職業に貴賤あり『おくりびと』『あの日にドライブ』荻原浩
2009年 4 月25日(土)
母が逝って2年近く。ある春の夜、予想外の瞬間に母の存在を感じることができた。母を見舞った2年前の春、病院の窓から眺めた故郷の山々があった。山麓近くまで雪を残す白き月の山。伸びやかな裾野を広げる出羽富士。月山と鳥海山。実に神々しく、穏やかで、美しかった。予感めいたものを感じ、家族揃って特別養護施設の母を訪ねた初夏の日も、庄内平野を見守るように月山が、鳥海山が遠く霞んでいた。そして、母を見送った暑い夏にも、忌中が明けた初秋にも、その美しい姿でお気楽夫婦を迎えてくれた。母が好きだった故郷の山々。それ以来、ふたつの山は母の気配を感じさせてくれる存在になった。そして、スクリーンの中でその山々と対面した。音楽の道を断たれ、故郷に戻った主人公(本木雅弘)。独り河原の土手でチェロを弾くモッくんの背景に現れる鳥海山。熱いものが溢れるのを止められなかった。…遅ればせながら『おくりびと』を観た。
良い映画だった。故郷の風景が現れる高揚感を差し引いても、しみじみと良い映画だった。本木雅弘はもちろん、山崎努、笹野高史をはじめとした出演者が素晴らしかった。それに期待していなかった広末涼子の演技も。ただ夢破れた夫に寄り添う明るく強い妻としてだけではなく、夫が新しく選んだ納棺師という職業に対する意識の変化が何よりも印象的だった。事実を知った時には「穢らわしい、触らないで」と叫んだ納棺師という職業に対する気持が、大切な人を見送る清々しい夫の姿を見守った後に変わり始め、幼い頃に別れた夫の父を見送ってもらおうとした彼女が「夫の職業は納棺師なんです」と誇らしげに言った台詞で涙が溢れた。幸せな涙だった。職業には貴賤がある。それは、世の中にあるのではなく、人の心の中にある。絶対的な職業に貴賤があるのではなく、人の仕事に対する姿勢によって生まれる。そんなことを思わせるシーンだった。
数日後、偶然手に取った本があった。荻原浩『あの日にドライブ』。新刊(但し文庫本)が出ると中身を見ずに買うことにしている好きな作家の1人だ。物語は銀行に勤める中間管理職である主人公が一度だけ上司に反抗し、突発的に会社を辞め、なかなか再就職できないでいる間、ふと目に付いた求人広告の「週3日勤務」という条件に惹かれて応募したタクシー運転手として働く物語。ところが現実は厳しく、辛い。前編の展開は読むのを止めようかと思う程。エリートサラリーマンだった銀行時代の逸話も、タクシードライバーとして週3日だけ(ただし24時間勤務で)働く日々も、痛々しくせつない。そしてかつての自尊心を持ち続け、ふたつの職業の裏と表、光と陰との間で揺れ動く。今の自分を仮の姿と思い、過去の記憶に逃避する。
人生のどの地点からやり直したいか。人生のいろんな岐路、そのいずれかを選んだためにある現在。あの日に戻って違う選択をしていたら・・・。後半のスピードアップした展開で救われ、最後はほのぼのと、すっきりとさせられる。この物語の中でも職業の貴賤について語られる。貴賤というよりは序列。それも職業というよりは会社かもしれない。しかし、職業に貴賤があると決めるのは世間ではなく、自分の心の中にある。そんなメッセージは「おくりびと」と同様。それも、そんなきれいごとだけではないよ、という味付けも込めて。自分の仕事に対して、人生に対して、生き方に対して、誇りを持っている人はどれだけいるのだろう。その価値観は、経済的なものだろうか。社会的な成功だろうか。それとも…。自身の価値観について改めて考えさせられるふたつの物語だった。
「私は過去に戻ってやり直したいことはないなぁ。今までもこれからも幸運な星の下で楽しい人生を送るのさっ♪」妻の価値観、人生観は判りやすく、お気楽で、羨ましい。