緑の承継「クラブヴェルデ」

KosakuOzara10年振りぐらいに訪れる甲州山梨に向け、テニス懇親会参加するために特急あずさに乗車。昨年から参加している日本テニス事業協会主催のテニス&ゴルフ1泊懇親会。今年の会場は須玉にある「Hotel & Tennis Resort クラブヴェルデ」、特急が止まらない日野春という小さな駅が最寄り駅。集合は現地に13時。ということは、途中で昼食を済ますということだからと、甲府・昼食で検索。すると、ほうとうの「小作」という有名店が駅前にあることが分った。12時前に店に到着。梅雨時なのに晴れた暑い日、冷たいほうとう「おざら」をオーダーしてみる。シイタケや玉ねぎ、豚肉などがたっぷり入った醤油味の汁にほうとうを付けて食べる。ほうとうのつけ麺ヴァージョン。さっぱりとして実に旨い。カラッと揚がった天ぷらと共にいただく。暑い日はこれだなと納得。

TennisCourtートに向かう途中、余りの好天に慌てて日焼け止めを調達。昨年に続き、梅雨時の開催にも関わらず無風、快晴、絶好のテニス日和だ。さっそく着替えてコートへ。既に参加メンバーが集まり、それぞれのレベルに合わせてアップをしている。参加者はテニスクラブやテニススクールのオーナー、メーカーのテニス担当者、すなわち学生時代からテニスを続けて来たプレーヤーがほとんど。多くが50代、60代ではあるものの、そのレベルは高い。久しぶりにラケットを握った私とは雲泥の差。とは言え、相手に合わせてボールを出してもらえるレベルでもあり、午後の数時間たっぷりと楽しめる。球出しをしてもらい基本のストロークを教わったり、ダブルスのゲームのお相手をしていただいたり、高原のテニスを下手なりに満喫することができた。

ClubVerdeSunriseをたっぷり流し、お風呂に入ってさっぱりした後は懇親会。乾杯の後は参加メンバーの自己紹介が始る。最後に挨拶されたのは、ダブルスのパートナーとしてアドバイスしていただいた方、会場となったクラブのオーナーだった。話を伺うと、80年代に須玉グリーンテニスクラブとして設立された後、何度か利用者として訪れ素晴らしい施設だと感銘を受けたという。その後何度かオーナーが変わり、数年前に閉鎖されてしまったクラブを久しぶりに訪れた際に、自らが経営することを決めたとの事。初代のオーナーは日本テニス事業協会や前身の日本テニスクラブ連盟の初代会長でもあった故飯田太郎氏。鶴川にあったグリーンテニスクラブのオーナーでもあった飯田氏はジュニアの育成、クラブ間の交流や情報交換に力を注いだ功労者であり、伝説の人物。

IndoorIndoor2ェルデ”という現在のクラブ名は、そのグリーンテニスクラブの名を継いだ、イタリア語の緑という意味。18面のクレーコート、3面の屋内コートを有する施設は、古びてはいるけれどきちんと整備されており、特に国際大会や国内のメジャー大会も開催されるというクレーコートのコンディションは、素人目にも素晴らしい。現在のテニスブームは錦織ブームだというテニス関係者のことばは良く聞くし、実際にそうだと思う。ましてこれだけの大規模施設を維持するには国内のテニス人口はまだまだ少ない。けれども、現在のオーナーは飯田氏の遺志を引き継ぎ、お世話になったテニスというスポーツへの恩返しをしたいのだと言う。因に、トレーダーだった彼の本業はテニス大会の企画、運営、情報提供、エントリーを行うサイトの運営など。やるなぁ。

れた。テニス事業協会に加盟するオーナーの皆さんは、心からテニスを愛し、その活性化のために自らのクラブやスクールのためだけではなく、協会の活動に熱心に参加されている。仕事を離れた目で見ても、尊敬できる方が多く、フレンドリーなスポーツマン揃い。好きなテニスでメシを食えていることを幸福だと思い、その夢の実現を感謝している方々。二次会で自らのオリジナルレシピでジントニックを振舞うクラブヴェルデのオーナーも、実に幸福そうだ。「いろいろ研究して、このレシピに行き着いたんですよ。タンカレーと、ウィルキンソンのトニックウォーターと、そしてライムがポイントなんです」ふむふむ。「紀伊國屋か三浦屋でライムを買うんです」…そして、お茶目でもある。

Bon voyage ! Madame !「Farewell party @Trois-Quarts」

gazpachoピドーに行ったら、ホテルの従業員向けに日本語の先生でもやろうかと思ってるんだ」その人は軽やかに言う。Naypyidaw:ネピドーとは、ミャンマーの首都。2006年に旧首都ヤンゴンから遷都された、建設開始からわずか10年余りの若い都市。ミャンマーよりビルマ、ヤンゴンよりラングーンと呼ぶ方が耳に馴染む年代としては、彼女がご主人と一緒に赴任することがなければ、名前をしばらく知ることもなかったかもしれない。そんな街に2年の期間限定とは言え駐在することになったマダム。前任のワシントンD.C.から帰任してわずか数ヶ月後のことだった。

Hors-d'œuvreIGAちゃん、ネピドー赴任日が決まりました。その前に都合が付けば会えると嬉しいな」了解!最優先でスケジュールを空けよう。他は誰に声を掛けようか。ちょっとだけ年上の彼女の敏腕マネージャーを自認する私。何人かのスカッシュ仲間を誘い、いつものビストロを仮予約。とは言え、バタバタとお互いのスケジュールを調整して決めた日程は5日後。それでもお気楽夫婦を含め、5人のメンバーが集まった。当日、ふと思い付き、マダムにバラの花束でも買おうと思うんだけど、どうかな?と主役以外のメンバーにメールを送る。「ステキ!」「よろしく♬」とメンバーの合意を得て、花屋に走る。品があって、その上とびっきりハデな花束を贈ろう!

Hors-d'œuvre2国人向けにはホテルしか住むとこがないんだよねぇ」「へぇ〜っ」「片側10車線の高速道路があるんだけど、車はほとんど走ってないの。有事には滑走路になるんだね」お元気で!の乾杯の後、マダムのミャンマー見聞録が披露される。住まいの下見に訪れ、いくつかのホテルを泊まり歩き、住まいにするホテルを決めて来たマダム。実際に自分の目で見て、 2年間住むことになる街を楽しげに語る。ネピドーは政治の街。軍事政権が続くミャンマーにとって首都のインフラは軍事戦略的な意味を持つ。「ヤンゴンはしょっちゅう停電が起きるんだけど、ネピドーは停電しないんだよ」街に居酒屋がないと嘆きながらも、新たな首都のインフラをポジティブに語る。

Eri女の生き方は実にポジティブ。引越人生はもうたくさんだよ!と言いながら、パートナーのミャンマー行きの選択を肯定するだけでなく、同行しサポートする。否定的な側面を豪快に「うはは」と笑ってしまい、肯定的で魅力的な側面にしてしまう。どこかの保険会社のCMのように、くるりと価値観をひっくり返す。「IGAちゃんたち、来年までには案内できるようにしとくから遊びに来てね!」そう言われると何だかミャンマーという国がとても魅力的な国に思えてくる。だからこそ「うん、行く行く!絶対に行く!」とお気楽妻が本気で応える。生き方こそ違え、マダムを人生の(ちょっと)先を歩いてくれる姉と慕う妻は、彼女の傍らにいると満面の笑顔になる。

Memberロワキャールの料理を堪能しつつ、ワインをたっぷりいただきつつ、送別会なのに笑顔が溢れる楽しい会だ。「うんうん、やっぱりこの店のお料理はどれも美味しいよね♬」ガスパチョからスタートし、オードブルの盛合せ、鮎のコンフィと続いた料理は絶品。とは言え、その日に限れば料理は脇役。店のマダムまゆみちゃんにお願いして隠してもらっていた、バラの花束の贈呈の頃合いだ。主役に花束を渡すのは幹事の役得。「うわぁ!凄い。ありがとう♡バラをもらうのって初めてかも」バラと菊をナチュラルに間違えて贈る“ステキな”ご主人の奥さまならではの発言。そして笑顔が溢れるメンバー全員で記念撮影。マダムにぴったりの艶やかで上品な花束と一緒に。

生は旅に例えられるけれど、彼女の人生は文字通り“旅”そのもの。海外赴任の多かったご主人と一緒にヨーロッパや西アジアの国々に長く暮した。けれど、どの国でのエピソードを聞いても明るい笑い話になる。それは彼女の生き方そのもの。彼女を“マダム”と呼び始めたのは、いつ頃だっただろう。大らかで、前向きで、弱さも持ちながらも、しっかりと地に足を付け立っている、魅力的なオトナの女性。(誉め過ぎか?)人生の旅の途中で出会ったご縁を嬉しく思いつつ、これからもよろしく!とハグをして別れた夜だった。マダム、良き旅を!Bon Voyage ♬

あれから4年…「スカッシュ団体戦」

2011Achilles2011年6月、同じ会場でその悲劇は起こった。スカッシュの団体戦、リレー方式で試合を行っている最中、ゲームポイントを取った妻がコートの中で、一歩も動けずその場で振り向いた。何が起きたのか自分でも分らない、という表情。慌ててコーチがコートに入り試合を中止。妻に駆け寄り、心配しながらも冷静に言った。「あぁ、あるべきところにないですね。切れていると思います」あるべきところにあるはずだったのは、アキレス腱。古代ギリシア最強の英雄でさえ、ここは弱かった。ましてやお気楽妻は。救急車で近くの病院に搬送され応急処置を行った後は、遠路タクシーで帰宅し、翌日最寄りの病院に入院、翌々日に手術。慌ただしいリハビリ&介護生活が始った。

ChairTsue社初日、自宅前からタクシーに乗って会社に向かう。会社のエントランスに同僚たちに迎えに来てもらい、松葉杖の妻を引き渡す。翌日は空いている電車に乗り、乗り換えずに行ける駅まで行ってタクシー。何日か経つと会社の最寄り駅まで電車に乗り、会社まではタクシー。そうして毎日会社まで見送り、迎えに行った。自宅での移動用にキャスター付きの椅子を購入。楽しそうに椅子に乗る妻は、いつも前向きだった。「早く運動したいなぁ。もちろんスカッシュ復帰するよ!」との宣言通り、2ヶ月後に松葉杖を外し、3ヶ月弱でトレッドミルに乗って走り始めた。そして、翌年6月、同じ会場での団体戦に参加。「あ、去年怪我された方ですよね」と何人かに声を掛けられた。

SiumaiBlueBooksCafe降、毎年同じ大会に参加。今年はエースのメンバーこそ変わったが、4年前に一緒に救急車に乗って付き添ってくれた役員秘書と一緒に参戦。監督(私のことです)が風邪で参加できなかった代わりに、新エースが頑張り、予選リーグ3位で上位トーナメントに残り、1回戦で強豪チームを破った。天晴れ。準々決勝で優勝したチームに敗れはしたものの、女性だけのチームとしては大善戦。殊勲の新エースを慰労しようと自由が丘に向かう。昨年OPENした「ブルーブックスカフェ自由が丘」というブルーノートの系列店へ。「きゃ〜、ステキ♬」とテンションの高い役員秘書。「雰囲気の良い店だね」とクールな妻も好感触。「あ、良い感じ」と疲れた3人はソファ席に身体を沈める。

Hors-d'œuvreTeam杯!」健闘した3人を讃え、風邪っぴきの監督はオールフリーをぐびり。「ビール飲まないなんて、IGAIGAホントに具合悪いんだね」役員秘書のおっしゃる通り、飲めない日が数日続いていた。それでも応援だけでも会場に顔を出せて良かった。1回戦の勝利は監督の采配だしね。「エースの頑張りだよ。ジュニアの伸び盛りの娘相手に、格好良かったね」「ギリギリ1点差で勝ちでしたから、お2人のポイントも大きかったですよ」と、お互いを立てる発言。何だか(監督がいなくても)良いチームだ。オードブルの盛合せをつまみながらスカッシュ談義。料理もなかかな美味しい店だ。オールフリーをお代わり。そう言えば会場で1枚も写真を撮らなかったと慌ててチームの記念撮影。

あれから4年。当時のブログを読み返してみると、いろいろと周囲の環境が変わり、私のブログのテイストも僅かづつ変わって来たのが分る。最近は日常を綴ることに終始し、自ら思索し発信するのを敢えて避けるようになった。慌ただしく日々を過ごす中で、変わっていないと思っていたものを失ったり、いつの間にか新たに得ていたりということがある。『ぴあ』の最終号が発刊されたのもこの年の7月。すっかりお馴染みになった店「さかなの寄り処てとら」が開店したのもこの年。2011年という多くの人が深く心に刻むできごとが多かった年、あれから4年経った。そして、まだあれから4年しか経っていないのだ。忘れていないか、ブレていないか、浮ついてはいないか、調子に乗ってはいないか。この国の政の有り様と共に自身に思いを馳せる。いろんな思いが胸を過る2015年の夏だ。

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SINCE 1.May 2005