才能×努力=結果?「X’mas concert」

Sena & Mari明王として知られるエジソンのことば、〜Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration〜は、「天才は1%の才能と99%の努力だ」という訓話的なメッセージとして有名だ。才能だけではなく、努力をしなければいけないよ、という意味で。けれど、このことばの解釈にはもうひとつ、「1%のひらめきがなければ、99%の努力はムダだ」というものがある。ことばの解釈は人によって違っても構わない。ことばは発した人から離れた瞬間に、それを受け取る側のものになる。真意と違っていれば訂正の必要はあるが。このメッセージをどう捉えるかによって、その人の人生の捉え方が分かるのかもしれない。

SK Hall能とは、生まれながらに持った資質でもあり、訓練によって得られた能力でもある。確かに、努力によって(程度の差はあれ)能力は得られる。けれど、生まれ持った資質は人によって大きく異なる。人に優劣があるという意味ではなく、得意な領域が人によって違うという意味で。そして、埋もれた才能と言う呼ばれ方があるように、持ち得た才能を発揮しきれないままの人がいる。というよりは、スポットライトの当たらない才能の方が多いのかもしれない。自ら選んだ領域で能力を発揮できるか、結果が出せるかどうかは、継続できるかどうかという本人の努力と、継続させてあげられるかという周囲の(経済的・精神的)環境に因ることが多い。

junpeiリスマスって何してる?忙しいよね?」ご近所の高級住宅街に住むスカッシュ仲間からのお誘い。「え?Sちゃんのコンサート?OK!行くよ!」クリスマスの午後、お気楽夫婦は杉並にある小さなホールに向った。「ダメです。もう吐きそう」開演前のSちゃんを訪ねると、いつもの笑顔はなく、緊張で顔が強ばっている。君のお母さんだって、スカッシュの試合の前は吐きそうだって言ってるよ。アドバイスにもなっていない声を掛ける。サロンのような温かな雰囲気の中、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの3人のコンサートが始まった。最初は緊張していたSちゃんも、次第に解れてきた。4歳から始めたヴァイオリン。素人であるお気楽夫婦が聴いても、そのレベルは高いのが分かる。音楽大学の同級生だと言うピアノも、チェロも、心震える程の技巧。音。表現力。小さな会場ならではの迫力ある演奏を前に、人の才能について思いを馳せた。

score楽やスポーツ、芸能の世界のマーケットは大きい。けれど、“富”は集中している。才能ある大集団が、幾多の選別の機会を乗り越え、絞り込まれる。そして、その中でもさらに機会に恵まれ、チャンスを掴んだ者だけが世の中に出る。そして、登場と退場が果てしなく繰り返され、ごく僅かな才能だけが巨大な富を獲得する。その富とは、名声であり、評価であり、報酬でもある。演奏家と言われる人たちが、音楽の世界で生活をする=報酬を得る道は険しい。彼ら3人の演奏は素晴らしい。それぞれがコンクールでいくつかの賞を得ている。けれど、音大3年生の彼らが、これから音楽で報酬を得ることは並大抵のことではないだろう。楽団に入る、演奏を教える、音楽家として独立する選択肢は多くはない。けれど、趣味で終えてしまうレベルでは余りに惜しい彼らの才能は、どこに向えば良いのだろう。

2部は可愛かったって、IGAIGAぁ、第2部だけ?」演奏を聴きに行った仲間たちと乾杯をした酒の余りの美味しさに、2次会に彼らのご自宅にお邪魔した。自らも別の会場で演奏をしてきたというSちゃんの父親が不満げな声を上げる。第1部は緊張してたけど、休憩を挟んだ後のSちゃんは可愛かったという私の報告に対する反論。親バカである。けれど、彼の音楽への愛情が、娘への愛情が、娘の才能を育てた。娘の努力を生んだ。幸せな親娘。幸福な家族。才能を磨き、努力を重ね、ここまでやってきた。後はどんな結果が彼女を待っているのか。「どんな道に進むか分かんないけど、Sちゃんのことはずっと応援するよ♬」妻のお気楽スタンス発言。まぁ、そんなところだね。

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