お気楽夫婦にできること「省エネ家電とLED」

Kaizan Entranceんな時代に産んじゃって申し訳ないって思うんですよ」いつもは陽気なスタッフの1人が呟いた。年度末のお疲れさまの会を開催する予定だったが、震災の影響でスケジュール調整ができずに延期。1ヶ月以上経ってようやく今年度もよろしく!という趣旨に変更した慰労ランチの席。スタッフの多くが小さな子供がいる母親ということもあり、飲んでコミュニケーションを取るのは難しい。そこで皆でランチ!というのが恒例となっている。「私たちはもう終わってるし。あ、青春がって意味ですけど。充分楽しんだし、いろんなことも経験できたし。でも子供たちがこんな時代をこれから生きなきゃいけないっていうのが、申し訳ないなぁって…」そう続けるスタッフは決して悲観論者ではない。むしろいつもは前向きなタイプなだけに、そのことばは小さな刺となって刺さった。

Shefん、やっぱりとっても心配」ふだんは、子供なんて放っておいても育つと思っているような義妹が即答した。弟夫婦が長男の入寮手続きのために東京にやって来た。遠路山形から大学に入学する子供の荷物をワゴン車に積んで。フロントガラスには災害支援用車両であることを示すステッカーを貼ったまま。その日の夕方から中華料理屋でビールと紹興酒、わが家でシャンパンとウォトカを一緒に飲み続けた。弟は旧友との飲み会だと言って途中で抜け、いくら飲んでもふだんと変わらない義妹と酒を酌み交わす。そして、甥っ子の将来のことに話題が及び、心配なんかしてないと返ってくると思っていた返事は全く違っていた。「どんな風になるか分かんないけど、心配だなぁ」短いことばの中には、いろんなものが詰まっていた。親元を離れて暮らす息子を思う母。30年以上前の自分を巡る光景を思う。

確定要素が多いのはどんな世の中でも常。けれど震災という新たな心配の種は、自分たちの未来だけではなく子供たちの未来にも大きな影を落とす。子供のいないお気楽夫婦。子育ての実経験を持つことはできなかったけれど、子供たちの未来を思う気持は子供を持つ夫婦と同じでありたい。

LED×10ゃあ、これ10個で良いね。買っちゃうよ」そう言って妻がネットで購入したのはLED電球。調光機能が付いている間接照明がメインのお気楽夫婦宅。ここ数週間、2人が節電対策を研究した結果だ。電力供給不足を補うための計画停電はいったん終了したけれど、夏場の最大需要時期にはまだまだ需給バランスが取れないことが予想される。各家庭でも10%程度の節電が求められている。けれど、照明をマメに消すとか、待機電源を使わないという生活習慣を変えるレベルでは到底追いつかない。家庭での電力消費の大元である電気製品を省エネ型に変える必要がある。既に、エアコン冷蔵庫TVと省エネ家電に買換え済みのお気楽夫婦。他にできること、すぐに実行できることは、可能な限り家中の照明をLEDに変更するという作戦。

LightLEDは、震災以前から照明をLEDに変えることを検討していた。けれど、LED電球はまだまだ白熱灯に比べ高価。それに調光機能に対応したLED電球は販売が遅れており、昨年ぐらいからようやく市場に出てきたばかり。さらに、白熱電球の柔らかく暖かな色合いに比べ、寒色系の色合いが多く、光量も不足。さらに、白熱電球が全ての方向に光が放射されるのに対し、LEDは配光の広がりが狭い。欠点はまだ多い。けれど、今まで使っていた100Wの白熱電球に対しお気楽夫婦が購入を決定したパナソニックのLED電球は7.6W。なんと消費電力は1/13!色調もずいぶん改善されたし、多少は手頃な価格になった。とは言え、残念ながら100W電球の1,520ルーメンに対し、425ルーメンだから明るさの目安は1/3程度。…ということは、照明を落としている公共施設と同様に、多少の暗さに慣れればこれで充分ということになる。

しっ!これで残りは調光機能なしのダウンライトだけだね」LED電球の暗さに最初は戸惑っていた妻が宣言。近々交換することになるだろう。家庭の電力消費の24.9%はエアコン、照明は16.2%、冷蔵庫が15.5%、TVは9.9%という調査結果がある。これで上位4種(合計で66.5%)の省エネ対応がほぼ終了。

らに、マンションの管理組合へ2つの提案をした。ソーラーパネルの設置による共有スペースの電力供給(非常時対応も可能か?)と、窓ガラスをペアガラスに変えることを認めてもらうというもの。これまた実現すれば節電が可能。「うん、それは良いかもね」まだまだ検討の余地がある家庭での省エネ、節電。短期的には、節電をゲームのように楽しんで、できることをやっていこう。そして、長期的な戦略を並行して考えよう。

日の統一地方選挙において誰に投票するかを含め、お気楽な2人でもできることはある。「外食産業の応援強化?」…お気楽な妻ができることはいつも全力でやっている。

ちくわが飛ぶ夜、らもさん復活「桃天紅」

Toh Ten KohNakajima Ramo殺軍団リリパットアーミーという劇団があった。1986年に旗揚げしたその劇団は、小説家で、劇作家で、ミュージシャン、そして「明るい悩み相談」でも知られた中島らもが主宰していた。当初集まったのは、中島らもの周囲にいた芝居に何の関係もない(例えば、キッチュ:現在は松尾貴史、漫画家のひさうちみちお)人々。そして劇団名通り、ナンセンスなギャグがてんこ盛りの“中身のない”芝居をやっていた。劇中でストーリーに何の関係もなくマイクを持った出演者が、他の出演者にムード歌謡などを拷問のように強制的に聞かせる“ミュージック・ハラスメント”が行われ、終演後の舞台挨拶では(かつて中島らもが「ぴあ」でも連載した「微笑み家族」のスポンサーでもある)カネテツデリカフーズが提供した“ちくわ”が客席に向って大量に投げられた。

Ramo sanYamauchi団の主宰がわかぎゑふに代わり、中島らもは名誉座長、そして平座員になった。劇団の名前もリリパットアーミーⅡに変わり、きちんとした物語がある脚本で本格的な芝居をやる劇団となった。お気楽夫婦は1997年に初めて彼らの公演を観て、ある種のカルチャーショックを覚えた。関西のエネルギーを怖いぐらいに感じた。そして、なぜかそのはちゃめちゃな舞台に惹かれ、芝居の方向性が変わっていっても観続けた。けれど、次第に舞台から中島らもの姿は消えてしまった。そして、中島らもは2004年7月26日に52歳の若さで逝去。その後、リリパットアーミーⅡの舞台から、ミュージックハラスメントも、ちくわ投げも消えてしまった。

Hamochikuぇ、この芝居どうかな。山内圭哉が中島らもの脚本を演るんだけど…、コングさんも出るよ」いつもよりテンションが高い妻。良いね、行こうか。妻の提案に賛同。そしてある週末、お気楽夫婦はシモキタに向った。らもさんの芝居と言えばスズナリが定番。けれどその日はスズナリより座席数が多い本多劇場。ちょっと心配。そして危惧通りに劇場の後方には空席が目立つ。けれど、「そんなこと気にせんでえぇねん」とでも言うように、開演前のステージのスクリーン上で、らもさんが迎えてくれた。そして、開幕。しばらく忘れてしまっていた“ど〜でも良いこと”で笑うことができた。前のめりになりながら声を出して笑った。自分の大きな笑い声に驚いた。ことっと音がして、震災後にできた小さな突っかえ棒が外れた気がした。

A sighn Bar白かったねぇ♬」終演後、いつものようにAサインバーに向う途中で、妻が呟いた。カーテンコール後の舞台挨拶で、演出&主演の山内圭哉が「そんな舞台と違いますから」とテレて、それでも嬉しそうに答え、「でも、久しぶりのもんを用意してあります!」とカネテツデリカフーズのハモ竹輪を客席に投げまくった。最前列で観ていたお気楽夫婦は真っ先にちくわをゲットしたばかりか、コング桑田が我々の客席の前まで持って来てくれたちくわも手に入れた。「毎度おおきに!」と挨拶してくれたコングさんも、山内圭哉も、キッチュという名前を変えて久しい松尾貴史も、出演者が実に楽しそうだった。ミュージック・ハラスメントも往年の迫力はなかったけれど、きっちり演ってくれた。危ないセリフを吐く役者に、慌てて突っ込み、否定する演出家兼主演の山内。そんな演出に中島らもの姿がぽわぁ〜ん、と現れた。

もさん復活!って感じ。らもさんが舞台にいたら何の役だったかなぁ」妻が楽しそうに観て来たばかりの舞台を回想する。らもさんは舞台にいたよ。山内桂哉が、コング桑田が、松尾貴史が、そしてお気楽妻が、もちろん私も大好きだった中島らも。皆に愛された“らもさん”は、その夜確かにシモキタの舞台の上にいた。

はるよこい♡ 日本の春「さくらSONGS」

SAKURA NakameguroSAKURA Jiyugaoka島県に三春町という美しい名前の町がある。諸説あるものの、梅、桃、桜が一度に咲くことから“三つの春”、三春と呼ばれたという。学生時代、三春町出身の先輩にその話を初めて聞いた時、花が咲き乱れる桃源郷のような町をイメージし、いつか花の咲く季節に訪ねてみたいと憧れた。その三春町には日本三大桜に数えられる「滝桜」という巨木がある。今年も4月15日に開花し、震災の影響もなく来週見頃を迎えるという。同じ福島に花見山公園という花の名所がある。個人の土地を無料で開放した桜、レンギョウ、モクレンなどが同時に見られる公園で、毎年今頃に各TV局が競って中継をしていた。残念ながら今年は出店などは行わなず、積極的な観光客の受入は行わないらしい。

SAKURA KinutaSAKURA Kinutakoen年、桜前線の北上に合わせて旅する人々がいる。多くは仕事を辞められた後のご夫婦だったり、友人同士だったり。花見山公園、三春の滝桜、花巻温泉の桜、城下町角館の桜、GWに満開を迎える弘前公園のさくらまつり、 函館五稜郭の桜まで、東北から北海道にかけ各地の桜の名所を巡る旅。それぞれの地元自慢のサクラの風景を撮り、のんびりと温泉に入り、地元の名物を食べ、ゆっくりと北に向う。花の時期に合わせ、花の名所を旅するゼータクは会社勤めの身ではなかなか実現できず、引退を心待ちにして…という方が多いに違いない。実は私もそのひとり。いつかお気楽妻と一緒に、そんなプランを実現できたらと思っている。

SAKURA Rokakoenには日本人を惹きつける不思議な魅力がある。歌舞伎の「義経千本桜」、小説では(読んだことがなくても皆が知っている)坂口安吾の「桜の森の満開の下」、 西行の「願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」という歌など多様な領域で題材にされている。音楽の世界でも2000年の福山雅治「桜坂」の大ヒット以降、毎年桜にまつわるヒット曲が生まれた。2003年は森山直太朗「さくら(独唱)」、2004年河口恭吾の「桜」、2005年にはケイツメイシの「さくら」とコブクロの「桜」、2006年いきものがかり「SAKURA」、2007年YUIの「CHE.R.RY」、2009年レミオロメン「Sakura」、そして今年はAKB48の「桜の木になろう」など枚挙に暇がない。サクラの歌といえば?という問いに、人によってそれぞれの記憶に結びついたいろいろな答えが返ってくるだろう。

SAKURA KyotoSAKURA Kamogawa気楽妻のサクラの歌は何かと聞いたところ「桜坂!それに、PVに髪の長いキレーな女の子の出てくるやつ」と即答。彼女はどうやら福山雅治とケツメイシのサクラがお気に入りらしい。サクラの花に結びついた記憶は、人によってただ楽しかったり、ほろ苦かったり、甘酸っぱかったり。そして、海外で日本の歌で知っている曲は?とTV番組などでインタビューすると「さぁくぅらぁ、さぁくぅら〜」とぎこちなく歌いながら答える人が多い。ワシントンに贈られたポトマック河畔の桜が象徴するように、日本という国のイメージに桜が結びついている。日本の、日本の春のイメージは桜。全国各地それぞれ自慢の桜を、心から楽しめる日が来ることを祈りたい。

よこい」という童謡がある。「はるよこい  はやくこい  あるきはじめた  みいちゃんが  …  おんもにでたいと  まっている」日本の春よ来い!早く来い!

〜あっ、春よ来いって……そっちの方ねぇ」ユーミン好きの妻が呟いた。

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SINCE 1.May 2005