やったぜ!ベスト8「デビスカップ日本代表戦」

Arenaールドカップと言えば今や誰もがサッカーを思い浮かべる。ラグビー、スキー、バレーボール、卓球など、他の競技もワールドカップを冠した大会を開催している。しかし、その歴史と言えば、サッカーの第1回ワールドカップが1930年、他はせいぜい1980年代のスタート。それに対し、国別世界選手権をワールドカップの別名とするなら、テニスのワールドカップ(男子)=デビスカップの第1回大会開催は1900年、サッカーの30年も前の老舗大会。日本代表は初出場が1921年、なんとチャレンジラウンドに進出しアメリカに敗退するが、準優勝の活躍をする。これは凄い。ちなみに代表選手は、清水善三、熊谷一弥、柏尾誠一郎の3人。全米でベスト4になった熊谷。彼は1920年のアントワープ五輪で柏尾と組み、単複で銀メダルを獲得。清水も同年の全英でベスト4になるなど、錚々たるメンバー。日本はテニス強豪国だったのだ。

AriakeArenaの後も、佐藤次郎が全英、全仏などでベスト4に入るなど、第2次世界大戦まで日本はテニス強豪国であり続けた。今となれば夢のような日本テニスの黄金期。戦後、1955年に宮城・加茂のペアが全米のダブルスで優勝するものの(これも凄いけどね)、戦前の活躍に比べれば長い低迷期に入る。同時期に皇太子(今上天皇)と美智子妃(皇后)の影響などもあり、一大テニスブームが起き、テニス愛好者は増えたけれど、デビスカップでは勝てなかった。何度かルールや予選ゾーンが変わったので単純比較できないが、現在のワールドグループ(16ヶ国)に入ることもできない大会が続き、入っても1回戦で強豪国に圧倒的な力の差で跳ね返された。女子こそ沢松和子、伊達公子、杉山愛など世界で戦える選手が次々に生まれたのに、男子はせいぜいが1995年全英ベスト8の松岡修造止り(たいへん失礼!)だったのだから仕方ない。

TennisCourtこに救世主が現れた。ご存知「エアK」錦織圭である。個人の成績は言うまでもなく、2013年に記録した最高ランク11位は、間もなくトップ10入りを期待させるものだった。錦織は2008年から日本チーム入りし、勝ちが期待できるエースになっている。ところで、デビスカップは初日から単2、複1、最終日に単2で、3勝したチームが勝利となる。つまり、エース対決で錦織が2勝するだけではダメなのだ。2014年2月1日、お気楽夫婦はデビスカップワールドグループの1回戦、対カナダ1勝1敗で迎えた2日目の会場にいた。前日の夜、テニス関係者との懇親会の(早い話が飲みの)席で聞いた情報に期待していた。関係者曰く、日本が勝ちに行くためには錦織をダブルスに出すしかない。ランキング11位のラオニッチは怪我をしているが、帯同している。カナダがダブルスで勝てば、1試合だけなら出場するかもしれない、と。

場の有明アリーナに到着すると間もなく、うぉ〜っと歓声が上がった。錦織くん出場!さすがプロの読み通り。会場が一気に盛り上がる。その後、選手入場。日本選手に、そして錦織くんに一段と大きな拍手。と、それも束の間、20名程のカナダ応援団が太鼓などの鳴りモノで、数千人の日本応援団を上回る歓声。まずい雰囲気。と、それも杞憂に終わる。試合が始まれば日本チームのペース。錦織のプレーは輝いている。けれど彼だけではなく、ペアの内山も実に良い感じ。ダブルス巧者のベテラン選手ネスター(ダブルスランキング最高1位、現在21位)をも圧倒する。ドロップボレーを錦織がしぶとく拾う、サウスポーのネスターのバックサイド狙いの日本ペアのストレートが鋭く抜けて行く。内山の200km/sを超えるサービスが相手コートに突き刺さる。リターンでもエース♬ひょぉ〜っ!思わず声が出る。快感。爽快。実に気持良い!ニッポン!ニッポン!てなもんである。

ロのテニスの試合って生で観るの初めてだけど、面白いねぇ♬」興奮気味に妻が語る。互いに仕事があり、最後まで観戦できなかったことが残念でならない様子。結果は3-1で日本勝利。そして翌日、シングルス2勝で、通算4-1でカナダ戦勝利!ベスト8進出の快挙。ある(前述とは別の)テニス関係者が、日本代表の試合なのに、ホームでの試合なのに、もっと会場に応援に来て欲しい!との思いで、巨大な日の丸を自費で会場に添え付け、毎回応援している。今回はその意気に感じての観戦。でも、目覚めた。デビスカップは面白い。サッカーならワールドカップの本戦のようなものなのに、チケットも安い。愛国心はなくとも、自然と応援に力が入る。可能な限り毎回応援に行こう!声援は選手の力になるはずだ。「次の試合は4月にまた有明だって♬」と妻。ここにもうひとり目覚めた者が。

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