、良いねぇ、ここ。コートのコンディションは国内最高峰の水準。グリップの利く床、コート内は明るく均一な照明。観戦スペースも充分。そして何よりも、この地でこのコートを育てて行きたいというスタッフの情熱が溢れる、愛されているコートだ。集まった選手も、応援に来たプレーヤーも、そんな雰囲気を育み、楽しみ、リラックスしているようだ。とは言え、お気楽夫婦が参戦した大会の名前はマジックオープン。2人のコーチ、山ちゃん率いるスカッシュマジック“のんべ軍団”の集合だ。体育会系のパーティ、大広間での宴会の翌日、二日酔いでがんがんする頭を抱えながら試合に臨んだIGA、朝方までの騒乱に眠れなかった妻の試合の結果は…。(To be coninued)
スカッシュコート存続の為に「大分スカッシュプロジェクト」 週末更新お気楽夫婦のお気楽生活ブログ IGA “快楽主義”宣言
[...] そんな一般論はさて置き、スカッシュプレーヤーとしては悲しく、悔しいNEWSだった。コータコートはお気楽夫婦が初めて大会に参戦した会場であり、全日本で千夏ちゃんが初優勝したのもコータだった。そこで立ち上がった2人の元チャンピオンがいた。1人は元学生チャンピオンの丹埜倫(敬称略)。コータコートの資材を利用し、「サンセットブリーズ保田」というスポーツ&宿泊施設を2007年にOPENさせた。*ブログ参照 [...]