華麗に加齢?「57歳の妻、還暦の大将」

HBD1気楽妻が誕生日を迎え、友人や家族、航空会社などから「Happy Birthday」とメッセージが届いた。昔は自分の誕生日を覚えていてくれるのは、家族とごく限られた友人だけだった。それが今は「Facebook」がお節介にも友人たちの誕生日を知らせてくれるし、会員申込の際に書いた誕生日を基に各社がバースデーカードを送ってくる。煩わしくもあるが、誰かと繋がっていることを感じるのは、やはり嬉しいことだ。

HBD2夏、コロナ騒動以降久しぶりに訪れた馴染みの店「用賀 本城」で、店主の本城さんが還暦を迎えることを知った。それもお気楽妻と1日違いの誕生日。では大将のお祝いに店に伺おうと席を予約。妻にとっては前夜祭の訪問となった。還暦おめでとうございます!と挨拶し、まずはビールとお願いすると、「ちょっと待ってください」と制され、まずはこれをとオリジナルラベルのシャンパンのご相伴に預かる。めでたく旨い。

HBD3れて到着した妻が席に着き、心ばかりの還暦のお祝いの品をお渡しすると、今度は「誕生日おめでとうございます」と花束をいただく。そして57歳と60歳の記念撮影。やはり誰かを祝い、誰かに祝ってもらうことは素直に嬉しいことだ。満面の笑みの妻と本城さん。2人とも良い笑顔だ。妻にもいただいた本城ラベルのシャンパンで乾杯した後は、さっそく秋の料理をいただく。ここは日本の四季を舌で味わう店だ。

HBD4の皿は、日本に生まれてホントに良かったと思える料理が並ぶ。この店で初めて味わった金糸瓜(そうめんカボチャ)はすっかり舌に馴染んだ好物。カリカリの穴子と一緒にいただく。蓮根と栗の餡掛け、生ウニやマグロなどの刺身盛りなど、少量ずつ盛り沢山の料理が嬉しい。お気楽妻は、本城さんと出会った「たん熊北店」時代から、彼の料理は食べると楽しくなり、嬉しくなり、幸福になると断言する。迷うことなく合意。

HBD5暦を迎えた本城さんは、京料理の名店「たん熊北店」で修行後、パリの日本大使館の公邸料理人という華麗な経歴の持主。帰国後に「たん熊北店二子玉川店」の店長を務めていた頃に本城さんの料理に出会い、その絶品京料理と本城さんの飾らず偉ぶらない人柄に魅せられたお気楽夫婦。本城さんが独立し「用賀 本城」を開店した後も、季節毎に訪れている。初訪問から15年、店に伺った回数は優に50回は超えるだろう。

HBD6や、57歳になったお気楽妻。定年まで後3年のカウントダウン。「とっくに仕事辞めて、毎日ジムに通ってるはずだったんだけどなぁ」と言いながら、毎年春に訪れる超重労働の日々を乗り越えて来たタフな女性だ。2年前に還暦を超えた私には「働けるだけ働いたら?」とアドバイスしつつ、「私は定年で辞めて、世田谷マダムになるんだ」と断言。今でも世田谷に住むマダムだと思うのだが、どうやら彼女の定義は違うらしい。

HBD7ころで、本城さんへのお祝いを何にしようかと、還暦の赤、サムシングレッド、パリ在住だった本城夫妻…と、連想した時に閃いた。エディアールの赤と黒のストライプ柄だ!ということで、新宿の伊勢丹へ。すると、紅と白の缶に入った紅茶のセットが店頭にあり、これだ!と即決。女将さんの前でその包みをお渡しすると、「あぁ、懐かしい。嬉しいですわぁ」と店のあるマドレーヌ広場の話題で盛上がる。グッチョイス♬

HBD8して、妻へのプレゼントはフェラガモの財布。先代のフェラガモの財布は20年ほど使ったお気に入りだったのだが、さすがに留め金が緩くなったとのことで、世代交代。ホテルや食事など、消え物には積極的に消費するけれど、いわゆるブランド物のバッグや靴には余り興味を示さないお気楽妻。ありがたいことだ(笑)。ジュエリーも余り欲しがらない。もしかしたら彼女は“世田谷マダム”にはなれないのかもしれない。

「そんなことないよ!」と言うお気楽妻に、ではヴァンクリ欲しい?と聞くと、要らないと答え「でも、ハイアット は今年中に後何泊かするよ!」と続く。きっと還暦の本城さんも、お気楽妻も、枯れずに、華麗に、年齢を重ねているのだろう。華麗に加齢、そんな2人を祝った夜だった。

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