春と言えば、桜。多くの日本人が(最近はインバウンドの観光客も)春の訪れを桜の開花で実感する。開花が早まり、3月中に満開になってしまう昨今、年度末のバタバタでなかなかお花見に行けないお気楽夫婦。そこで、いち早く「用賀 本城」で、スカッシュ仲間たちと一緒に、春の京料理と一緒にサクラを愛でることにした。お花見を兼ねて味わったのは、朝堀の筍と桜の枝が共に供される、美しく、美味しい春の一皿。
「美味しい!こんなの初めて!」その日の春味の最高峰は、TKG(卵かけご飯)。軽めに盛ったご飯の上に、卵黄、生雲丹、トンブリ、そして土筆が美しく盛り付けられている。それらの食材をサクッと軽めに混ぜ、ひと口頬張る。ん、んまいっ!固めに炊かれたご飯に卵の黄身が寄り添い、旨味を出し合い、ウニと土筆の香りとトンブリとご飯の歯応えが追いかけて来る。「丼一杯でも食べられる!」と、ご飯食いのスカッシュ仲間。
花見(宴会)はできなくても、桜を眺めることは忘れない。私のオフィスがある自由が丘には、南口の九品仏川緑道にオシャレな桜並木がある。この自分の席からも見下ろせる、サクラの風景が私のお気に入り。毎朝のように開花状況を確かめ、お花見ランチをしている人たちを眺めたり、夕暮れ時のお花見デートをしているカップルを横目に見ながら家路に急ぐという日々は、毎年楽しみにしている心弾む“サクラの季節”なのだ。
そんな桜の季節には、サクラの和菓子も大切。地元の菓子店の店頭に「桜餅」の文字を発見し、関西の「道明寺餅」、関東の「長命寺餅」、そして桜団子の豪華3点セットを、深夜残業の日々を過ごす妻のためにと購入。普段は和菓子など見向きもしない妻は、春だけは和菓子にこだわる。桜餅、柏餅などは、毎年の必食アイテム。「春が来た!って感じがするんだよね。あとは、山菜の天ぷらを食べに行かなくちゃね」と妻。
楤の芽、蕗の薹、菜の花、グリーンアスパラ…。早速食べにやって来た春の野菜の天ぷらは、春の香りや歯応えを存分に楽しむことができる、お気楽夫婦お気に入り。「間に合って良かったね」食材に季節感がなくなってきても、天然物の山菜にはキチンと季節が残っている。春先の忙しさの中で、春の天ぷらを食べ忘れてしまうと、1年ずっと後悔してしまう気がする。2人にとって大切な春の恒例行事。
「稚鮎でございます」と揚げたての稚鮎の天ぷらが供される。これは春と言うよりも初夏先取りの味。鮎好きの2人にとって、“鮎の季節”の始まりを告げる、これまた大切な料理。続いて「お待たせしました。ハマグリです。味をつけてありますので、そのまま召し上がってください」と敷き紙の上に乗せられたのは、殻付きのハマグリ。ハマグリもお気楽夫婦の大好物。プックリとした身を熱々で味わう。ん〜、これも春の味。
何が食べたい?と久しぶりに残業を早めに切り上げ、スカッシュで汗を流した後に妻に問うと、「ポップコーンかな」と即答。了解!と、ご近所にあるワカモノが集まるカジュアルなバー「Skid road」に向かう。この店は、酒の種類は豊富だけれど、料理のアイテムは少ない。系列店から届けられる小皿料理以外の目玉は、作り立てポップコーンという妻にぴったりの店。大きな皿に山盛りのポップコーンを嬉しそうに頬張る。
「やっぱりポップコーンはプレーン味だね」あっという間に食べ終えた妻が、満足気に微笑む。毎年迎える春の味を楽しむ季節は、妻の繁忙期でもある。ポップコーンは春の味ではないけれど、春の味をいつものように楽しみ尽くし、ようやく長く続いた深夜残業の日々から解放される季節が近づいた模様。やれやれだ。「あ、あと残っているのは、鮨だね」これまた了解。
彼との出会いは、40年ほど前。日経育英奨学会(新聞配達の住み込みで学費と給与が支給される)の新聞販売店だった。同じ店に配属され、雨の日も、雪の日も、早朝に起き、自転車で日経新聞を配った。朝夕食付きではあるものの、二段ベッドのような小さな個室で1年を過ごした。良好とは言えない環境下、同じ“釜の飯”を食べた仲。1年後、彼は舞鶴にある「海上保安学校」に入学し、アテネフランセに通っていた私も店を出た。
その後も彼との付き合いは続いた。山形出身なのに、日本海沿岸で育った私はスキーの経験がなかった。そんな私に古いスキーセット一式を譲ってくれたばかりか、スキー場に連れ出しボーゲンから教えてくれた。本格的な登山に誘ってくれたのも彼だった。故郷の山(月山など)に登った経験がある程度だった私を、穂高をはじめとした本格的な縦走で、山の魅力を教えてくれた。彼はスキーの先生であり、登山のコーチだった。
ディンギーを買おう!と提案してきたのも彼だった。横浜勤務になっていた彼は、後輩の海上保安官と3人で中古ディンギーを買い、三浦海岸でセーリングをやろうと言うのだ。価格は1人3万円!船の保管も彼の叔母が住む野比の砂浜に、古タイヤを並べて陸置き。もちろん違法(時効?)だ。朝早く、すでに大勢の釣り客がいる中を縫って、波に戻されながら船を出し、釣り客に下手くそ!と言われながら貧乏ヨットを楽しんだ。
横浜の彼の独身寮から、三浦までの往復は彼の愛車「サニー」でのドライブだった。クーラーのない中古の車で、快適に走っているうちは良いものの、夏の海水浴シーズンに渋滞にハマると悲劇だった。とは言え、横須賀出身の彼は、裏道をよく知っていた。車の中に流れる曲は、もっぱら「甲斐バンド」だった。帰路、寄り道をして「ここがYumingの曲に出てくる“山手のドルフィン”だよ」と教えてくれたのも彼だった。
舞鶴での学生時代の彼を訪ねて、京都の街を一緒に旅したこともあった。思えば、男性の友人と2人だけで旅したのは、後にも先も彼しかいない。ある年の夏、私の貧乏学生時代に住まいを訪ねてくれたこともあった。制服での外出が義務付けられていたのか、全身白の制服と制帽で現れた彼を、吉祥寺の街に連れ出した。一緒にカウンターバーで飲み、『追憶』のR・レッドフォードを気取ってもらった。ただひたすら目立った。
最初の結婚の披露宴の司会をお願いしたのも彼だった。前妻曰く、変わった友人しかいない私にも彼のような友人がいたから結婚する気持ちになれた、という評価通りに(訥々としながらも)誠実な人柄通りの司会だった。その頃を境に、彼の全国転勤人生が始まった。年賀状を受け取る度に、その住所は広島だったり、離島だったり、東京近郊に戻ってくる気配がなく、会う機会がすっかり減ってしまった。
彼が新潟勤務になった頃、彼の家族と共に山形に向かったこともあった。奥さまと2人の小さなお子さんと一緒にテニスを楽しんだ。振り返れば、会ったのはそれが最後になった。その後、私の再婚を知らせると、ちょうど新婚旅行に出かけている最中に、彼から何かが送られたと不在通知が入っていた。その頃、舞鶴勤務だった彼から送られてきたのは松葉ガニだった。カニは彼の元に戻り、残念ながら再送されなかった。
年賀状のやり取りは続き、ようやく横須賀に戻ってきたとの報せがあったのは数年前。定年で退官したら一緒に飲めるかなと思っていた矢先、奥さまから訃報を知らせるメールが入った。3月末に退官後、再任地の下田で単身赴任を始めて数日、突然の病に倒れ、帰らぬ人になったと言う。妻と一緒に通夜に向かい、白い制服姿で微笑む彼の遺影にお別れの挨拶をした。Uくん、享年60歳。まだ早すぎるぞ!もう一度一緒に飲みたかった。妻を生前に紹介したかった。いずれも叶わなくなった帰路、妻と一緒に献盃とグラスを交わした。会いたい友人には、わざわざ機会を作ってでも会うべきだと痛感した。かつて、小笠原出張の写真を見せてもらったことがあったように、彼の転勤生活の話を聞きたかった。生まれたばかりの孫の可愛さを自慢して欲しかった。残念だ。つくづく残念だ。
Uくん、どうぞ安らかに。
仲間たちと一緒にスカッシュをやった後に、美味しいお酒を飲みに行くことは必須。人によっては、それを「スカッ酒」と呼び、スカッシュで汗を流した後には、もれなく付いてくるものだと信じている。かく言う私もそのひとり。ましてや、私の還暦パーティでも大活躍の“チームサダコ”と一緒なら言わずもがな。何と言っても、いつも(色々な意味でも)楽しく美味しくご機嫌に飲めるのメンバーなのだ。
ところがその日は、1軒目の店「遊和食 きときと」では何故かサダコが不在。とは言え、そんなことはおかまいなしに、たっぷりと飲み食べる。「この店好きぃ〜っ!美味しいね」店名通りに富山弁で“きときと(新鮮)”な魚と肴が美味しい店だから、ビールで乾杯の後はすかさず日本酒を飲んで、すっかりご機嫌さんなメンバー。その後は「Bar808」に河岸を変えて、途中で買い込んだワインを飲み続ける。
そこにサダコ(正確にはサダコに変身前の友人)が遅れて登場。酔っ払った他のメンバーを横目に見ながら、「IGAさん、パーティの画像見ましょうよ!」とあくまで冷静。自分が大活躍した画像を鑑賞しながら、「これ食べたかった」とぐずる。「近来稀に見る、ホントにいいパーティだったね」と、バブル時代に青春を過ごした奥さま。それはかなりの誉め言葉。素直に嬉しい。そして、いつものように皆んな大いに酔っ払う。
サダコは結局その日は登場しなかった。帰りの電車の中でも酔いつぶれるダンナを余所に、素面で帰宅したらしい。実は、それには訳があった。その数日後に開催される「ダンス発表会」で、ベリーダンスを踊る予定だったのだ。スポーツクラブのダンススクールのメンバーが、年に一度小さなホールを借りて日頃の成果を披露するハレの場。その日もスカッシュの後は本番直前の練習があり、途中で合流という訳だ。本気だ。
本番当日、毎年観に来ているという仲間たちがいち早く席を確保してくれていた。そこで、初観戦(?)のお気楽夫婦に注意事項。「決して笑わないように、可笑しいんだけど、声を出して笑わないように。周りから怒られちゃうからね」と念を押される。そして開演。クラシックバレーあり、キャストダンス(こんなスクールがあったんだ!)ありと、学芸会並みからセミプロ級まで、レベルはバラバラ。あれ?でも結構楽しいぞ。
そしていよいよ、サダコのベリーダンスの番だ。自分の子供の出番を待つような気持ちで、ドキドキ。子供はいないけど。派手な衣装の5人の女性がステージに登場。サダコはどこだと探す必要もなく、大柄な彼女はすぐ分かる。間違えませんように、祈るような気持ちでダンスに見入る。表情が硬いよ、笑顔!いつもの笑顔!心で叫んでも届かない。ベリーダンス(Belly Dance)ダンスだけに(笑)ハラハラだす。
あっ!ひとりだけフリが違っているぞ!やってくれた!彼女らしいなぁと、思わず優しい笑みが零れてくる。声は出さずに笑ってしまう。撮影は OKですと開演前にアナウンスがあったように、友人や家族が写真を撮りまくり、ムービーで記録する仲間たち。何だか良いイベントじゃないか。太極拳チームには、70歳は軽く超えていると思われるおばあちゃんが登場。流れるような型と、その体幹が素晴らしい。
「IGAさん、今日はどうもありがとうございます!」ステージを終え、やっと笑顔になるサダコ。「いやぁ、毎年レベル上がってて、笑うとこなかったね」友人たちの感想にも納得。オトナが本気で学び、大勢の人前で“ナマで”ダンスを踊る。自分にできるかと自問すると、かなりハードルは高い。サダコの顔にも踊り終えた達成感が溢れる。良い笑顔だ。良いお腹(補正済)だ。さて、飲みに行こうか!オトナの学芸会、打上げだ!