弟の冬支度「最後の仕事」
2010年 5 月30日(日)
地方公務員だった弟は、生まれた街で両親と暮らしてきた。地域でのネットワークを広げた彼は、その輪の中から伴侶を見つけ、3人の子供を授かった。病床の祖母を看取り、60歳で倒れて以来障害を持った母を、父と妻と共に懸命に介護した。そして、母が逝き、長女が巣立った後に冬支度を始めた。人生の終いに向かい、最後までポジティブに活きようと選んだ仕事は、スポーツバーの経営だった。この春、早期退職に応募し、割増でもらった退職金で開業するという。住宅ローンを完済し、子供の教育資金を妻に預け、その残額が開業資金になるという。彼の選択に驚き、それ以上に喜んだ。彼の選択そのものにというよりは、彼の選択を実現可能にした伴侶の存在に。
そんなある日、都内で開催される同窓会に参加するために上京すると、弟から連絡。開業の参考になるバーを案内して欲しいとのこと。任せておきたまいっ!きっと、こんな時のために、君の兄は今まで飲んだくれていたのさ。頭の中の店舗リストを整理する。効率的に、一晩でいかに多くの店に行くか。綿密な構想と、その日のノリで変更可能な柔軟な計画を立てた。
彼が到着する金曜日の昼下がり。自由が丘の南口の緑道では「マリ・クレール・フェス」開催中。快晴。本部テントには、ワインを片手に既にご機嫌状態の商店街の重鎮たち。「IGAさん、仕事はまだ終わらないの?一緒に飲もうよ」はい、ありがとうございます。でも、まだ明るいし…ん?これだっ!事前に伝えていた待ち合わせ場所と時間を変更して、自由が丘で弟を迎える。弟のセカンド・プランはコミュニティFMの開局。そんな彼に街を愛する地域の商店主たちの姿を見てもらう。街を元気にする“ダンナ衆”を紹介。まずはビールで退職祝いの乾杯。「良いイベントだし、良い街だねぇ」自由が丘の街を案内しつつ、スポーツバー1軒め訪問。商店街の新理事長に紹介してもらった「SPACE JOY」。2階のスポーツバーは、日中はキッズスペースとして親子向けの営業。地下はゴルフレンジ。「ふぅ〜ん、このアイディアも良いね」
続いて恵比寿へ。都内のスポーツバーの先駆け「The FooTNiK恵比寿」へ。弟はギネス、私は白ワインで2度目の乾杯。ひとつの店で1杯。それがその日の約束。酔わずに多くの店を見て廻る。それがその日のミッション。大型ディスプレーを眺め、キャッシュ・オン・デリバリのオペレーションをチェック。「52インチぐらいのモニターを入れようと思っているんだけど」話をする程に彼の計画が明らかになる。3軒目は「ティオ・デ・ダンジョウ・バル」で立ち飲みバルの雰囲気を味わってもらう。そして食事はこの店でと決めていた。「この店の料理はどれもオシャレで美味しいね」つい2杯目を飲んでしまう2人。
そして4軒目は「OU」。オーセンティックなバーであり、内装の参考にはならないだろうけど、会社員を辞め独りバーを始めたオーナーの話を聞かせたかった。開店間もない店内でじっくりと話を伺う。「人の繋がりで、こんな素人の私も何とか10年やってこられましたけどね」「休日に他の店に行くとほっとするんです。あぁ、プロの店だなぁって」「今がいちばん楽しみで、たいへんな時期でしょう。体重は落ちましたね、私は…」私も普段は聞けない話を聞くことができた。「開店されたら連絡ください。機会があったら伺います」名刺をいただき店を出る。「良い店だね」弟に笑みが零れる。
5軒目は明大前にあるスポーツバー「Cafe Bar LIVRE」。弟の構想に最も近い店だ。バーカウンタの他にいくつかのテーブル席。普段はカウンタ中心の営業、サッカーの試合がある時には立ち見も出るらしい。飲み物をオーダーした後、他に客がいないのを幸いにオーナーに話しかける。「スポーツバーは、なかなか厳しいっすよ。週末のこの時間にこんな感じです」とは言え、近未来の同業のよしみか業界の細部まで情報を教えてくれる。「うん、かなり参考になった」常連客でカウンタが埋まった頃合いを見て店を出る。
6軒目は地元烏山のベルギービールが飲めるダイニングバー「soundteria」。この店でお気楽妻と合流。「どうでした?あれ、2人とも意外に酔っぱらってないね」「3時過ぎからず〜っと飲んでたんだけどね」満足そうな笑みの弟。「市役所を辞めてから、同僚たちが毎晩のようにあちこちの店で俺を探してくれてたらしくてね。街のバーに修行に出てるんじゃないかって」そう言って笑う彼は、不安と期待を纏いながらも心から嬉しそう。酒の文化を教えてもらったバーのママさんのマインドを、自分なりに次の世代に伝えたいのだという。バーのマスターとして、オーナーとして、街を元気にしたいのだという。
迷いはなさそうだ。彼の覚悟も伝わった。こんな夜の酒はいちだんと旨い。「だからって飲み過ぎだよ」妻のことばも普段より柔らかい。