1964年の光と闇『オリンピックの身代金』奥田英朗
2011年 12 月10日(土)
ある週末の夜、お気楽夫婦は国立代々木競技場第1体育館を訪ねた。ワールドカップバレー2011男子東京大会の最終戦、日本vsブラジルの観戦。試合は日本チームも健闘したものの0-3のストレート負け。残念。ところで、この競技場は1964年の東京オリンピックの開催のために建設された施設。丹下健三による設計。吊り屋根の構造で、巻貝を思わせる独特の外観。オリンピックが開催された当時は日本の近代化を象徴する“未来”を感じさせる建物だったに違いない。その他、日本武道館や駒沢陸上競技場などの競技場に止まらず、東京オリンピックの開催に向けたインフラの整備は、東海道新幹線、羽田空港と都心を結ぶモノレール、今では景観問題にもなっている首都高など、枚挙に暇がない。それらの建設は国の威信を掛けて行われ、日本全国から建設労働者が集まった。
1964年、今から47年前。敗戦から19年で高度成長を遂げつつあった当時の日本。ちょうど2008年の北京オリンピックを契機に中国が先進国の仲間入りをする中、都市部と農村部との貧富の差がクローズアップされたように、日本にも(現在のワーキングプアという問題とは背景が異なる)圧倒的な貧富の差が存在した。『巨人の星』の中で、日雇い労働者だった星一徹が東京オリンピックに向けた工事で仕事が増え、名門(お坊ちゃま)学校である青雲高校に星飛雄馬が入学できたというエピソードがある。当時、長屋に住んでいた星一家。父の一徹が昼夜問わず働いていたシーンが良く出てきたものだ。また、同時代を舞台にした映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』が2012年に公開される。これらは、貧しいながらも明るく健気に生きる当時の人々を描く、夢がある明るいビンボー物語。
けれど、光がある処には陰があり、さらにその傍らには深い闇がある。奥田英朗の『オリンピックの身代金』という作品は、明るいビンボーということばでは片付けられない1964年の闇の世界の物語だ。秋田の寒村に生まれた主人公。東京に出稼ぎに出て働く兄のお陰で、高校に入学でき、余りに成績優秀だったがために担任に奨学金をもらいながら進学することを勧められ、見事に東京大学に入学する。ところが、貧しいながらも平穏な学生生活を送っていた彼の生活は、兄の死で一変する。東京の建設作業場で急死した兄の過酷な生活を経験しようと飯場に住み込み、死の背景を知る。そして、彼の住む貧しく暗い世界の対極にある、富と光の象徴である東京オリンピックを人質にして、日本国家から身代金を得ようと計画を立て、実行して行く。
犯行を重ねる主人公の背景で、1964年の東京が実にリアルに描かれる。建築途中のモノレールの描写と同時に、漁業権を放棄せざるを得なかった東京の漁師たちの存在を伝える。東大の同級生が就職したテレビ局を描き、オリンピックを機にメディアの中心になろうとする当時のTVマンたちの熱気を伝える。それらの描写のいちいちが実に面白い。犯人である主人公と警察との駆け引きや、綿密な犯行計画と実行に至る経過などの物語そのもの魅力も大きいが、多彩な登場人物たちの持つ背景や、時代の描写が魅力的なのだ。タイムスリップし、当時の東京をそれぞれの人物の目で眺めているようなワクワク感。そして、歪んだ善を持った悪として描かれる主人公の魅力と相まって、最後まで緩む部分なく、一気に読んでしまう。
「うん、確かにかなり面白かった♬」奥田英朗の伊良部シリーズファンでもある妻が呟く。コメディタッチの作品も多い奥田英朗。犯罪サスペンスながら柔らかな筆致で読ませる『オリンピックの身代金』かなりのおススメ!