人を繋ぐ味、人を繋ぐ店「たん熊北店」二子玉川
2009年 3 月01日(日)
5年以上NYCに駐在し昨秋に帰国したばかりの友人夫妻。2人は金融系の企業に入社後、オクスフォードに留学。その後に日本に帰国。お気楽夫婦はその頃に2人と知り合った。「ところで本城さん、さっき話に出ていた○○さんって、北海道出身じゃないですか」と友人(夫)。「確かそんなこと言うてました」「きっとその彼は僕の小学校時代の同級生だと思います」「あらぁ、そうでっかぁ。今は、半蔵門のホテルで料理長してますわ」ん?それは親父の緑綬褒章のお祝いに行ったお店かも。「え!グランドアークの〈門〉という店だったら良く行ってます」と妻も気付いたようだ。美味しいランチが破格のお値段で食べられる、私も大好きな店だ。「僕が児童会長で、彼が副会長だったんです」。ふぅ〜ん。そんな偶然があるんだねぇ。
「ところでIGAさん。私、今度店出すんですわぁ」え!たん熊ブランドで?それとも本城ブランドで?「本城ブランドですわ」え!独立ということですか!じゃあ、この店も大変ですね。「そうなんです。困ってるんです」話を聞いていた料理長の保坂さんが零す。「最近、若い者の目標となるような料理人の道みたいなもんが見えなくなって来て、だったら私がやってみようかなと」へぇ〜っそれは凄い。「連れてってくださいよ、って言ってるんですけどね」と半ば本気に聞こえる保坂さんのことばには本城さんは応えない。リスクもある、安定した道ではないことを充分理解しているからこその無言。浜松の「弁いち」のご主人といい、本城さんといい、もちろん私も(レベルは違うが)、ある年齢になった時、自分の仕事を見つめ直す時期が誰にもやって来るのだろう。
そうですかぁ。残念だけど、楽しみですね。お店の場所はどちらですか。「用賀なんです。用賀神社のすぐ近くで・・・」あぁ、それは嬉しい。ぜひお伺いします。「今はまだスケルトンの状態で、これから造作なんです。できたらご連絡しますので、ぜひいらしてください」えぇ、もちろん。これは楽しみが増えた。そんな会話をしながらも、甘鯛の菜の花上用蒸しやキビナゴの刺身をいただく。どれも実に丁寧な仕事。繊細で優しい味。「思えば、IGAさんたちが私たちにとって初めて会った“大人”の夫婦だったんですよね。暮らし方のお手本になるような」「そうだねぇ。そう、2人でよくそんな話をしてるんです」と、突然友人夫妻の告白(?)。えぇ〜っ!酔ってるんじゃない?こんなお気楽な2人が?“楽しそう”ということなら、そうかもしれないし、嬉しいことだけれど。
「この店もきっと2人だけで初めて来たら、違う感じだったかもしれないと思うんだ。食べていてほんとに楽しいもの♪」なるほど。それは嬉しい。私はいつも思うのだ。料理店は無限と言っていい程あり、自分たちが行けるお店は限りがある。料理評論家ではないのだから、せっかく出会った店であれば、まして自分たちの味覚に合った店であればなおさら、☆などに関係なく、特別な店で良いのだと。料理人と親しくなることで料理への評価が甘くなるから嫌だ・・・というような人もいるけれど、私は逆。今日の料理は美味しかったと伝えられ、ちょっと今日はどうかなと(言わないけれど)思いながらも、許してしまう関係の方が好き。美味しい料理は“味”だけで楽しむのではなく、作る人、サービスする人、食事を共にする人と楽しい時間を過ごすもの。
カウンタにはたん熊名物のすっぽんの丸鍋。生姜の香りが鼻腔をくすぐり、絶妙の味のスープが口腔に幸せをもたらす。「○○さん、本城です。ちょっと待ってください」本城さんが自分の携帯電話を友人(夫)に渡す。「え!○○さんに繋がってるんですか?」「あのぉ、○○?僕です。××です。久しぶりぃ・・・」またまたサプライズ。あっという間に30年の時間を超えて会話する2人。同級生の彼の店にも一緒に行ってみなくちゃね。「あ、行く!行きたい!まずは平日にランチで!」と、またノリの良い友人(妻)。了解。こうして人は味で繋がり、舌で結ばれる。そこに「タケノコ握ってみました。どうぞ」と本城さん。昆布締めのヒラメと共にぱくり。「お腹いっぱいだと思っていたのに大丈夫。すっごい美味しいねぇ♪」
「やっぱり料理は日本だぁ。どれも美味しかったなぁ。楽しかったぁ♪」ダメ押しのデザートを食べながら友人(妻)が呟く。すっかりご機嫌の模様。また友人たちと一緒に来たいと思わせる、人を繋ぐ店。この料理を誰かに食べさせたいと思わせる、人を繋ぐ味。今日も楽しく満足の食事ができた。「この店では一度も何かが不足したことがないなぁ。いつもリラックスして楽しめるんだよねぇ」と妻。そう。自分にフィットした店こそが、その人にとって☆☆☆なのだ。次は、ご近所の友人夫妻も誘って、用賀の本城さんのお店で!