読書の日々〜文学と歴史『終わらざる夏』浅田次郎

Asada書の秋。最近本の読み方が少し変わった。例えば、浅田次郎の『終わらざる夏』。今年の夏に南の島で読んだ、遥か北の島の物語。日本固有の領土である北方四島のさらに先、千島列島の北端「占守島」で起きた史実に基づく小説。1945年8月、太平洋戦争が終わった直後に、“始ってしまった”戦いの理不尽を描く。単純な歴史小説ではなく、虚実を巧みに組み合わせ、複雑な背景を整理しつつ、多彩な登場人物を活き活きと物語の中で生かし、戦わせ、亡くして行く。浅田次郎ならではの物語世界に紡ぎ直した傑作。余り戦記物は読まない私が、一気に読んだ。けれど、読み方が変わったというのは、戦記物を読んだということではない。ここからだ。

Shimushu田節に良い意味で騙され、楽しまされた。けれど、どこまでが史実なのか。どこからがフィクションなのか。それが気になった。北端の島に突然攻め入り、その島を含めた島々を平然と占拠してきた彼の国が余りに不当に思えたのだ。調べてみると、占守島の戦記は多くの人が残していた。その中で、客観的と思え、文庫化されていた大野芳『8月17日、ソ連軍上陸す』を手に取った。多くの人に取材し、参考文献を読み込んだそのノンフィクションは、比較的読み易く、これも一気に読み終えた。そして、浅田の作品は大きく歴史的事実を逸脱するものではなく、ロマンティストたる浅田の創作が重ねられているだけだと分かった。なるほど。こんな読書もあるかと得心。

Subaruはその前に、浅田次郎と史実に関する伏線があった。『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』『マンチュリアン・リポート』と続く、浅田次郎の中国ミステリーロマン(?)シリーズを全巻読み終え、その当時の時代背景をどうしても詳しく知りたくなったのだ。そこで購入したのが講談社の中国の歴史全12巻の内、第10巻『ラストエンペラーと近代中国』、そして第11巻『巨龍の胎動』の2冊。これが実に興味深く、浅田の作品を読み返しながら、どちらもじっくりと楽しめた。今の日本を取り巻く隣国との関係を実感することができた。日本人が中国に対して想起する感情の源泉も、その逆に中国人が日本に抱く感情の原因も、自分なりに理解できた。

History of China本の教育における日本史や世界史の位置付けは、現在自分たちが生活する“今”に密着していない。過去から始まり、現在に続く近代史、現代史に到る前に学年末を迎えてしまう。なぜ現在の自分たちが暮す日本がこのようにあり、隣国や世界各国とはどんな関係があるのか。それが重要ではないかのように扱われる。敢えて避けているかのように思える程に。縄文時代にどんな場所に住みどんな暮らしをしていたのか、聖徳太子や中臣鎌足、蘇我一族の大化の改新の物語も興味深い。けれど、現在の自分たちの立地点の“なぜ?”の方がもっと重要ではないか。彼の国々の偏狭歴史教育も問題だけれど、日本の歴史教育はもっと違う次元の問題を抱えている。

本で何が起きていた頃に中国では…とか、またその頃ヨーロッパでは、という感じで章が変わったりして分かり難かったなぁ」と妻。おっしゃる通り。いっそ、アメリカのSFTVドラマ『タイムトンネル』(古っ!)のように、現在を起点に過去に戻り、という編集方針で歴史の教科書を作ったらどうだろう。ん、その方が絶対に面白そうだ、独り納得する秋の夜だった。

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