術後3ヶ月の診察で担当医が宣うた。「うん、これは順調だ。フツーの生活して良いよ。コルセットも外しても大丈夫。あ、今日してきたんだ」1ヶ月目の診察でハードなコルセットをせずに受診して、完治を保証しないと脅かされたから装着して行ったのに、この言い草だ。とは言え、嬉しいご宣託だ。「あ、運動はまだダメだよ」ん?私にとって普通の生活とは、週に数度ジムに通い身体を動かす生活のことだ。
ではいつから可能かと尋ねると「2ヶ月だな。次回2ヶ月後に診察して、たぶん大丈夫だろう」詳しく確認すれば、自転車はOK、ストレッチはダメ、走るのはNG(その時の自分に走れるとは思ってはいなかったが。着地の際に患部がハデに痛むのだ)腰を急に捻っちゃダメだよ!とのこと。やはりスカッシュは術後1年後か。何たってあのスポーツは、腰を捻りまくる。瞬時に動く。走りまくる。思えば身体に悪いスポーツだ。
フツーの生活をさっそく実行だ。コロナ禍で遠ざかっていたとは言え、12月は1年間お世話になった店に年末のご挨拶に伺うのが恒例だ。松陰神社前の「ビストロ・トロワキャール」ではビストロ料理の師匠でもあるシェフの聡ちゃん、マダムのまゆみちゃんに入院中のエピソードを披露。用賀の京料理の名店「本城」では大将とお互いの症状を語り合う。すっかり話題が病気やら体調やら。つくづく歳を取ったものだと実感する。
神泉の「遠藤利三郎商店」の若手女性スタッフがソムリエ試験に合格というNEWS。それはお祝いしなきゃと店に向かった。いつもの席に案内され、シャンパンとスパークリング(妻は水)で乾杯。相変わらず料理はストレートに美味しいし、合わせて選んでいただくワインもぴったり。いつものようにワイン袋持参でオススメのお手頃ワインを何本か持ち帰り。術後に何故か酒量が減った代わりに、ささやかな店への応援として。
ビストロ808も再開した。友人を自宅に招き、シェフ(私のことだが)のお任せ料理を召し上がっていただく完全個室(笑)のビストロ。ゲストは自分の飲みたいものを飲めるだけ持参するのがお約束。その日のゲストは2人で泡と赤白各1本を飲み干した後、「カラオケ808」に店名変更した店内で熱唱。皆でカラオケBOXに行くのも躊躇ってしまうご時世だから、次回からそのメンバーの恒例となりそうな予感だ。まぁ、それも良し。
自宅で食事する際は、お気楽妻が専属シェフと呼ぶ私の出番だ。フツーの生活、すなわち家事三昧の日々。今まではコルセット装着しているために腰を曲げられず不自由だった身体が(完全ではないが)解放された。掃除機のコンセントの着脱も、トイレ掃除も、もちろん料理も妻の手を煩わせることもない。朝食を作り、妻の出勤を見送った後に掃除、洗濯、そして引き続きのリモートワークの日々。*出勤はまだ週に1,2回程度。
残るのは運動不足の解消、すなわち増え過ぎた体重を戻すこと。担当医のことばを拡大解釈し、着地の衝撃のないクロスウォーカーやエアロバイクの利用限定でジムにも通い出した。鈍った筋肉も回復しつつあるようで、代謝も上がり汗がかけるようになってきた。2着しか着られなくなっていたスーツを着回すのは限界がある。全てのスーツが着られるよう腰回りの贅肉を落とさねば。それができて初めて「フツーの生活」だ。
コロナ禍に加えて、脊椎管狭窄症の手術、長期療養というフツーではなかった私の2021年が終わろうとしている。フツーではなかったからこそフツーの有り難さがしみじみ分かった1年でもあった。何年(フツーなら?2年弱)か後に妻の卒業(定年退職)を控え、お気楽夫婦にとって本格的な老後が目の前に見え始めている。人生の終盤をどのように生きたいか、そのための手術でもあった。骨が付くまであと数ヶ月、待ってろよ2022年!まだまだしばらく元気でいてやる!
去年のちょうど今頃、三国湊を訪ねた。コロナ感染拡大もひと息ついていた頃を見計らい、地元福井に住む友人夫妻と一緒に街を散策。江戸時代に「北前船」の寄港地として栄え、今もその面影を残す情緒溢れる街並み。初めて訪れた街なのに、懐かしさを感じながらのんびり歩く。懐かしさの源は街の佇まい。実は私の生まれ故郷も(今はすっかり寂れてしまったが)北前船の寄港地であり、藩の番所があった小さな港町だった。
三国湊の街は、私が幼かった頃の記憶を呼び覚ますタイムカプセルだった。板張りの壁、窓の格子、屋根上の梲(うだつ)、私の故郷ではとっくに失われたものが、この街にはきちんと保存されていた。観光資源としての意味だけではなく、実際の住まいとして、あるいは改装されたオシャレな宿として、現役で生きていた。私の中に沈んでいた記憶を道連れに、港に続く道を歩きながら、私は時空を超えて故郷の街を訪れていた。
街が賑やかだった頃には、田舎町でありながら『ニューシネマパラダイス』のような小さな映画館や、地元で漁れた魚を見せるような小ぢんまりとした水族館があった。海岸は人気の釣場だった。まだ多くの学校にはプールがなかったこともあり、内陸部の小中学校の海浜学校の目的地となり、夏には多くの海水浴客で賑わった。海岸の近くには旅館や民宿が何軒もあり、今で言えば夏のリゾート地(笑)として地元で人気の街だった。
8月には毎年花火大会が行われた。まだレジャーが少なかった時代、その地方の夏の一大イベントだった。子供たちはその日を楽しみにし、当日は大勢の見物客が訪れ、堤防の打上げ会場を望む海岸沿いの私の生家にも親戚や父母の友人家族が集まって、ささやかな宴会が開かれた。そんな夏の風景は今も続いている、ものだとばかり思っていた。実は50年続いたその花火大会は、21年前、2000年を最後に開かれなくなっていた。
偶然その事実を知ったのは、あるクラウドファインディングサイトで見つけた企画だった。「奇跡の花火をもう一度!」というタイトルには私の生まれ故郷の名前があった。2020年に奇跡の花火が上がった。コロナ禍で中止になった他の大きな街の花火大会の代替として、20年ぶりに花火が故郷の海の上に咲いたのだと言う。その景色は地元の多くの人を感動させ、かつて開催されていた花火大会の記憶や思い出を呼び醒ました。
そして、コロナ禍が続き、地元の漁業、観光業などが苦しむ中、その閉塞感の打破を願い、再び今年も小さなイベントとして開催したいのだと言う。そして偶然は重なり「イカ侍」を名乗る実行委員長は、私の末弟の同級生で、地元で100年ほど続く寿司屋(以前は旅館経営)の店主だった。これはイカ侍を応援せねばなるまい。リターンは開催記念のDVDだけ、海産物などはご遠慮するとメッセージを付けて寄付をした。
秋も深まったある日、季節外れの花火が届いた。制作には時間がかかったようだが、誠実を絵に描いたようなDVD映像が完成していた。企画は成立したのだ。花火が上がった時間は決して長くはなかったけれど、故郷を離れて40年以上経ったおやぢを泣かせる力があった。地元を愛する魂が籠った映像だった。集まった資金は無事に目標達成。賛同者の中には懐かしい同級生や知った名前も多かった。誇らしく嬉しい成果だ。
「美味しいね、このホッケ。部屋中サカナ臭いけど」と苦笑いの妻。狭いマンション暮らしの我が家は、実は焼き魚禁止。以前、妻のいぬ間にこっそり秋刀魚の開きを焼いてバレたことがあった。それ以来の焼き魚。それもレンジからはみ出すほど巨大なホッケ。大会開催に使って欲しいからと、断ったはずの海産物セットがDVDに続いて届いたのだった。一夜干しのイカ、大量のハタハタ、どれも美味しいけれど、やれやれだ。
来年も実施できるようまた寄付したいと呟くと、「海産物なしでね」と妻が返す。そして、「美味しい魚は地元で食べれば良いしね」と、きっと続いたはずだ。
退院後しばらくして大きな箱が届いた。中に入っていたのは旬のフルーツと、シャンパン。それも大量の可愛いベビーボトル。おぉっと声が出た。一緒にスカッシュをやっている(復帰を前提に敢えて「やっていた」とは書かない)仲間たちからだった。思わず笑みが溢れる。自宅でのひとり酒にはぴったり。さすが長年の付き合いだ。贈ってくれた友人たちの顔が浮かぶ。外出できない私を慮って図書カードがあるのも嬉しい。
後日、いただいたシャンパンを飲むための料理を作る。毎日在宅勤務で、買物や散歩で出かける程度で外出できない身にとっては、自らの手料理は日々の楽しみだ。メインはシャンパンだから、逆算してシャンパンに合わせるメニューを考える。シャインマスカットなどのフルーツとクリームチーズのサラダ。トマトたっぷりのビーフストロガノフ。そして何よりも美味しいパンの盛合せ。*病院のコメ食の反動でパン三昧の日々。
博多からも到来もの。美味しい街から届いたのは、フグのコンフィ詰合せ。これは嬉しい。プレーン、中華風味、バジル風味の3種。美味しいもの好きの飲んべいの友人が選んだ「博多のフク(博多ではフグは濁らず、縁起の良い「福」に繋がるからフクと呼ぶ)」だ。不味かろうはずがない。高級食材のフクを気軽に食べられるようにとオイル漬けにしたと女将が語る、博多の料亭「い津”み」が生んだ新しい食べ方の提案だ。
さっそくカリカリのバゲットを薄く切って、サクサクに焼いたメルバトーストに3種の福を乗せ、ぱくり♬むふっ、旨い。頂き物だから、お高いモノだろうが敢えて気にせずゼータクに盛り付ける。これこそが到来モノの醍醐味。嫌らしい言い方をすれば、自分の懐が痛んでいないからこそできる贅沢。贈った方も自分用にだったらもったいなくて買えないくらいの品だと思う。贈答品消費の“あるある”だ。ありがたく味わう。
神が不在だという神無月、10月はお気楽夫婦の記念日ラッシュ。妻の誕生日に真っ赤な薔薇の花束を贈る。贈る方も受け取る方も小っ恥ずかしがっては負け(笑)。学生時代に花屋でのアルバイト経験がある私は、若い頃から照れずに堂々と花束を贈ってきた。思えばバラの花束も典型的な贈答品消費。女性の誕生日や記念日、お祝いに贈るのはお約束。銀座方面ではめっきり花屋の売上が落ち込んでいるという。踏ん張れ!夜の街。
実はこの花束、閉店間際の花屋に飛び込んだら「最後の10本なので半額にしておきます」と嬉しい価格だった。ところが、花瓶に挿して飾った翌日には頭を垂らし始めた。むむっ。バイトで得たノウハウで水切りをしても元気にならない。そこで閃いた。幸い花びらは元気だからバラ風呂にしよう♫これも夫婦間でのプレゼントとは言え、贈ったモノだからこそできる贅沢だ。いずれにしても、外向きではなくウチ向きの消費。
そして結婚記念日の月でもある10月、いただいたシャンパンと豪勢に焼いたサーロインのタリアータ、そしてご近所の名店「ユウ ササゲ」にて手配したシャルロットマロンでお祝い。例年なら友人たちと行きつけのビストロで一緒に乾杯しているところだが、今年は残念ながら2人だけで乾杯。ワクチンの接種率も上がり、陽性者も確実に減り、かつての日常が戻ってきそうな気配もありつつ、まだまだ今まで通りとはいかない。
例えば、このタリアータ用の肉は、今までであればお店で食べていたはず。自分で焼いた肉も美味しいけれど、プロの技には遠く及ばない。友人たちが贈ってくれたシャンパンも、本来なら皆んなで大きなボトルで飲みたいところだ。けれども、毎日のように外食をすることはなく、頻繁に友人たちと集まることはない。一度変化した消費のスタイルや生活のリズムは全く同じ形には戻らない。そう、世界は変わったのだ。
お気楽夫婦は、二重の理由で新たな日常を迎えている。無事に手術を終え退院したものの、日常生活に制約は多い。在宅勤務の毎日、コロナ対策と療養、運動不足を補う散歩、矛盾とストレスに溢れた日々。友人をランチに誘うのにもドキドキだ。誘っていいものか、相手の感染予防ポリシーが気になる。…ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず。一見同じように見えても、今までとは異なる新たな日常が始まった。
変わらないモノもある。久しぶりに友人と会って(みやさん、ありがとう♬)目の前で語り、同じものを食べ、笑い合い、リアルな空間と時間を共有することの楽しさを思い出した。これは人には必要だ。そして店舗での飲酒が解禁され、プロが注ぐキリッと冷えた生ビールを飲み、揚げたてのフライドポテトを頬張る。これも絶対に2人の人生に必要だ(笑)。新たなライフスタイルの中にも、忘れてはいけない大切なモノがある。