自分事の物語『明日の記憶』荻原浩

Photo_3「あ、IGAさん外でランチですか?誰と一緒に行くんですか」エレベーターホールで同僚に話しかけられた。うん、××さんともう1人可愛い女性とね♪と答えつつ、名前が出てこない。え~っと、あの人と似てる名前。あの、ほら、誰だっけ。下に○○が付くのは思い出した。ん~、あ○○、い○○、う○○、え○○、お○○…。お、お、「お」が引っ掛かる気がする。この自問自答を頭の中でやり取りをしている途中で、その本人が現れた。問われた答えが出る前に。名前が思い出せず、喉元に引っ掛ったまま。同僚もよせば良いのに「あれ、IGAさん名前忘れたね」と揶揄する口調になる。そ、そんなことないよ、と言いつつ答えは出てこない。

「え、何話してるんですか?」「実はIGAさんね…」その同僚は私同様に人が悪い。なんてヤツだ。バラすんじゃない!焦れば焦るほど喉元に引っ掛かっていたヒントが記憶の奥に沈んでいく。気まずい空気が流れる。話題を変える。本人は気にしていない風だけれど気のせいか表情に柔らかい怒気が含まれている気がする。あっ!思い出した。お×○○さんだぁ。しかしそれはもう遅い。今さら名前で呼びかけるのもタイミングが悪い。「じゃあ、私は銀行に寄って行くんで」おいおいっ!彼に悪気はないのだと思う、思いたい。しかし、ちょうどその時に読んでいたのが荻原浩の『明日の記憶』だったこともあり、自分自身の病を疑った。

若年性アルツハイマー病に罹った働き盛りの主人公。欠落していく記憶、覚えられない新しいことば。年齢を重ねていけば仕方がないでは済まされない症状に病院で診察を受ける。そして妻と共に告知を受け、会社には伝えず病と闘うことを決意する。その後の描写は読んでいるのが怖く、辛い。サスペンス小説を読んでいるのとは少し意味合いが違う、怖いけど読みたいという気持がずっと続く。いつもの得意先に向かう道を忘れてしまう際の描写などは、本を読んでいることを忘れてしまい、思わず目を伏せてしまう。映画じゃないんだから目を伏せても仕方ないのに。他人事ではなく、自分に起きてしまっているような身近な恐怖。肉体の死の前に訪れてしまう記憶の死、脳の死、人格の死。

それまで読んだ『メリーゴーランド』などの作品群とは大きく趣が違う。しかし、どんな苦いエピソードにも救いがあることは共通。感情移入してしまう私は涙を堪えるのに必死。通勤電車で読むのは辛い。もし、私がアルツハイマーに罹ったらどうする?隣でつまらなさそうに本を読む妻に問うてみた。「え~、仕方ないじゃない」…どんなことばが続くのかどきどき。「一緒にいるよ」我慢していた涙が零れそうになる。よし、忘れないように記憶力の訓練だ。お×○○、お×○○、お×○○、お×○○、呪文のように忘れてしまったランチ仲間の名前を頭の中で唱える。今度は名前で呼び掛けよう♪「それに…」妻が珍しくことばを続けた。「あなたはお酒飲んだらたいてい記憶なくすから、断続的な記憶障害のようなものだしね」えっ!それは若年性アルツハイマーの典型的な…。

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