スカッシュコート存続の為に「大分スカッシュプロジェクト」
2018年 7 月28日(土)
日本におけるスカッシュの聖地、相鉄線緑園都市駅前にあった「横浜スカッシュパーク コータコート」は、そう呼ぶに相応しい素晴らしい施設だった。そのスカッシュ専門施設が保有する9面のスカッシュコートが2006年3月に閉鎖された。スカッシュプレーヤーにとっては、例えば野球なら甲子園球場が無くなるような、テニスなら有明の森が閉鎖されるような、決して大袈裟ではなく、それ程ショッキングな出来事だった。
スカッシュに限らず、スポーツもビジネスである以上事業として継続できなければ成り立たない。日本のスカッシュコートの現状は、ほとんどがスポーツクラブの中に設置されているということもあり、改装の際に閉鎖されるケースも多い。人気がなければ、空間効率の悪いスカッシュコートは排除されてしまう。コータコートも駅前立地ということもあり、所有者の相鉄がマンションに立て替えたのは正しい判断なのだと思う。
そんな一般論はさて置き、スカッシュプレーヤーとしては悲しく、悔しいNEWSだった。コータコートはお気楽夫婦が初めて大会に参戦した会場であり、全日本で千夏ちゃんが初優勝したのもコータだった。そこで立ち上がった2人の元チャンピオンがいた。1人は元学生チャンピオンの丹埜倫(敬称略)。コータコートの資材を利用し、「サンセットブリーズ保田」というスポーツ&宿泊施設を2007年にOPENさせた。*ブログ参照
もう一人のチャンピオンは、全日本7回優勝を誇る渡邊祥広。コータコートに選手及びコーチとして所属していた彼は、同じ横浜の地に「ヨコハマスカッシュスタジアムSQ-CUBE」を立ち上げた。スカッシュコートが無くなってしまうなら、自ら作ってしまおうという発想だけではなく、丹埜は10ヶ所以上の合宿施設を運営したり、渡邊は継続的にスカッシュ大会を開催するなど、ビジネスでもチャンプになっている。さすが。
2008年の秋、お気楽夫婦は(無謀にもワールドマスターズというスカッシュの世界大会参加のために)ニュージーランドに出かけた。大会の開催地となったクライストチャーチには、ラグビー場に隣接して複数面のスカッシュコートがあったり、コートを見下ろす2階にバーが付いており、観戦しながらビールを飲むことができたり、スポーツそのものだけではなくクラブライフを楽しむ環境が整い、文化として定着していた。
ニュージーランドに限らず、欧米の主要国や英領だった香港などの主要都市にはクラブ文化が確立している。メンバー同士の交流があり、クラブの経営者だけではなく、クラブメンバーたちが物心両面で施設を支えている。日本の総合スポーツクラブは、運営企業が設備とスクールやプログラムなどのソフトを用意し、会員が施設を使わせてもらい、プログラムに参加させてもらっている、という関係。そこには大きな隔たりがある。
宮崎でスカッシュの火を灯し続けようと頑張っている女性がいる。宮崎県で唯一のスカッシュコート閉鎖を機に、自らスカッシュコートを新設した道下和子さん。彼女もスカッシュ(九州)チャンピオンであり、現在も現役プレーヤーとして大会に出場し続ける鉄人。全国のスカッシュプレーヤーたちにも協力を求め、2013年に「宮崎スカッシュクラブbuddy」を立ち上げた。クラブ文化を宮崎に創るためにも頑張って欲しい。Fight!
2018年、大分でも県内唯一のスカッシュコートが閉鎖されようとしている。そこで、クラウドファンディングによりスカッシュコート新設を実現しようと、地元在住の元スカッシュ(九州)チャンピオン東義智さんが「OITA SQUASH PROJECT」を立ち上げた。7月29日現在、目標金額には届いていないが、残り17日間で目標に到達しなくても建設資金に充当できる。お気楽夫婦も微力ながら協力。加油!東さん!
お気楽夫婦には子供がいない。某国会議員に言わせれば「生産性がない」ということになるらしい。だったら、何を生産すべきかを考えてみる。自ら何かの基金を立ち上げたり、相続先を悩む程の資産はない。だったら僅かながらでも気になる対象にシェアしよう!それが結論。若い子にはご馳走しよう(笑)。見返りを期待しない寄付をしよう!(だから「ふるさと納税」はやらない)そんな心持ち。当然、スカッシュというスポーツに多少なりとも貢献したい、という気持ちになる。道下さんや東さんが「スカッシュへの恩返し」というメッセージを発していたけれど、そこはお気楽夫婦も同じ気持ち。かと言って、コートを自分で建設したり、事業を全面的にサポートしたりはできない。そこで、何ができるかという地点に戻る。スカッシュによって得られたモノへの感謝と返礼。だからこそスカッシュコートを存続のためのサポートだ。「…私たちも齢をとったってことだね」とお気楽妻。だね。