都心のホテルで寛ぎテニス♬「エグゼクティブハウス禅」

RoseGardenGardenが家の大黒柱(マンションだから大黒柱はないけれど)の妻。彼女の春は忙しい。毎晩のように終電で帰ってくる日々が数ヶ月続く。ひ弱な私なら数日も保たないハードワーク。その上、会社にいる間は交感神経が働きまくり、ほとんど食欲を感じないらしく、深夜帰宅後に食事をするという不健康な毎日。それも、ポッキー、柿ピー、ポップコーンなどが主食。ダメ押しの不健康生活。自宅に戻ると副交感神経が働きまくり、がぜんリラックス。そんな状態で食べたいものを食べるというのが妻のストレス解消法らしい。正しくはストレスを自覚している訳ではなく、欲求のままの深夜食だという。

GymTennis雨入り直後、妻の残業生活がひと息付いた。そこで、温泉に行ってのんびりし…ないのがお気楽夫婦。テニスコートのあるホテルを予約し、テニス合宿を企画した。ホテルマニアでもあるお気楽夫婦。新御三家をはじめとする都内の外資系ホテルはほぼ制覇済み。けれど、好みのスモール&ラグジュアリーホテルにはジムはあってもテニスコートまではない。客室数の多い大型ホテルに限られる。では、御三家と呼ばれる帝国、オークラ、ニューオータニであれば…。と、選んだのは、ニューオータニが「ホテル・イン・ホテル」のコンセプトで2フロア、87室に改装した「エグゼクティブハウス禅」。

DinnerChampagneニスコートは3面。場所は千代田区紀尾井町。ゼータクなロケーション。1分1秒を大切にラリーを交わす。「やっぱりテニスって楽しいねぇ♫」肘を痛め、自粛していたテニス。理由あって再開し、こっそり練習中の2人。身体を休めるのではなく、適度に動かすことで却ってリラックスできる2人でもある。シャワーで汗を洗い流し、赤坂御用地の緑越しに新宿の摩天楼群を臨むラウンジで乾杯。宿泊代に含まれるラウンジでの料理、飲み放題(笑)のシャンパンは嬉しい限り。食いしん坊だけれど小食の2人にとっては充分すぎるディナー。巨大なホテルを散策し、部屋飲み用のワインとつまみもゲット。

BedroomBathroomの部屋はなかなかだね♬」好みではない大型ホテルでの宿泊を危惧していた妻。けれど、確かにこのエグゼクティブフロアは悪くない。洗い場付き、ゆったりとしたブラインド越しのビューバス。ダイニングテーブルや大きなソファのあるリビングスペース、ウォークインクローゼットも充分広い。すっかり低くなった解体中の赤坂プリンス、ローズガーデンを見下ろす眺望も都心とは思えない空間の拡がり。大きなホテルは大きさなりのメリットがある。「ホテルの中にレストランやバーが50店以上もあるって凄いよね」妻の言う通り、ここは巨大なホテルであり、小さな街。

食用のレストランも4ヶ所。エグゼクティブラウンジではなく、敢えて庭園を臨むガーデンラウンジでのんびり食事。海外からの観光客も多く、まるで東南アジアの巨大なリゾートに来て寛いでいる気分。「たまにはこんなホテルも良いけど、小さなホテルの方が良いかな」と、妻の本音。了解。久々にこの夏は、1泊すればスタッフとも互いに顔見知りになる、程よい規模の南の島のリゾートホテルへ!

故郷の父、逝く「幸福な最期」

Iei悟はしていた。同時に、快復の期待もしていた。4月の一時帰宅の際に、退院したらゴルフクラブを1本だけプレゼントする約束をした。運動不足だから庭で素振りをするのだと朗らかに笑った。ゴルフなどに縁のなかった父なのに。2月に入院しておよそ100日。休日の朝、病院で付き添う弟から父の意識が薄れているとの緊急連絡。慌てて荷物をまとめ、羽田までタクシーで向かい、車内で予約した飛行機に搭乗。迎えに来てくれた弟の車で病院に向った。穏やかな顔のままで、酸素吸入器を付けているのが不自然なほどの、我々が到着してからほんの10分ほど後の、眠るような最期だった。「待っていてくれたんだよ」という伯母たちの声。それを弟の号泣がかき消した。

のベッドの周りには、父の兄がいた。姉がいた。妹たちがいた。息子たちがいた。孫たちがいた。多くの親族たちに見守られて父は逝った。最後の数年間は病に苦しんだとは言え、充足した生涯だった。地域社会の中でリーダーとして活動し、山を歩き、野草を撮影し、地方史を研究し、句会を主宰し、バレーボールのコーチを務め、子供を育て、妻を介護した。「好きなことやった人だもの」伯母たちが口を揃える。そして、涙を拭いた後の弟は見事だった。喪主として、葬儀や直会のやり方にひと言ある街の重鎮たちを抑え、しがらみに妥協もしつつ、自分たちのやり方で準備を行った。そして手作り的な温かい通夜、葬儀を自宅と菩提寺で行い、父を送った。父母と一緒に故郷の街に暮らし、父と共に母を送り、父の世代との交流も含めネットワークを広げてきた、弟でなければできなかったミッション。

が今、子供たちにやっていることは、全て父が私たちにやってくれたことでした。父を亡くした悲しさよりも、人生の先輩を失った悲しみが勝ります」3人の子供を育てる弟。喪主としての挨拶も立派だった。親族代表として弔電を読み上げた長男も、受付周り一切を仕切った長女も、弟のことばを見事に体現していた。こうして、父の肉体は滅びたけれど、故郷を愛した父の意志は継がれて行く。父母が逝き、私にとって故郷の意味は変わってしまうけれど、なくなりはしないことを感謝したい。この街には彼らがいてくれる。父はきっと安心して逝ったに違いない。微笑んで母の元に旅立ったに違いない。

儀とは別に“偲ぶ会”をやろうと思ってね」と弟。父の撮った野草の写真パネルを会場に飾り、希望者に贈りたいのだという。さらに、父の書斎にある地方史の研究資料や、父が発刊した写真集も、地元の施設に寄贈されるという。こうして父の存在した痕跡も残される。「こんな時に父が生きていたらこんなことを言ったかもしれない、こんな方法を選んだかもしれない、そうやって思い出してやってください」弟の喪主挨拶はそう続いた。「良い葬儀だったね。こんな風に送られるのは幸せなことだよね」ずっと傍らにいてくれた妻が呟いた。そんな妻にも感謝。

読んでから観る?観てから読む?『県庁おもてなし課』他

Kencho1970年代、角川商法と呼ばれていた角川映画と角川書店。書籍販売の売上増を狙い、自ら映画化。出版と映画のメディアコンプレックスの先駆け。第一弾は、1976年の横溝正史原作『犬神家の一族』。「金田一さん、事件です」というキャッチで、主演の石坂浩二が予告編に登場し、CMがヘビロテで流された。第2弾は、1977年に公開された森村誠一原作『人間の証明』。キャッチは「母さん、あの帽子どうしたでしょうね。ええ、夏、碓氷から…」と流れ、ジョー山中が歌う「ママァ、ドゥユー〜リメンバー♬」と主題歌が続いた。分かる人には分かる(笑)。そして、キャンペーンキャッチは、「読んでから観るか、観てから読むか」。これは実に普遍的なテーマ。

Tosyokanくの映画作品は、原作の方が先に世に出る。出版され人気が出た作品が映画化される場合が多い。監督や出演者のファンなら原作を気にせず観に行くのだろうが、原作の愛読者としては悩む。読みながら自分なりの物語世界のイメージが拡がり、自ら監督する映像を頭の中に浮かべ作品を読んでいる。主人公がぴったりという場合もあるけれど、思い入れが強い作品ほどキャスティングに不満が出る。また、せっかくのあの部分がこんなシーンになるの?…だったり、え!あの部分をカットするか!…などとストレスが溜まることが多い。表現形態の違う別の作品だと思って観れば良いのだけれど、原作が好きなだけにそうもいかない。いっそのこと観ないという選択もある。

FuneWoAmuの春、なぜか好きな小説たちが映画化され、一斉に公開されている。有川浩の『図書館戦争』、『県庁おもてなし課』、東直己のススキノ探偵シリーズ『探偵はBARにいる2(原作は『探偵はひとりぼっち』)』、そして未読ながら三浦しをんの『舟を編む』の4作品。妻にどれかを(あるいは全てを)観に行こうと提案すると、有川浩原作の2作品は真っ先に却下された。文庫本は解説から読み、ネタバレも気にせず、映画を観てからでも原作を読む妻。観ると読むの順番も、キャスティングも気にしない。けれど、映画はワカモノ向けの作品になっていそうな気配が嫌われたようだ。

Azumaを編む』は、私が躊躇った。読んでから観る派である私としては、文庫化を楽しみにしている1冊。主人公役の松田龍平は好きな役者だけれど、先に映像が刷り込まれてしまうのは嫌だ。う〜む、ということは、残るは1作品。映画『探偵はBARにいる(原作は『バーにかかってきた電話』)』の1作目は、原作の匂いを残しつつ、実に良い映像世界を創っていた。原作との違いも楽しめた。主役の2人、大泉洋と松田龍平のコンビが実に良い。あ!ここでも松田龍平。『ススキノ探偵』シリーズの高田と、『舟を編む』の馬締光也のキャラクターが被ってしまうのか。松田龍平がどう演じ分けるかが楽しみでもあるし、悩ましくもある。これが映像作品の功罪。

むんだったら、全部1人で観に行ったら?」と妻。もちろんそんな選択もある。ところがこれがまた悩ましい。50歳をとっくに超えた私。夫婦50割引が適用される。どちらかが50歳以上であれば(夫婦でなくとも可)、2人で2,000円。ところが、1人で観に行くと1,800円。実にもったいない。200円で一緒に映画観ませんか?と、誰かを誘えば良いのか。「分かった。じゃあ『探偵〜』は観に行こう」と妻。きっとこの辺りが落とし処。他の3作品はDVDレンタルの運命か。

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