ちくわが飛ぶ夜、らもさん復活「桃天紅」

Toh Ten KohNakajima Ramo殺軍団リリパットアーミーという劇団があった。1986年に旗揚げしたその劇団は、小説家で、劇作家で、ミュージシャン、そして「明るい悩み相談」でも知られた中島らもが主宰していた。当初集まったのは、中島らもの周囲にいた芝居に何の関係もない(例えば、キッチュ:現在は松尾貴史、漫画家のひさうちみちお)人々。そして劇団名通り、ナンセンスなギャグがてんこ盛りの“中身のない”芝居をやっていた。劇中でストーリーに何の関係もなくマイクを持った出演者が、他の出演者にムード歌謡などを拷問のように強制的に聞かせる“ミュージック・ハラスメント”が行われ、終演後の舞台挨拶では(かつて中島らもが「ぴあ」でも連載した「微笑み家族」のスポンサーでもある)カネテツデリカフーズが提供した“ちくわ”が客席に向って大量に投げられた。

Ramo sanYamauchi団の主宰がわかぎゑふに代わり、中島らもは名誉座長、そして平座員になった。劇団の名前もリリパットアーミーⅡに変わり、きちんとした物語がある脚本で本格的な芝居をやる劇団となった。お気楽夫婦は1997年に初めて彼らの公演を観て、ある種のカルチャーショックを覚えた。関西のエネルギーを怖いぐらいに感じた。そして、なぜかそのはちゃめちゃな舞台に惹かれ、芝居の方向性が変わっていっても観続けた。けれど、次第に舞台から中島らもの姿は消えてしまった。そして、中島らもは2004年7月26日に52歳の若さで逝去。その後、リリパットアーミーⅡの舞台から、ミュージックハラスメントも、ちくわ投げも消えてしまった。

Hamochikuぇ、この芝居どうかな。山内圭哉が中島らもの脚本を演るんだけど…、コングさんも出るよ」いつもよりテンションが高い妻。良いね、行こうか。妻の提案に賛同。そしてある週末、お気楽夫婦はシモキタに向った。らもさんの芝居と言えばスズナリが定番。けれどその日はスズナリより座席数が多い本多劇場。ちょっと心配。そして危惧通りに劇場の後方には空席が目立つ。けれど、「そんなこと気にせんでえぇねん」とでも言うように、開演前のステージのスクリーン上で、らもさんが迎えてくれた。そして、開幕。しばらく忘れてしまっていた“ど〜でも良いこと”で笑うことができた。前のめりになりながら声を出して笑った。自分の大きな笑い声に驚いた。ことっと音がして、震災後にできた小さな突っかえ棒が外れた気がした。

A sighn Bar白かったねぇ♬」終演後、いつものようにAサインバーに向う途中で、妻が呟いた。カーテンコール後の舞台挨拶で、演出&主演の山内圭哉が「そんな舞台と違いますから」とテレて、それでも嬉しそうに答え、「でも、久しぶりのもんを用意してあります!」とカネテツデリカフーズのハモ竹輪を客席に投げまくった。最前列で観ていたお気楽夫婦は真っ先にちくわをゲットしたばかりか、コング桑田が我々の客席の前まで持って来てくれたちくわも手に入れた。「毎度おおきに!」と挨拶してくれたコングさんも、山内圭哉も、キッチュという名前を変えて久しい松尾貴史も、出演者が実に楽しそうだった。ミュージック・ハラスメントも往年の迫力はなかったけれど、きっちり演ってくれた。危ないセリフを吐く役者に、慌てて突っ込み、否定する演出家兼主演の山内。そんな演出に中島らもの姿がぽわぁ〜ん、と現れた。

もさん復活!って感じ。らもさんが舞台にいたら何の役だったかなぁ」妻が楽しそうに観て来たばかりの舞台を回想する。らもさんは舞台にいたよ。山内桂哉が、コング桑田が、松尾貴史が、そしてお気楽妻が、もちろん私も大好きだった中島らも。皆に愛された“らもさん”は、その夜確かにシモキタの舞台の上にいた。

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