Bon voyage ! Madame !「Farewell party @Trois-Quarts」

gazpachoピドーに行ったら、ホテルの従業員向けに日本語の先生でもやろうかと思ってるんだ」その人は軽やかに言う。Naypyidaw:ネピドーとは、ミャンマーの首都。2006年に旧首都ヤンゴンから遷都された、建設開始からわずか10年余りの若い都市。ミャンマーよりビルマ、ヤンゴンよりラングーンと呼ぶ方が耳に馴染む年代としては、彼女がご主人と一緒に赴任することがなければ、名前をしばらく知ることもなかったかもしれない。そんな街に2年の期間限定とは言え駐在することになったマダム。前任のワシントンD.C.から帰任してわずか数ヶ月後のことだった。

Hors-d'œuvreIGAちゃん、ネピドー赴任日が決まりました。その前に都合が付けば会えると嬉しいな」了解!最優先でスケジュールを空けよう。他は誰に声を掛けようか。ちょっとだけ年上の彼女の敏腕マネージャーを自認する私。何人かのスカッシュ仲間を誘い、いつものビストロを仮予約。とは言え、バタバタとお互いのスケジュールを調整して決めた日程は5日後。それでもお気楽夫婦を含め、5人のメンバーが集まった。当日、ふと思い付き、マダムにバラの花束でも買おうと思うんだけど、どうかな?と主役以外のメンバーにメールを送る。「ステキ!」「よろしく♬」とメンバーの合意を得て、花屋に走る。品があって、その上とびっきりハデな花束を贈ろう!

Hors-d'œuvre2国人向けにはホテルしか住むとこがないんだよねぇ」「へぇ〜っ」「片側10車線の高速道路があるんだけど、車はほとんど走ってないの。有事には滑走路になるんだね」お元気で!の乾杯の後、マダムのミャンマー見聞録が披露される。住まいの下見に訪れ、いくつかのホテルを泊まり歩き、住まいにするホテルを決めて来たマダム。実際に自分の目で見て、 2年間住むことになる街を楽しげに語る。ネピドーは政治の街。軍事政権が続くミャンマーにとって首都のインフラは軍事戦略的な意味を持つ。「ヤンゴンはしょっちゅう停電が起きるんだけど、ネピドーは停電しないんだよ」街に居酒屋がないと嘆きながらも、新たな首都のインフラをポジティブに語る。

Eri女の生き方は実にポジティブ。引越人生はもうたくさんだよ!と言いながら、パートナーのミャンマー行きの選択を肯定するだけでなく、同行しサポートする。否定的な側面を豪快に「うはは」と笑ってしまい、肯定的で魅力的な側面にしてしまう。どこかの保険会社のCMのように、くるりと価値観をひっくり返す。「IGAちゃんたち、来年までには案内できるようにしとくから遊びに来てね!」そう言われると何だかミャンマーという国がとても魅力的な国に思えてくる。だからこそ「うん、行く行く!絶対に行く!」とお気楽妻が本気で応える。生き方こそ違え、マダムを人生の(ちょっと)先を歩いてくれる姉と慕う妻は、彼女の傍らにいると満面の笑顔になる。

Memberロワキャールの料理を堪能しつつ、ワインをたっぷりいただきつつ、送別会なのに笑顔が溢れる楽しい会だ。「うんうん、やっぱりこの店のお料理はどれも美味しいよね♬」ガスパチョからスタートし、オードブルの盛合せ、鮎のコンフィと続いた料理は絶品。とは言え、その日に限れば料理は脇役。店のマダムまゆみちゃんにお願いして隠してもらっていた、バラの花束の贈呈の頃合いだ。主役に花束を渡すのは幹事の役得。「うわぁ!凄い。ありがとう♡バラをもらうのって初めてかも」バラと菊をナチュラルに間違えて贈る“ステキな”ご主人の奥さまならではの発言。そして笑顔が溢れるメンバー全員で記念撮影。マダムにぴったりの艶やかで上品な花束と一緒に。

生は旅に例えられるけれど、彼女の人生は文字通り“旅”そのもの。海外赴任の多かったご主人と一緒にヨーロッパや西アジアの国々に長く暮した。けれど、どの国でのエピソードを聞いても明るい笑い話になる。それは彼女の生き方そのもの。彼女を“マダム”と呼び始めたのは、いつ頃だっただろう。大らかで、前向きで、弱さも持ちながらも、しっかりと地に足を付け立っている、魅力的なオトナの女性。(誉め過ぎか?)人生の旅の途中で出会ったご縁を嬉しく思いつつ、これからもよろしく!とハグをして別れた夜だった。マダム、良き旅を!Bon Voyage ♬

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