ワカモノの選択「ざくろ」赤坂
2014年 1 月19日(日)
大学3年生の甥っ子がいる。12月1日から企業エントリー解禁。就職活動がスタートした…はず。新年会を兼ねて様子を聞いてみようか。ワカモノは何が食べたいんだろう。肉かなぁ。しゃぶしゃぶはどうだろう。「良いねぇ、しゃぶしゃぶ。たまには肉を食べようか」と妻が珍しく即答。「だったら赤坂のざくろが良いかな」むむ?知らん。「赤坂OL時代によくランチ食べてたなぁ。自分では払ってないけどね」と、妻の20代、小悪魔時代の片鱗をのぞかせる逸話。店はご接待モードに満ちた作り。予約の際に個室だと別料金、別メニューと言われたのも頷ける。少しは飲めるようになったという甥っ子と、まずはビールで乾杯。しゃぶしゃぶの中くらいのコースをオーダー。鍋の近くに置くと脂が溶け始める、たっぷりとサシの入った肉。「すごく旨いです」きっぱりと答えるワカモノ。
「東京で就職しようと思ってます」あれ?田舎に帰るんじゃないのか。聞けば、初めてアルバイトを経験し、仕事について思うところが多々あったらしい。ふぅむ。人事部に在籍している妻と共に模擬面接。質疑応答を繰り返し、アピールポイントなどをアドバイス。話し始めるとなかなか良い視点。初めて甥っ子とオトナ同士の会話が成立。なんだか嬉しくA5ランクの肉を追加。「こんな肉、食べたことないです」だろうな。ウチもないもの。この牛肉1枚が君の時給よりも高いんだ。モノの価値、働くことへの対価、そのバランスで成立する食文化について、彼はきっと学んだに違いない。「ごちそうさまでした」次は就職祝いで、銀座辺りに何か美味しいもの食べに行こうな。「はい。銀座も行ったことないです」今回の赤坂も初訪問だという、そんな初心な甥と赤坂駅で別れる。迷子になるなよ。
学生時代の終盤、私は何をやっていたのだろう。遥か遠い昔のような、ごく最近のような、自分の学生時代を振り返る。3年までの間に必要な単位はほぼ取得。4年では最小限の授業だけ履修し、大学には余り行かなかった。アテネフランセに通い、アルバイトを掛け持ちし、お金が少し貯まると旅に出かけていた。冬のフランス、スイス。春の吉備路、夏の京都、出雲、九州。貧乏旅行ではあったけれど、その時でなければ行けなかった場所を訪れた。まだ卒業旅行ということばは世の中にはなかった。海外に出かける学生も少なかった。旅から帰って来て、次のバイト代が振込まれるまでの3日間を1,000円でいかに暮すか、などという生活を(今思えば)楽しんだ。お米と安いウィスキーがあれば、毎日何とかなった。
学生時代に経験したバイト先は高級飲食店が多かった。理由は明快。時給が高いこと。銀座らん月、ホテルニューオータニ、パレスホテルなど。どこも賄いの夕食が魅力だった。たまに貧乏学生にはゼータクな客向けの料理の味見もできた。初めてローストビーフを食べたのもバイト先だった。サービスのあり方、接客のAtoZを学んだ。どんな小さな店でも複雑だった人間関係を体感した。失敗もした。キツく怒られたこともあった。他にも英会話学校、日中文化交流協会という非営利団体の仕事も経験した。もちろん青くさく、コッパズカしい恋もした。一緒に映画を観た。年越しライブに出かけた。苦い失恋も味わった。それらの経験の全てが、今の私を形成している。…そうか、甥っ子がいる“今”は、そんな頃なんだ。と、30年以上前の自分を思い、彼の今を実感した。
「私はもう働いていたなぁ」短大を卒業して就職はするけれど、数年後に結婚を機に退職し専業主婦、という当時としては典型的な妻の人生設計。なのに、自ら積極的に望んだわけではないけれど、30年も働き続け、主婦業は主にダンナに任せ、当初の見込とは全く違う方向に生きてきた彼女。「楽しかったし、こっちの方が向いてたと思うけどね」と妻。…甥っ子は、きっとそんな岐路にいる。これからどんな選択をし、どんな人生を見つけるのか。最終的には無責任な伯父、伯母として、楽しみにしつつ、邪魔にならない程度にサポートしていこう。