ご近所インド料理、イケメンの酒「ラ ゴルカ グリル」千歳烏山

ネパールアイスカシューナッツ近所インドRestaurant“s”、お気楽夫婦宅から直線距離で50m程の距離にその店“たち”はある(あった)。ある人はその店には14年の間に12人のオーナーがいたと言い、ある人は店の名前が9回変わったと言う。その場所で、お気楽夫婦が知る最初の店の名前はGULSHAN(グルシャン)といい、日本語が堪能なダンディでイケメンのオーナーが経営していた。店を入るとすぐに大きな水槽があり、バブルの名残の大きなアロワナが泳いでいた。料理はどれもとても美味しいのに、ビルの3階というハンデがあるからか店はいつも空いていた。こんなに空いていて大丈夫?とマスターに尋ねると「自分たちがご飯食べられるぐらいなら全然問題ない。大丈夫ですよ」と答えていた。けれど、その店も数年で名前を変えた。

まずは軽く壁面れらの店は、お気楽夫婦が知る限りでも「インド&バングラディシュ レストラン GAOUS」「インド・ネパール レストラン RANZANA」「ネパール・インド料理アンナプルナ」そして「ネパール料理クリシュナ・サーガラ」と名前を変えた。居抜きの店も多かったけれど、どれもが徹底してインド系料理の店。それも次の店ができるまで決して間が開くことがなかった。事情を知らなかったお気楽夫婦は、インドの怪しいシンジケートに属するオーナーなのかと勘ぐっていたほど。そして2010年春、またもや新しいインド料理の店がオープンした。アジアンキッチン LA Gorkha Grill(ラ ゴルカ グリル)という、やはりネパール料理を中心としたインド系料理レストラン。

これが旨い!これが辛い!ツーの日本人なら、インド料理もネパール料理も見分けが付かない…はず。けれどインド料理好きのお気楽夫婦、恵比寿にあるネパール料理の老舗「クンビラ」で、そのインド料理とは微妙に異なる不思議な空間と味を既に楽しんでいた。カトマンズを首都とするネパール王国は、インドの北、チベットの南、ヒマラヤ山脈の麓に広がる仏教とヒンズー教の国。ネパール料理はインド料理の影響を受けるカレー、中国料理の影響を受ける炒め物など。インド料理ほど辛くはない、けれどマサラ(香辛料)はもちろんたっぷり。「モモコ」というチベット風シューマイはきちんと辛い。炒め物もどう見てもインド系のカレーの色合い。つまり限りなくインド料理寄り。

サグカレーイケメンのお兄ちゃんる週末、噂(お気楽夫婦の間で)の新店「ラ ゴルカ グリル」を訪ねた。いかにもインド料理!という前の店たちとは大きくイメージを変え、ちょっとポップな雰囲気もあり、妖しい佇まいも残す内装。ネパールの寺院と思われる大きな写真が壁一面に飾られている。第一印象は良し。そして肝心の料理は、アジアンキッチンと名乗る通り、タンドール窯で焼くチキン、ナンなどインド料理の基本を押さえつつ、つまみになる料理が多いことが特徴。最初の一皿、「カシューナッツ〜旨いね♪」酒は飲まないのにナッツ好きの妻も満足。焼きたてのインド風おせんべい「パパド」の上に刻みトマト。「お熱い内にどうぞぉ、パリパリして美味しいですよ」そう言って料理を持って来てくれたのはイケメンのスタッフ。

この酒が私を壊す寧でアクセントも発音も完璧な日本語。「いえいえ、まだまだです」と謙遜する彼に話を聞けば、オーナーの親戚で来日して6年目の学生だという。これはご近所の友人夫妻に教えねば。ということで、さっそく2人をお誘いすると、都合が合うのは何とお店を訪問した翌日。連日のインド・ネパール料理。「美味しいねぇ♫ところで、イケメン君はどこ?」さっそく韓流スター好きの奥さまのように目を光らせる友人(妻)。イケメン君は店の外でチラシを配っていたらしく、店内に戻って来たところでご挨拶。「ふふふ、確かにイケメン君だ♡」奥さま一緒に写真を撮ってご満悦。「今日もラクシー飲まれますか?」実は前の晩も飲んだインドの地酒、米から作る蒸留酒。

数はと尋ねると「40度から80度くらいですね」とカンタンに答えてくれた。これが妖しく爽やかに美味しい。独特の容器(これが妖しい)に入れた透明の酒を、細い口から少しずつ注ぎ、次第に容器を高く持ち上げる。最後は目一杯腕を上げた辺りから正確に器に注がれる。「泡が立つほど度数が高いんです」むむ、泡立ちが良いぞ。ぐびり。ん、(これが実に爽やかに)旨い。美味しいね。「ありがとうございます。私の叔母が作りました。だからいつでもある訳ではないんです」そう聞いていたアル中の私としては飲まない訳にはいかない。前の晩と同様のパフォーマンスが行われ、ぐびり。旨い。美味しいサグ(ほうれん草)マトンカレーも食べつつ、ぐびり。旨い。「もう1杯サービスします」余程嬉しそうに飲んでいたらしく、例のパフォーマンス。ぐびり。旨い…。

憶が…。「やっぱりね。2杯目の時に、あぁ、こりゃ寝るなって思ったんだよね」翌日、部分的に記憶を失った私にダメ出しをする妻。店が近いこともあり、絶対に歩いて帰れるという安心感で深酒をしてしまった。ご近所インド料理店「ラ ゴルカ グリル」の料理は美味しいけれど、イケメンの酒にはご用心。「ん、あなただけに言いたい」はい、ごもっとも。

辛く、スイーツな日々「ホワイトデー」

ニュージャーマンのバラのマドレーヌレンタインデーは今やお歳暮代わりと思っているお気楽夫婦。美味しいチョコのお礼に、お返しをする必要がある。高級住宅街に住むスカッシュ仲間の母娘にいただいたチョコレート。女子大生からいただくにはゼータクなキャビアチョコとマカロン風チョコ。お返しはショコラティエ・ミキのボンボンショコラとマンディアン。果たして喜んでもらえるだろうか。すると、母親に託したショコラのお礼にメールが届いた。「いただいたチョコ超美味しい!ありがとうございました♫娘からこんなメールが届いたので転送します♡…素敵なチョコありがとうございます。毎日ひとつづつIGAさんを思い浮かべながら食べたいと思います♡笑…って伝えといてち」ははは。母娘揃ってプレゼント贈り上手で、プレゼントもらい上手。つくづく良い母娘だ。

コージーコーナーのメダルチョコころで今年はバレンタインデーもホワイトデーも日曜日。妻は会社での義理チョコは減らした代わりに、土曜日のボクササイズの先生と、日曜日に会うスカッシュコーチとレッスン仲間にプレゼント。すると、鮭が生まれた川に帰ってくるように、見事に成長したスイーツが返ってきた。ボクササイズの先生は鎌倉ニュージャーマンのバラのマドレーヌ。体育会系の割に(失礼)毎年こぢゃれたお返しをいただくのは、患者さんからの頂き物で鍛錬された結果らしい。プレーン、アールグレイ、チョコレート、3色のバラが美しく、香しく、美味しい逸品。そしてスカッシュコーチからはコージーコーナーのメダイユショコラ。スカッシュのナショナルコーチとして日本チームのメダル獲得を期待して選んだものか。「オリンピック観て影響受けたんじゃない」というのは妻の見立て。

ホワイトチョコカッシュ仲間たちはそれぞれ、ル・パティシエ・タカギのクッキー、パティスリーNAPOLIのホワイトチョコなど、「どうぞぉ♡」とハニカミながら可愛い包みを妻に差し出す。こんなにゴーカにいただく程あげたっけ?というお返し。「いやいや、あげたのはひと口サイズの小さなチョコだったんだけどね。ふふふ♡嬉しい♫」海老で鯛を釣るという喩え通り。それ以外にも、几帳面な彼女の父親から日時指定で届いたメリーのチョコレートボックスや、会社から返ってきたスイーツも含め、お気楽夫婦の冷蔵庫の中はスイーツでいっぱい。普段でも妻の夜食用のポッキーなどで溢れる冷蔵庫は、まるでスイーツ専門保管庫の様相。「なんだか幸せな気分になるよねぇ♪」と冷蔵庫の扉を開ける度に妻が微笑む。

お父ちゃんのメリーチョコの季節は妻の残業が続く日々でもある。ところが、どんなに残業で遅くまで仕事をした日でも、深夜に自宅で夕食を取る。交感神経が働き過ぎ、自宅に戻らないと副交感神経へのスイッチが切替えが巧くいかないらしい。まぁ、それは仕方ないとして、妻が独りで取る夕食のメニューは、フルーツゼリーを前菜として軽く喉を潤し、メインのポップコーン大袋を抱え込みぽりぽりと平らげ、目先を変えて柿の種を齧り、デザート代わりにポッキーの小袋を2つ召し上がる。これが妻に言わせればゴーカなフルコース。そして、この季節はチョコレートがメニューに加わることになる。確か、ボクササイズの先生は「夜のチョコレートはアルコールと同じで、肝臓を傷めますよ」と言っていたはず。「まぁ、気にしない、気にしない。あなたも夜中にたっぷり飲んでるじゃない」そう言われれば返す言葉はない。

れじゃあ…せっかくだから、私も付き合ってビールでも飲み直すか!お気楽夫婦のスイーツな日々は、自分に甘く、身体には辛い。

上海、パリ『上海バンスキング』そして「ヴィロン」

公演パンフ笹野と串田15年間封印されていた作品が復活した。オンシアター自由劇場の代表作『上海バンスキング』がシアターコクーンに帰ってきた。1966年に創立された自由劇場(劇団名)が、1975年にオンシアター自由劇場として再結成され、1979年に六本木の自由劇場(会場名)で初演、1980年に岸田國士戯曲賞を受賞した音楽劇だ。そして、1989年にオープンしたBunkamuraのフランチャイズ劇団として再演を重ねた。お気楽夫婦は意外にも初鑑賞。1988年の串田和美監督による映画は観たものの、1994年の9演まで(チケットが取れず)観劇のチャンスがなかった。そして、2010年。ようやくチケットを手に入れることができた。「う〜っ、楽しみだあぁ♫」オンシアター自由劇場ファンだった妻のテンションも地味に高い。

舞台は笑うエントランスでのライブ:斉藤憐、演出:串田和美、そして主演はもちろん吉田日出子。1936年、パリに向かうはずだったダンスホールの社長令嬢まどか(吉田)と、バンドマンの四郎(串田)を巡る物語。寄港地の上海でジャズをやるために、まどかと結婚した四郎の思惑通り、上海での生活が始まる…というストーリーは映画で知ってはいたけれど、やはり舞台は素晴らしい。吉田がいくら台詞を咬もうが、出演者の年齢を考えたら無理な設定も、おおらかに笑えるのは出演者も舞台を楽しんでいるから。演奏を楽しんでいるから。そして何より、バクマツというトランペット吹きのバンマス役、笹野高史が素晴らしい。ただの爺ちゃんじゃなかったんだね。演奏も、身のこなしも、キレがある。味がある。実に良い役者だ。物語に、演奏に、最後までワクワクしたままに幕が下りる。舞台と役者と観客が一体化した良い舞台だ。

野菜盛合わせvironのパンンコールの演奏に拍手をしていると、楽器を手にしたままの役者たちが演奏しながら舞台から降りてくる。すると、満席の劇場にいた観客たちが彼らの後を追いかける。え!何?半ばパニックになりながら、追随するお気楽夫婦。たくさんの???を抱えながら出口に急ぐ2人。観客たちの向かった先で演奏が始まった。そうか、観客を見送るロビーでのライブだ。出遅れたお気楽夫婦は最後列で音だけを楽しむ。観客の手拍子がロビーに響く。自由と音楽を愛した舞台上のジャズマンたちが、上海から帰ってきた凱旋公演のようだ。「良いねぇ、良い演出だね♡」ご機嫌の妻。じゃあ、まどかと四郎が行けなかったパリに行こうか!「ん?ヴィロンだね。ますます良いね♫」ヴィロンのパン好きの妻の笑みが広がる。

生ハムのサラダムール貝ィロンの2階、夜はブラッスリー。小腹を空かせた夜遊びの大人たちが食事をする場所としてぴったり。松濤あたりのマダムに似合う店。けれど、軽い食事をと思ってもヴィロンの一皿は大きい。アントレ無しでサラダ中心のチョイス。そして、パンをたっぷりお代わりという作戦だ。「楽しかったねぇ。やっぱり芝居は良いなぁ。吉田日出子は咬んでも、歌詞を忘れても、存在感が凄いねぇ…」2人で観てきたばかりの物語に浸る。これも観劇の楽しみ。しかしそれもパンが出てくる前まで。外はかりかり中は穴空きの妻好みのバゲットが出てくると、妻の関心はパンに移る。上海からパリへの瞬間移動。「やっぱりヴィロンのパンに限るよねぇ♡」美味しいワインとフランスパン。それだけで気分はもう充分にパリ。上海とパリを堪能した夜だった。

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SINCE 1.May 2005